
今年、3月11日に東日本大震災は起こりました。
そして3月16日、陛下からのメッセージをいただいたのは、みなさまご承知おきのとおりです。
陛下のお声を、我が国の言葉で「玉音」といいます。
それでは、みなさんに質問です。
陛下より、全国民に向けて玉音でお言葉を賜ったのは、これまでに何回あるでしょうか?
日本のご皇室は、2700年の古い歴史を持っています。
その歴史上、ときの陛下は、度々お言葉を発せられていますが、それらはほぼすべてが、特定の聴衆に向けてのものです。
たとえば、国会の開会式、あるいは国体の開幕式などで、陛下から都度都度お言葉を賜りますが、それらはすべて、その会場に集った人に向けてのものです。
陛下が「全国民」に向けて、直接お言葉を発せられたのは・・・・。
ひとつは、昭和20年8月15日の終戦の詔勅です。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という、あのラジオ放送です。
では、もうひとつは?
我が国の史上2回目の玉音放送が、実は、3月16日の陛下からのメッセージです。
これはたいへんなこと、と言わざるを得ません。
今上陛下からのメッセージについては、3月17日の弊ブログでも、その全文をご紹介させていただきましたが、震災から3カ月が経ったいま、もういちど、あのときの陛下の玉音放送を、読んでみたいと思います。
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【陛下のおことば】
(宮内庁HPより転載)
この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。
地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。
これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
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太字、下線は、ボクが勝手にひかせていただきました。
まず、最初の「事態の更なる悪化が回避されること」。
陛下は、原発の状況を深く憂慮されたうえで、関係者の尽力によって、事態がこれ以上悪化しないように、とおおせられている。
「事態がこれ以上悪化しないように」です。
ところが、いまの菅内閣のもとでの対策本部とは名ばかりで、現地に足を運ぼうともせず、まるでマッチポンプのように、事態を大変だたいへんだと騒ぐばかりです。
そしてついには津波の時点では何の被害もなかった高炉まで異常事態が飛び火し、そのうえ懸命に作業にあたる職員にはカップラーメン以外には食事の補充もせず、現場の警備もほったらかしで、他国のスパイがいくらでもはいりこめる状況を作りだしています。
加えて風評被害です。いまのままでは、東日本の農業は壊滅してしまう。
いまの政府は、もはや日本の政府とはいえない体たらくです。
事態はどんどん悪くなっている。
それはなぜかといえば、無能なリーダーが、復興対策の総責任者となっているからです。
だからこそ内閣不信任案を突き付けたのに、民主党内の前総理が現総理に易々とたぶらかされて、無能集団を率いる無能リーダーが災害対策にあたるという事態が、いまだに続いています。
とんでもないことです。
そして次に、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。」です。
陛下のお口から「自衛隊」というお言葉が出たのは、戦後65年にして、これがはじめてのことです。
しかも全国民に向けての玉音放送において、陛下は明確に自衛隊に「感謝し、労をねぎらいたい」とおっしゃられています。
ボクは、このことを、陛下のこのお言葉の、その瞬間に、自衛隊の存在さえも否定している現日本国憲法が、否定されたものと、解します。
日本は、早急に現憲法の無効取消を宣言し、あらためて国体の正規を取り戻すべきであると思います。
実は、最近発売された本で、堺屋太一の「第三の敗戦」という本があります。
ボクは堺屋太一の著書が好きで、また氏の歴史観などにもおおいに共感する者なのですが、この本における堺屋氏の主張には、真っ向から否定的に思っています。
この本で堺屋氏は、「復古主義に陥ってはならない。新しい知価社会の構築を」と説いているのですが、これは違うと思う。
日本の良いところ、日本の素晴らしさを、あらためて再認識するところに、これかの日本の出発点がある、と思うからです。
「新しい知価社会」というけれど、それが天壌無窮の神勅を受けた日本の否定を意味するなら、それは間違いのもとです。
日頃、温故知新を説く堺屋氏にしては、少々、主張が飛びすぎていると思っています。
およそ、学者や評論家、あるいは左翼系政治家などが、常日頃陥りやすい陥穽が、過去の否定、いいかえれば否定主義です。
過去を全否定し、新しい時代を築こうと言う。
それが間違いなのです。
過去、現在、未来は、一本の糸で間違いなく「繋がっている」ものです。
であれば、過去の良いところを学び、現在の問題点を探り、その上で新たな時代を築く。
否定主義ではなく、肯定主義でなければ、復活も復興もない。
ボクはそう信じています。
そして3つ目。
「日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示している」ことに対して、海外では驚きの声が上がっている、という点です。
世界中、どこの都市でも、地震や津波が起これば、そのあとに必ず起こるのが「暴動」です。
商店は襲われ、陳列品は奪われ、支援食糧までもが盗難に遭う。
それが世界では、「あたりまえ」の出来事です。
問題はここなのです。
ニューヨークでも、ロサンゼルスでも、メキシコシティでも、上海でも、平時の姿は、どこの都市も同じようなものです。
着飾った女性たち、道行くビジネスマン、行き交う車、買い物する人々。
世界中、どこも、平時の都会というのは、似たようなものです。
ところが、一朝、事あると、その様子は一変する。
にこやかに買い物していた客たちは、突然暴徒となり、女性たちは襲われ、ビジネスマンは現金を奪われ、行き交う車は暴徒に囲まれてひっくり返され、炎上させられる。
ところが日本では、これだけの災害が起こりながら、市民は実に秩序ある行動をとり、しかも被災地以外の全国から、義捐金や支援物資が、次々と被災地に運ばれた。
いままで、義捐金や寄付など、一円だってしたことのなかったような人たちまでも、東日本大震災の被災地の人々のためにと、みんなが寄付金を出し合った。
戦後生まれの我々は、教育勅語は学校で教わっていません。
けれど、まさに、教育勅語に流れている精神は、日本人の心の奥底に、間違いなく存在している。
「一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ」
まさに、その精神です。
教育勅語は、古くからある日本精神を、そのまま文章にしただけだ、といわれています。
このことは教育勅語の末尾にも書いてある。
「斯ノ道ハ
實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」
というのが、それです。
口語訳すると、
「かかる道は、祖先の遺訓であり、私達子孫の守らなければならないものです。
この教えは古今を通じて変わらぬ正しい道であり、日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道です」と書いてある。
つまり、古代から続く、日本人としてのあたりまえの生き方、考え方だ、ということです。
これはひらたくいえば、いったん事が起こった時に、「公に奉ずることをまず考える」か、「自分の利益をまず考えるか」の違いともいえます。
自分さえよければいいと思えば、略奪や暴動に走る。
日本人は、公に奉ずることを優先するから、まず何よりも秩序を重んじる。
これが、日本人の日本人たる凄みであり、世界が絶賛するところなのではないかと思います。
日本は、秩序を重んじる国です。
戦前の日本は、高い精神性を持った国でした。
戦後の日本は、高い経済性を持った国でした。
次の日本は、その高い精神性と高い経済性を高次元で両立させた、秩序正しく笑顔あふれる日本なのではなかろうかと思います。
そのために、私たちひとりひとりが、いまできることからする。
できることから行動を開始する。
陛下の玉音放送を真摯に受け止め、私たちがあらためて私たちの日本を取り戻すためには、何よりも日本を信じる心が大切なのかもしれません。
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