
6月21日に、パソコンがクラッシュして、画面が真っ黒になりました。
ねずブロの更新もできず、またメルマガの配信もできなくなり、皆様にはたいへんご心配をおかけしてしまいましたことを、まずお詫び申し上げます。
その後、なんとか復旧しようと四苦八苦したのですが、どうにもならず、結局パソコンを新しくすることになりました。
平日は仕事なので、せっかくの新しいパソコンも、これまで使用していたいろいろなソフトのインストールも遅々として進んでいません。
とりわけ困るのがデータで、最後のバックアップから3ヶ月ほどの間に作成した、さまざまなデータが、現状、復旧不能の状況に陥っています。
あまり言いたくはありませんが、保守系の活動をしていると、ここまで攻撃を受けるものなのかと、情けなくなります。
けれど、だからこそ正しい国、美しい国を守らなければならない。
そのためにも、決してくじけることなく、これからも活動を続けていこうと、決意を新たにしている次第です。
思うに、元来日本人という民族は、非常に「秩序」を大切にする民族といえます。
このたびの東日本大震災においても、米国CNNは、震災下でも日本人は「文化に根ざす規律を持っている」と伝えました。
東京に滞在している米コロンビア大学の日本研究者は、
「略奪行為も、食料を奪い合う住民の姿もみられない」
「震災下の日本で守られる規律は、地域社会への責任を何より重んじる文化のたまものか」と、大地震における日本人の対応を高く評価しています。(CNN)
またロシア・ノーバヤ・ガゼータ紙は、ゴロブニン・タス通信東京支局長の記事を掲載し、東日本大震災の甚大な被害にも関わらず日本人が社会的秩序を失わず互いに助け合う姿を、
「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする “人間の連帯” が今も存在している」と称賛しています。
ゴロブニン支局長は、震災を「第2次大戦直後の困難にも匹敵する」大災害だとしつつ、「重要なのは、他の国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もないことだ」と加えている。
震災当日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも「人々は互いに助け合っていた。レストランや商店はペットボトル入りの飲料水を無料で提供し、トイレを開放した」と驚きをもって伝えています。(共同)
平時における市民の姿というものは、世界中、どこの都市でも変わりはないのです。
ニューヨークでも、ロサンジェルスでも、パリでもロンドンでも、上海でも、立ち並ぶショップの前に人々が群がり、道行く人々は笑顔で会話を弾ませ、ビジネスマンは忙しそうにカバンを持って歩いている。
ところが、一朝、事あったとき、そうした人々の姿は一変します。
ロスの地震、メキシコの地震、四川の地震等々、それまでは普通の市民だった人々が暴行、窃盗、強盗、強姦魔の集団と化した。
哀しいことですが、これが世界の「現実」なのです。
ところが日本では、あれだけの地震、津波、原発による被害にもかかわらず、国民は実に整然としていた。
反日左翼政権の政府の対応は、まさに無能そのものだったし、世界各国ならとっくの昔に民衆の暴動が起こっても不思議がないくらいに酷いものだったけれど、それでも日本国民は冷静に秩序を保っています。
これこそが、日本人が本来持つ品格であり、日本民族のDNAにしみこんだ優秀性(あるいは特異性といってもいいかもしれない)といっていい。
それが事実であり、いまや世界がそれを認めている。
考えてみれば、鎖国をし、諸侯が治める藩に別れ、まさに地方分権政治そのものであった日本が、黒船来航とともに国内をあっという間に統一させ、そのわずか27年後には日清戦争で「眠れる獅子の大国」とみなされていた大清帝国を打ち破り、続いてその10年後には20倍の国力を持つ大国ロシアと五分に戦って勝利を収め、また10年後には第一次世界大戦に参戦し太平洋の国々を領土に治めて善政を敷いたのみならず、講和会議において世界ではじめて「人種の平等」を主張するまでに至りました。
大東亜戦争では、日本はなるほど国土を焼土と化したけれど、アジアの国々はおろかアフリカの諸国に至るまで西欧の植民地支配を脱しています。
植民地支配下にあった諸国が独立を手に入れることができた背景には、まちがいなく日本の勇気ある活躍がありました。
そして、あきらかに国土を焼土と化し、まさに瓦礫の山となった日本は、10年後には国土の建設復興の多くを終わらせ、20年後には高度経済成長を遂げて世界の経済大国の仲間入りを果たし、30年後にはGNP世界2位となり、いまや世界の債権国にまでなっています。
人類史上、ありえないほどの復興を遂げたのです。
いま、世界中で日本製品といえば、高品質の代名詞です。
日本人といえば、礼儀正しく、信頼できる人種の代名詞です。(おかげで日本人を偽装する人種まで登場している)。
なぜ日本人が、特殊なくらい優秀なのか。
その理由は、ボクは、日本人が「秩序」を大切にする国民である、ということが最大の理由なのではないかと思っています。
なるほど制限速度40kmの道路を時速60kmくらいで走ったりするのも日本人だけれど、それは「きまり」を大切にするというよりも「交通の流れ」、すなわち「秩序」を重視するという国民性の現れのようにも思う。
それが証拠に、速度違反で白バイに捕まると、たいていの日本人は理不尽だと思いながらも、頭をかきながら素直に切符をもらいます(笑)。
これに対して、そういう「秩序」に対する常に破壊者たらんとするのが、日本における左翼主義者たちでなのではないか。
日本の歴史、伝統、文化を破壊し、政治を破壊し、教育を破壊し、職場の上下関係を破壊し、家庭を破壊する。
マルクス、エンゲルスの共産党宣言(1848年)には、そのことがしっかりと書いてある。
すなわち、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」。
日本社会の原点にあるものが「和」であり「秩序」なら、左翼の原点にあるのは、まさに「闘争」と「破壊」なのです。
これら「和・秩序」、「闘争・破壊」は、それぞれの社会、あるいはそれぞれの思想の原点であると同時に、社会や思想の目的でもあります。
闘争と破壊を目的とする政権が与党となり、政権を担ったらどうなるか。
答えは簡単です。
震災復興、電力復興など眼中に無く、震災で破壊された街に闘争をしかけ、さらなる破壊を招く。
それが根本にある「目的」なのです。結果は火を見るより明らかです。
現実に、現政権下で行われているのは震災復興などどこへやら、もっぱら原発危機を煽動し、被災地の産業や経済を破壊し、特アの物産を特注する。そんなことばかりです。
それでも現場では、自衛官、警察、消防、あるいは東電の社員などが、誠心誠意、和と秩序を回復させようと必死になって働いている。民族の本能で、みんなのためにと力を尽くしている。
その労に対し、「感謝し、労を深くねぎらいたい」、「事態の更なる悪化を回避したい」、「被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願う」と述べられたのは、陛下です。総理をはじめ現政権の誰からも、そのような発言はない。
これがいまの日本社会の現実です。
日本は、大東亜戦争によって国家が解体され、独立国でなく「連合国統治領日本」という「地方」になった日本は、GHQによって、憲法や政治、教育を根本から解体され、愛国心を持つものは悪、国を守るという思想は悪、公徳心を持つこと、伝統や文化を大切にすることはかっこわるいこととされるなど、およそ人として、万国共通の「あたりまえ」が非常識とされるためのレールが敷かれました。
そのレールは、わずか7年間だけの占領統治時代の限定的なものにすぎなかったのだけれど、そのときに敷かれたレールを、後生大事に60年近くも守り続けている。
これも日本人です。
なぜか。
それも、日本人の「秩序」を重んじるという特質のなせる業です。
たとえ理不尽でも、たとえ間違っていても、いったんそれが「秩序」として確立されたなら、それを守ろうと精一杯努力する。それが日本人だからです。
しかし、そのことが結果として、日本社会を「破壊」と「闘争」のルツボに引き入れ、大震災という災難からの復興さえもままならない様相を招いているなら、もうそろそろ日本は、日本社会の秩序の根幹となっている日本の占領統治下の最高法規(現・憲法)や、政権、あるいは政治そのものを変革しなければならないときにきている。
これが、多くの日本派の保守系の方々の一致する意見なのではないかと思います。
日本人が持っている本来の美質と、社会のルールが齟齬をきたし、それが修復不能なまでに社会を混乱させ、日本社会の発展さえも犠牲になっているという現代社会において、私たちに必要なことは、日本社会のルールそのものを変革するためのエネルギーなのではないかと思います。
そのエネルギーの根幹となるのが、教育にあろうかと思います。
そこで明日は、日本の教育の再生について書いてみようと思います。
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