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7月の花

最近死語となった言葉に、「洞察力」とか「先を読む」という言葉があります。
とにかく最近では、「こうすればこうなるだろう」という話をすると、必ずと言っていいくらい「だろうという仮定の話をされても」とか、「先のことはわからない」、「実際にそうなったわけではないのだから」という返事が返ってくる。
早い話が日本がいまの時点で原発を全部廃止にしたら、電力不足が発生するのは自明の理で、それも15%という莫大な電力が不足する。
工場など生産を担うところでは、現実の話15%の省力化ではことは済まず、たとえ15%でも工場設備が電力不足で稼働しなくなれば、下手をすれば廃業に追い込まれる事態を招きます。


目下、韓国は日本側の海岸沿いに原発を次々設置し、積極的に日本人の原発関連技術者を雇い入れようとしているけれど、こうなると日本は不足する電力を結局韓国から韓国原発で作られた電力を、高いお金で買うことになる。
そうなれば年間何千億ウォンのお金が韓国に落ちることになるから、韓国経済は現状の破綻状態か一気に立ち直るけれど、一方の日本は、工業製品の原価率上昇から、製品の国際競争力を失うことになる。
日本が貧しい国になり、韓国が豊かな経済を満喫することになる。
誰が得をし、誰が損をするのか。火を見るよりも明らかです。
原発の危険性は、もちろんボクも理解しています。
将来的には、常温核融合のような安全性の高い原子力発電に切り替えるための研究開発も必要だと思う。
けれど、いま現在、そういうものがなく、一方で必要とする電力がある以上、単に我慢するのが日本人の美徳などとあおるのではなく、最大限の努力をもって、原発の安全性を維持していかなければならないし、危機管理体制も軍の動員を含めて十分なものを構築していかなければならない。
あたりまえのことです。
要は、カルト宗教のように、危険だ、危ないと言募るのではなく、大人としての冷静な対処が求められる。あたりまえのことです。
火だって水だって、取り扱いひとつで危険なものになるのです。
それをいかにして安全に取り扱い、人々に役立てるか。肝心なことはその一点にある。
さて、冒頭に最近の日本人は、洞察をしなくなったと書きました。
昔の日本人はそうではなかった。
こうなれば、こうなる、ということを先の先まで見通し、その上で考えられるあらゆる選択肢から、いま最前と思われる一手を選択する。それがあたりまえだった。
碁や将棋が、まさにそれです。
駒も碁石も、自分の作戦通りには動かない。
先の先まで読んで、一手を指すと、相手も同様にそれを読んで次の一手を指してくる。
相手の駒は常に自分の思い通りにはうごかず、そこには頭脳と頭脳の息をのむ戦いがある。
同様に、戦前の人は剣術が必須だった。
いまの剣道では、防具をつけ竹刀で稽古するけれど、昔は防具なんてなかったし、使うのは木刀です。
防具なしで木刀で打ち込まれれば、打ち所が悪ければ、死にます。
だから剣術を習う者は、相手の太刀筋を読み、相手の動きを読んで相手の切っ先をかわした。
幼いころから、そうして相手の動きを読むことを日々訓練し続けたのです。
だから当然のこととして、そうした相手の動きを読む、先を読む、洞察するということが、ごく自然の日本男児の行動となって定着していた。
そりゃそうです。ちゃんと太刀筋を読まなければ、木刀で思い切り打ち込まれ、痛い思いをしなければならない。
その意味で、戦後日教組を中心に行われた「唯物史観」なるものは、日本人愚民化策の最たるものではないかと思う。
証拠がなければ歴史といえない、というのです。
おかげで、仁徳天皇陵は、仁徳天皇のご遺骨があるかどうか発掘調査がされていないから、あれは仁徳天皇陵とは特定できず、だから地名をとって大仙陵と呼ぶべきだと言うのです。
それどころか、仁徳天皇という存在自体、古事記、日本書紀に逸話が書かれているだけだから、実在したか疑わしいという。
そんなことを言ったら、信長だって秀吉だって家康だって、実在したか疑わしことになる。
そのくせ南京事件などは、一時資料さえないのに、虐殺があったとのたまう。
理由は、Chinaがそう言っているから。これこそなんの証拠もないねつ造です。
いささか厳しい言い方になりますが、戦後の日本人は、ボク自身も含めて、愚民化の洗礼をみんなが受けているのかもしれません。
だからこそ、私たち日本人は、いまこそ、日本の心を、もう一度謙虚に学ぶことが必要な時代にきているのだと、申し上げたいのです。
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