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美智子さま

日心会のMLで、Wさんからご紹介いただいたものです。
筑波大学名誉教授で、フランス文学を研究されてこられた竹本忠雄先生と、作家で日本文化に造詣の深いオリヴィエ・ジェルマントマさんなど、フランス文化人たちの協力でフランス語に翻訳され、「セオトーせせらぎの歌」として出版された本の日本語版です。
この本の著者である竹本忠雄先生が、「知致」2008年12月号に寄稿された文を紹介させていただきます。


なお転載にあたり、知致出版社のご承諾はいただいています。
知致出版社HP
http://www.chichi.co.jp/
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語らざる
悲しみもてる 人あらん
母国は青き 梅実る頃
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これは皇后美智子様が≪旅の日に≫と題して平成十年にお読みになった御歌(みうた)で、宮内庁によって次のような註が付けられています。
「英国で元捕囚の激しい抗議を受けた折、
『虜囚』となったわが国の人々の上を思われて読まれた御歌」
平成十年5月26日、両陛下のお乗りになった馬車がバッキンガム宮殿に向かう途中、イギリス人の下捕虜たちが「背向け」行為という非礼をしました。
このことから皇后様は、
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敗れたるゆえに、去る対戦時、虜囚となったわが国人は、悲しみも語りもしえず、いかに耐えていることであろう
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とご心情をお寄せになりました。
この御歌を初めて新聞紙上で拝見したとき、私はひじょうに大きな感動に打たれました。
皇后様のようなお立場の方が、これほどの透明な抒情と憂国の至情を併せてお示しになるとは思いもよらなかったからです。
しかも、ご自身の内面の世界を詠われた「上の句」と、自然を捉えた「下の句」が見事に調和し、その明転とでも申しましょうか、闇から光に視線を転じるかのような、えも言われぬ美しさに心底魅了されたのです。
長年フランス文学を研究する一方で、深層から日本の文化・伝統を世界に伝えて日本への理解を深めたいと念願して、非力を振るってきましたが、皇后陛下の限りない霊性世界の深さを、御歌の翻訳をとおして少しでも伝えられるならばと考えて、ついにはパリに五年あまり移り住んで、フランス語訳に取り組むこととなりました。
皇后様となられてからのもう一つの大きな変化は、世界で起こる大きな出来事、歴史、抑圧された人々の心情などに一層の注意を払われ、思いを分かち合う御歌を多く読まれるようになっていったことです。
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湾岸の 原油流るる 渚にて
鵜は羽博(はばた)けど 飛べざるあはれ
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窓開けつつ 聞きゐるニュース 南アなる
アパルトヘイト法 廃されしとぞ
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被爆五十年 広島の地に 静かにも
雨降り注ぐ 雨の香のして
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私がとりわけ感動させられたのは、平成十三年に詠まれた次の御歌でした。
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知らずして われも撃ちしや 春闌(た)くる
バーミヤンの野に み仏在(ま)さず
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それより二十年前に皇后様は、アフガニスタン御訪問中に、広大な仏跡、バーミヤンをお訪ねになって、二体の巨大な磨崖仏が、「異教徒」によって顔面を削り取られて立つ様に衝撃を受けて作歌されていました。
ここではさらにタリバンによって破壊された光景をテレビでご覧になってショックを新たにされています。
しかし、世界中でいったい他の誰が「われも撃ちしや」と声をあげたことでしょうか。
出来事への世界の無関心が、結局はこの惨状を招いたのではなかろうか、自らもその責任を免れない・・・・との深い内省のお言葉なのです。
多くの深刻な出来事をご自身の問題として受け止める。
これ以上高い道徳の姿勢というものは考えられますまい。
美智子様はそれが自然におできになるお方であり、
御歌の内面の美の輝きとして出ていると言えるのではないでしょうか。
皇后美智子様の御歌を西洋に伝えることは、私にとって単なる「翻訳」ではありませんでした。
こよなき日本語をこよなき外国語に移すことはすなわち、言霊の橋を架けることであり、その背後には、「日本的霊性」が如何にして異文明に伝わりうるやとの難問が控えているからです。
翻訳に着手したのは平成十三年からのことで、古巣のパリにおいてでした。
フランス語の言霊はフランスでなければ働かないと考えたためです。
そして、皇后さまの許しと宮内庁のご協力を得て、「瀬音」から四十七首、それ以降の作歌から六首、あわせて五十三首を、皇后様のお目通しを経て、日仏翻訳陣を立てて訳させていただくことになりました。
最大の難所は、最後の五十三首目、平成十六年の歌会始で発表された
「幸」と題するお作品でした。
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幸(さき)くませ
真幸(まさき)くませと 人びとの
声渡りゆく 御幸(みゆき)の町に
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紛れもない名歌であるゆえに、みだりな訳は一語もゆるされず、
しかも、「さき」「まさき」「みゆき」と、さながら鶯の谷渡りのように転じる音色を、どういう訳にしたらいいのか。
第一、「幸」という御題をどう訳すか。
議論百出となりましたが、これはただの個人的「幸福ーハッピネス」ではないという点では、皆同意見でした。
幸い私は、平成十四年の歌会始の儀にお招きを受け、このお作品が天皇陛下の御製に先立って朗読されるのをその場で拝聴しその感動を抱き続けておりましたので、その時の御製、
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人々の 幸ねがいつつ 国の内
めぐりきたりて 十五年経(へ)つ
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を翻訳グループに紹介し、
「この御製は皇后様の御歌とアンサンブルをなすものです。
陛下が表明されているのは、ひとえに道徳的高みからの国民の幸福ということであり、ご自信については無私の御心が表現されているのです」と説明しました。
するとメンバーの一人が感動してこう言ったのです。
「分かった。その幸は《 フェリシテ=至福 》だよ! 
《 幸くませ 真幸くませ 》は 
《 至福を 高き至福を 》と訳したらどうだろう」と。
まさに、言霊の橋が架かった瞬間でした。
こうして3年の月日をかけてすべての翻訳を訳し終わりました。
翻訳者として私は、「セオトーせせらぎの歌」の調べが、文化的背景のまったく異なるヨーロッパでどのような音色を響かせるであろうかと楽しみにしていましたが、本が出るや、反響は予想を超える深いものがありました。
またそれはフランスだけに留まらず、遠くアフリカのアンゴラにまで広がっていきました。
フランスのシラク大統領からは次のような賛辞を頂戴しました。
「この御本には、和歌の持つ息吹の力と、魂の昂揚力とが、絶妙に表されております。
おかげをもちまして、かかる世界に目を見開かされました」
ここに簡潔に言われた
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和歌の持つ息吹の力と、魂の昂揚力
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これこそは私が最も伝えたかった、皇后様の御歌の言魂をつうじての大和心にほかなりません。
人々の心に「橋を架ける」、皇后様の悲願のほんのわずかでも、もしこれで果たせたならばと、喜びを噛みしめた次第でした。
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