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ニール・パリスチャ

カナダの人で、ニール・パリスチャという方がいます。
2009年に「世界最優秀ブログ賞」を受賞した方で、ブログのタイトルと同名で出版した本「「The Book of Awesom」(最高の本)は、No.1ベストセラーに輝きました。
そのニール・パリスチャの講演が、↓のURLに動画で紹介されています。
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/neil_pasricha_the_3_a_s_of_awesome.html
英語の講演ですが、日本語字幕がついています。
動画を見ている時間がないという方のために、その字幕を、まるごと文字起こししてみました。
以下がその講演です。
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この話は約40年前、ボクの父と母がカナダに来た時に始まります。
母はケニアのナイロビを去り、父はインドのアムリトサル郊外の小さな村を去り、60年代後半にカナダにやってきました。
そしてトロントから東に約1時間の貧相な郊外住宅地に腰を据え、新たな人生を始めました。
生まれて初めて歯医者に行き、初めてハンバーガーを食べ、初めて子供をもうけました。
姉とボクはここで育ち、平穏で幸せな子供時代を送りました。
仲のいい家族、良い友達、静かな近所に恵まれ、両親が子供のころには当たり前でなかった多くのことを、当たり前と思って育ってきました。
家の中では電気がいつも使えるとか、通りの向かいに学校があるとか、道の先に病院があって、裏庭ではアイスキャンディが食べられることです。
ボクらは成長し、大人になりました。
高校に行って、卒業し、ひとり暮らしをはじめ、就職し、彼女を見つけて落ち着きました。
下手なシットコムか、キャット・スティーブンスの歌のようだとはわかってます(笑い)
でも、順風満帆の人生でした。
人生バラ色だったのです。
2006年は素晴らしい年でした。
オンタリオのワイン生産地域で、7月の真っ青な空の下、150人の家族と友達に囲まれて、結婚式を挙げました。
2007年も素晴らしい年でした。
学校を卒業し、二人の新優斗車で旅行しました。
これはボクと、ボクの友達のクリスの写真です。
太平洋海岸で撮りました。
車の窓からアザラシが見えたので、車を停めて素早く写真を撮ったのですが、ボクらの頭がデカすぎました(笑い)。
そういうわけで実際に写っていないですが、アザラシはすごかったです。本当です(笑い)。
2008年と2009年は少し厳しい年でした。
ボクだけでなく、たくさんの人たちにとっても大変な年だったと思います。
まずニュースで気が滅入りました。
今でも暗いニュースがあり、以前もそうでしたが、新聞を広げたりテレビをつけると、氷帽が溶けているいることや、世界あちこちで戦争していることや、地震やハリケーン、そして経済が傾いて破産寸前なニュースで、実際に経済は結局破壊し、多くの人が家を失ったり、職を失ったり、老後の貯蓄や生活の糧を失いました。
2008年と2009年は、ボクにとって別の理由でも辛い年でした。
当時、プライベートで問題を多く抱えていました。
夫婦の仲がうまくいっておらず、どんどん関係が冷めてきていました。
ある日妻が仕事から帰ってきて、涙を流しながら思い切って、正直な気持ちを打ち明けてくれました。
「貴方のことをもう愛してないの」と。
人生でこんな悲しいことを聞くのはほとんどなく、実際、それまでの人生で一番心に刺さる言葉でした。
でも一カ月もしないうちに、もっと悲痛なことを知らされました。
さっき写真で見せたボクの友達のクリスは、精神的な病気にかなりの間苦しんでいました。
皆さんの中でも、身近に精神病の人がいた人は、どれほど大変かわかると思います。
ボクは日曜日の夜10時半に、クリスと電話で話をしました。
その晩に観たテレビ番組の話でした。
そして月曜日の朝、クリスがいなくなったと知りました。
やりきれないことに、クリスは自殺したのです。
このように本当に辛い時期でした。
そしてボクの周りに暗雲が垂れこむ中、明るいことを考えるのが、この上なくとても難しく思えました。
どにかして前向きに物事を考える方法を見つけなくては駄目だと、自分に言い聞かせました。
そこである晩、仕事から帰ってきて、コンピューターを立ち上げて、小さなウェブサイトを作りました。
「1000awsomethings.com(1000の最高なこと)」というサイトです。
普段話したりはしないけれど、誰もがうれしく思うシンプルで普遍的な小さなことに目を向けようとしたのです。
頼まれても無料でおかわりを出してくれるウエイターやウエイトレスとか、結婚式のビュッフェ式ディナーで、一番に呼ばれるテーブルだったとか、乾燥機から暖かい下着を出して着けるとか、スーパーで新しいレジが開いて、もともと列の最後尾にいたのに、さっとはいって一番乗りになれたとか(笑い)、そしてだんだん時とともに、気持ちが晴れていきました。
毎日5万のブログが立ちあげられています。
つまりボクのブログは、5万の中のひとつでしかなかったのです。
読んでくれているのは、ボクの母だけでした(笑い)。
といってもアクセス量は、母が父に転送した時点で、ぐんとあがって倍になったのですが(笑い)、それから10あまりのヒットがあり、ボクは大喜びでした。
そしてそれが何十になり、何百になり、何千になり、何百万2なり、ボクは有頂天になりました。
どんどん大きくなっていったのです。
そしてある日電話があり、電話の向こうの人が、「世界最優秀ブログ賞に選ばれました」と言ったのです。
これは何かの詐欺だと思いました(笑い、拍手)。
アフリカのどの国に送金しろって?(笑い)
でも結果的には、飛行機に乗って、サラ・シルバーマンやジミー・ファロン、マーサ・スチュワートとレッドカーペットを歩くことになりました。
そしてステージで、ベストブログ部門で、ウェビー賞を受け取りました。
その驚きと感動が薄れたのは、トロントに戻って、メールを見たときでした。
ブログを本にしたいという申し出が、10人の出版エージェントからあったのです。
そして翌年になり、「The Book of Awesom」は、これまで20週間、No.1ベストセラーとなっています(拍手)。
でも今日は、3つのことをしたいと思ってきました。
「Awsome」な話をして、「Awsome」の3つの要素を共有して、最後に思考の糧を提示したいと思います。
では、3つの要素について話しましょう。
ここ数年の間にボクにはゆっくり物事を考える時間がありませんでした。
でも最近落ち着いて「ここ数年の間でウェブサイトやボク自身を成長させてくれたものは何だろう?」と考える機会がありました。
そして個人的にこれを、3つの要素としてまとめました。
「物事に対する姿勢」
「気付く心」
そして
「自分に忠実であること」です。
1つずつ簡単に話したいと思います。
まず「物事に対する姿勢」。
人は誰も困難の壁に直面したり、逆境に遭遇したりするものです。
誰も未来を予測できませんが、ひとつわかっているのは、計画通りに物事は進まないことです。
絶好調のときもあれば、卒業証書を受け取る笑顔や、結婚式での父親のダンスや、分娩室で元気に泣く赤ちゃんなどの記念すべき日や晴れ姿もあります。
でも、そんな幸せなことの合間に、いくつか壁や障害があるかもしれません。
話すにはつらく悲しいことですが、夫が去るかもしれないし、彼女が浮気するかもしれない。頭痛はただの頭痛ではないかもしれないし、愛犬が通りで車にはねられるかもしれない。
考えたくないけれど、子供が不良にそそのかされたり、事件に巻き込まれることもあり得る。
お母さんがガンになる可能性もあるし、お父さんが陰険になる可能性もある。
そして人生ときには、深みにはまることもあり、心に穴が開いて断腸の思いをすることも。
でも、悪いニュースに突然見舞われたり、痛みがいっぱいにひろがったとき、常に2つの選択肢があるのだと皆さんが思えることを願います。
ひとつは振り回されたまま、どうしようもないと悲観することで、
もうひとつは、嘆いたあと、冷静に戻った目を未来に向けることです。
前向きな姿勢とは、後者を選ぶことです。
どんな困難でも、どんなに苦しくても、気持ちを切り替え、前進し、未来へと少しずつ足を踏み出す選択をすることです。
2つ目の要素は、「気付く心」です。
ボクは三歳児と遊ぶのが大好きです。
子供から見た世界は素晴らしいです。
彼らにとっては、初めてみる世界だからです。
歩道を横切る虫をじっと飽きずに見つめる様子、グローブを手に目をまるくした子供が、口を開けて初めての野球試合を凝視し、球を撃つバットの音やピーナッツの歯ごたえ、ホットドックの匂いなどを存分楽しむ様子は、本当に微笑ましく、裏庭で何時間もかけてタンポポを摘んで、素敵な感謝祭の食卓の飾りを作る様子にも魅せられます。
世界の受け止め方がとてもいい。
これは子供が世界を初めて見ているからです。
感受性を持つのは、3歳児の自分を受け入れることです。
誰もが一度は3歳児であったわけです。
その3歳児の男の子や女の子の心は、まだみなさんの中にあります。
探せばあるはずです。
物事に気付くには、自分にも見るものすべてが目新しかったことがあったのだと、ただ思い出せばいいのです。
仕事から帰宅する道のりで初めて、青信号ばかりだった日があったはずです。
初めてパン屋さんの横を通って、その焼きたてパンの匂いを嗅いだ日や、古い上着のポケットから20ドル札が出てきて、「お金見つけた」と言った時間があったはずです。
最後の要素は「自分に忠実であること」です。
これについては短い話をさせてください。
1932年まで、一気にさかのぼります。
ジョージア州のあるピーナッツ農場に、ルーズベルト・グリアという名前の男の子が生まれました。
彼は、ロージー・グリアとも呼ばれていて、成長してからは、300ポンドで6フィートのNFLラインバッカーになりました。
写真の背番号76がグリアです。
このメンバーは、「恐怖の4人組」と呼ばれた。
1960年代のL.A.ラムズの選手権で、対戦したくないと恐れられていました。
屈強のフットボール選手である彼らは、好きでフィールドで頭をぶつけあったり、肩関節の捻挫をしていたわけです。
でもロージー・グリアには、もうひとつの趣味がありました。
偽りのない心の奥底で、彼は刺繍も好きだったのです。
編み物も好きでした。
心が落ち着いてリラックスできる、飛行機が怖いのも忘れられて、女の子とも知り合える、彼はそう言っていました。
好きが高じて、NFLから引退した後に、刺繍クラブに行くようになったほどです。
それだけでなく本まで出版しました。
「ロージー・グリアの男性向け刺繍」(笑い)
この表紙がすごいんです。
よく見ると、自分の顔を刺繍している(笑い)
この話で、ボクがいいなと思うのは、ロージー・グリアが本当に偽りのない人だ、ということです。
自分に忠実であるというのは、このことです。
堂々とあるがままの自分でいることです。
自分に忠実になると、心に従うことになり、自分が好きで楽しめる場所や状況や会話などを見つけることになるのだと思います。
会話するのが楽しい相手を見つけ、行きたいと思っていた場所に行くのです。
そして自分の気持ちに従うことで、充実感を味わうことになるのです。
これらが3つの要素です。
最後に一番最初の、ボクの両親がカナダに来た話に戻ります。
20代の中ごろに道の国に来るのがどんなことなのかは、ボクにはわかりません。
自分で経験したことがないからです。
でも、意欲的な姿勢が必要だっただろうと思います。
自分の周りのことに敏感に反応し、新しい世界で目にしはじめる小さな発見を楽しまなくてはならなかったでしょう。
そして直面する物事を乗り越えるため、本当に偽りのないありのままの自分えいる必要があったと思います。
ここでボクのTEDトークを10秒ほど中断させてください。
人生にこんなことができる機会は滅多にない上、ボクの両親は前列に座っているので、よければ立ってもらいたいと思います。
二人にありがとうを言いたかったんです(拍手)。
ボクが子供のころ、父はカナダに来たばかりの頃の話をするのが好きでした。
面白い話で、何が起こったかというと、トロント空港に到着した父を、非営利団体が迎えてくれたのです。
たぶん、この会場の誰かの団体だと思いますが、この団体はカナダに来た新しい移民者のため、盛大な歓迎ランチを準備していました。
そして父によると、飛行機を降りて、このランチに行くと、ものすごい量の料理が並んでいて、パンがあり、小さなディルピクルスがあり、オリーブやパールオニオンがありました。
サンドイッチ用のターキーや、ハムやローストビーフがきれいに巻かれて、小さなチーズのキューブと並んでいました。
ツナサラダのサンドイッチ、卵サラダのサンドイッチ、サーモンサラダのサンドイッチもありました。
ラザニアがあり、いくつかの蒸し焼きがあり、ブラウニーやバタータルトもあり、たくさんの種類のパイがありました。
そして父がこの話をするとき言うのは、
「なにせパン以外は、見たことないものばかりで」(笑い)
「どれが肉入りで、どれが肉なしかわららず、オリーブにパイという組み合わせで食べたんだよ」(笑い)
「ここではこんなたくさんの物があるのかと信じられなかったよ」(笑い)
ボクが5歳のころ、父はよく、食料品の買い出しにボクを連れて行きました。
そして驚きの目で、果物や野菜についているシールを眺め、
「ほら、メキシコから着たマンゴがあるなんて信じられるか?」
「南アフリカ産のリンゴがあるぞ」
「モロッコのナツメヤシがあるなんてスゴイな」
などと言い、
「そもそもモロッコがどこか知ってるか?」と言うので、
「ボク5歳で、自分がどこにいるのかもわかんない。このスーパーはA&P?」と言うと、
「お父さんも知らないけど調べてみよう」と言うのでした。
そしてナツメヤシを買って家に帰り、実際に本棚から地図帳を出して、この謎の国を見つけるまでページをめくるのでした。
見つけると父は、
「誰かがここで木に登って収穫したものが、トラックに積まれて、港までわざわざ運ばれ、そのあとはるばる大西洋を船で運ばれて、それから別のトラックに積まれて、うちの家のすぐ近くの小さなスーパーまで遠路やってきたなんて信じられるか? それを25セントで売るためにだぞ」と言い、
ボクが「信じられないよ」と言うと、
「お父さんも信じられんな。驚きだな。ありがたいことでいっぱいだ」と言うのでした。
よく考えてみると、父はまったく正しいのです。
幸せに思えることは、いくらでもあります。
私たちが知る限り、人間は、宇宙で生命体をはぐくめる唯一の星のこのようなたくさんのことを感じることができる、唯一の生き物です。
建築物や農業があるのは人間だけです。
宝飾品や民主主義があるのも、私たちだけです。
私たちには飛行機や高速道路や、インテリアデザインや星占いがあり、ファッション雑誌やホームパーティをする場所があります。
怪物の出てくるホラー映画を観たり、コンサートに行ってギターの即興演奏を聴くこともできます。
本もあって、ビュッフェや電波や、花嫁さんや、ローラーコースターもある。
清潔なシーツの間で寝られて、映画に行って、いい席を取ることもできる。
パン屋さんの匂いを嗅いだり、雨に濡れた髪のままでいたり、気泡シートをプチプチ潰したり、禁じられた昼寝をすることもできる。
そういういろいろなことがあるのに、私たちには100年しか楽しむ時間がない。
これが悲しい点です。
あなたの行きつけのスーパーのレジ係、あなたの工場の主任、高速道路であなたの後ろにぴったりとつけてくる奴、夕食時に電話してくるセールスマン、今までお世話になった先生、夜明けを一緒に迎えた相手、各国の政治家全員、映画に出演した俳優のすべて、家族ひとり残らず、あなたが愛する人全員、あなたを含めたこの会場の皆さん、100年後には皆、死んでいるのです。
人生は素晴らしすぎて、このようの人生を甘美なものとする、ひとつひとつのささやかな瞬間を体験して、楽しむ時間がほんの少ししかありません。
その瞬間は今現在で、どんどん失われています。
その瞬間は、いつもあっという間に過ぎ去るのです。
今現在よりも若くなることはけっしてありません。
だから人生を大いに前向きな姿勢で生きて、ダメージを受けても気持ちを切り替え、前に進む選択をしてください。
自分の周りの世界に意識を向け、3歳児の心を大切にしながら、人生を素晴らしくする小さな喜びを見つけてください。
そして自分に忠実でいることに恐れないで、心のままに、自分が満たされる経験をしてください。
そうすれば皆さんは豊かで、充実感のある人生を送れると思います。
本当に「Awsome」な人生を送れるはずです。
ありがとう。
~~~~~~~~~~~~~
このニール氏の講演は、ある読者の方から、メールで教えていただいたものです。
ニール氏は若いし、講演内容も個人主義の国ならではのものがあります。
全部が全部、そうだね、と納得できるものではありません。
けれど、そうは言っても、やはり世界最優秀ブログ賞を受賞しただけの人物であり、彼の話には、たいへん魅力を感じます。
とくに、3歳児の視線で周囲を見直してみよう、小さな喜びを大切にしようという呼びかけは、ボクはたいへん素晴らしいと思います。
夏目漱石はその著書「草枕」の中で、次の文書を書きました。
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智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住
みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
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人は、人と人との関係の中に生きています。
そして人を育てるのも、やはり人だと思う。
苦労も喜びも、すべては人と人との関係の中に生まれる。
その人と人との人間関係の中で、いちばん大きいものはなにかというと、実は、小さなことだと言われています。
人間関係においては、小さなことが大きなことであり、大きな・・・たとえば事件のようなものは、実は小さなことでしかない。
保守の活動でも同じだと思うのです。
なにかドでかいことをしてやろうなんて思っても、そうそう簡単にはいかないものです。
そういうことよりも、日々の小さなことをコツコツと積み上げたり、同じ仲間同士の相互の信頼関係を増すための小さな努力をしてみたり。
そういう信頼関係の輪の広がりが、おそらく日本を生まれ変わらせる原動力となるものなのではないかと思います。
陛下は、このたびの東日本大震災に関する国民へのメッセージで、戦後はじめて、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする」と、自衛隊の名を、TOPに持ってきたメッセージを出されました。
これはたいへんな出来事です。
どういうことかというと、日本国憲法では、第9条において「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明文で定めています。
自衛隊は、たとえ防衛専門であったとしても、軍であることは疑いがありません。
なにせ日本語では自衛隊と書きますが、海外に行けば、自衛隊はまぎれもなく「Japanese army(日本軍)」です。
ですから戦後、陛下がこれまで自衛隊について言及されることはなかったし、自衛隊の閲兵式にも、陛下のご出席を賜ることはこれまでなかったわけです。
ところが今回、陛下は「自衛隊」と真っ先におっしゃった。
つまり、陛下が自衛隊の存在を、第一にお認めになられたということです。
ということは、この瞬間に、日本国憲法は陛下によって、その存在を否定されたということです。
ということは、この瞬間に、日本国憲法によって組成される内閣も、国会も、全部いったん否定されたわけで、すなわち現状のままの日本国憲法を奉ずる者は、すなわち我が国おいては「朝敵」となったということです。
ひらたく言えば、民主党が政権第一党である国会も、菅内閣も、その瞬間に「朝敵」となった。つまり「賊」になったということです。
これは大きなことです。
しかし、そうした陛下の御心を、お支えするのは、私たち国民のひとりひとりです。
そしてその国民の心を覚醒させるのは、人と人との関係、すなわち、小さなことの積み重ねなのだろうと思います。
日心会は、何かおおきなことをしでかそうとか、大きなことをしようという団体ではありません。
日本を愛する者が集い、語りあい、伝えあう、日心会はそのためのコミュニティです。
その小さな活動の積み重ねは、ひとつひとつは小さいかもしれないけれど、やがて大きなものとなる。
雪のひとひらは、小さなものです。
そしてひとひらの雪の、その結晶は、とても美しい。
その美しくて小さな雪の結晶が、やがて降り積もり、一定の線を越えたところで、カタストロフ(雪崩)が起きる。
自分でできること、やれることから始める。
これまで教え込まれた、いろいろな戦後の常識を、3歳児の目と心で、もう一度見直す。
そして日本の歴史、伝統、文化を学び、伝え、語る。
ひとつひとつは小さなことでも、それはやがて大きな動きとなる。
だって、それが陛下の御心でもあるのですから。
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