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自衛隊災害救助

「自分は被曝2世」…1人原発へ
「無理はせんけん。させんけん」
★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」
2011.05.12
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110512/dms1105121135001-n1.htm
自衛隊消防隊による原発への放水作業が始まったが、水量は決して満足なものではなかった。そこで3月18日、東京消防庁ハイパーレスキュー隊が投入された。
ところが、準備に手間取り放水ができない。
「消防隊は下がれ!自衛隊が出ろ!」


焦りのあまり政府の対策本部から怒号が飛ぶ。しかし、防衛省幹部は、今、彼らを下げて自衛隊が代わることによる効果や、かかる時間を考慮すると、即断は慎むべきと考えた。
それに、せっかく来てくれた彼らの誇りを傷つけることは避けたい。決断は現場に預けるように懇願した。
じりじりと1時間が過ぎたその時だった。ハイパーレスキューの消防車から水が噴き出した。
「やった!」
自衛隊とハイパーレスキュー隊員は、涙ながらに固い握手を交わした。
彼らが去った後も、自衛隊消防隊の活動は続き、むしろ、厳しい要請が向けられるようになった。
午前の放水を終え、原発から20キロ離れたJヴィレッジに、やっと戻ったとき、再度出動を求められたことがあった。
放水にあたる一連の作業は手間がかかる。まず消防車にタングステンシートを張り詰めるなどの準備を行い、Jヴィレッジから原発までは、地震による悪路のため1時間かかる。
2時間の放水をし、戻ってから全員が放射線量の計測をする全行程で、約8時間は見込まなければならない。その頃には皆、疲労困憊していた。
「まだ、線量も計ってないのに、行けねーよ!」
若い隊員は思わず叫び、周囲の者も騒ぎ始めた。
その時、その場の指揮官が立ち上がったと思うと、防護服を着込んで出ていった。1人原発に向かったのだ。
自ら4号機の前で線量を計り、安全を確認した後に帰ってきたトップの姿を見て、もう誰にも迷いはなかった。
「オレたちも行こう」
自ら示した命懸けの姿に納得したのだ。
「指揮官は男らしいな、きっと九州男児だな」
海自隊員が何気なく言った言葉に、1人の陸自隊員はハッとした。かつて、「自分は長崎出身の被曝2世だ」と教えてくれたことを思い出したのだ。誰より放射能の恐ろしさを知っているはずだ。
そんな思いが伝わったのだろうか、指揮官は独り言のように言った。
「大丈夫だ。無理はせんけん。させんけん」
数日前まで名前も知らなかった隊員たちが、心を一つにした瞬間だった。
■さくらばやし・みさ1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく-知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター-祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。
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原発所長は涙ポロポロ…自衛隊幹部「最後は我々が必ず」
2011.05.16
★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110516/dms1105161141000-n1.htm
福島第1原発対処をめぐって、陸上自衛隊隊員の間では、ちょっとしたモメ事が起きた。
「ダメです班長!」
通常、消防車は3人で乗り込むが、いざ突っ込むことになったとき、被曝量を最小限にするために2人で突入することになったのだ。
「オレが行く」という班長に、あとの若い2人が語気を強めて言った。
「独身者の自分たちが行きます。何かあったら奥さんに合わせる顔がありません!」
新婚の班長に対し、初めて意見具申した。
「独身は将来があるんだから行くな」
そう家族持ちが言えば、「家族持ちこそ、守るべき人がいるんだから行っちゃいけない」と反論する。そんなやり取りが繰り返された。
そのうちに、「もう希望をとるのはやめてください。『行け』と言ってください」と多くの隊員が言い出した。
海上自衛隊では「年寄りが行こう。若い連中は未来がある」と、40歳過ぎが集合した。
実は、1991年の4月、海自の掃海部隊がペルシャ湾に派遣され、これが自衛隊初の海外での活動となったが、その際、危険な機雷の見張り任務を進んで請け負ったのは、当時40代以上のベテランたちだった。「年寄りに任せろ」は、その時のセリフだ。
あれから20年、当時の「若い連中」が自称「年寄り」になった今、歴史は繰り返されている。
しかし、海自らしく、洋上での出来事ならともかく、まさか原発に突っ込んでいくことになるとは、想像だにしなかっただろうが…。
震災3日後に爆発事故が起きたことは、確かにショックだった。しかし、その後、自衛隊幹部は、現場責任者である東京電力の所長を訪ねている。
「『安全です』と言いながら事故を起こしてしまった」と、所長は深々と頭を下げたが、投げかけられた言葉に耳を疑った。
「大丈夫です。もう隊長も復帰しました。最後はわれわれが必ず助けます」
責められ、罵倒される覚悟だった所長の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
支え合わなければ、この国難を乗り越えることはできない。街から灯りが消えたが、東電関係者の心の内も暗闇に違いない。そんな中では「人の真心」だけが唯一の灯だ。批判されながらも、命令一下、現場で汗を流してきた自衛官には、それがよく分かっていた。
自衛隊消防隊などはすでに帰隊している。しかし、今も福島では自衛隊による除染作業など、必死の活動が続いている。
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理屈を超越した「勇気」と「決断」強く優しい戦士たち
★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」
2011.04.18
連載:誰かのために
「もう、やめた方がいいですよ」
陸自隊員がひたすら水中捜索をするところに通りかかった警察官が、傍にいた防衛省職員に声をかけた。
水死したご遺体は、しばらく水面に浮かんだ後すぐに沈み、1週間ほどたつと炭酸ガスがたまって再浮上するが、やがてまた沈む。その後は浮かんでくることがない。
すでに、その時期になっていたことから、見かねた警察官が忠告したのだ。
中隊長にそのことを告げると、
「分かっているんです。
分かってはいるんですが、どうしてもやめられないんです。
合理的でないと言われれば反論はできません。
でも、どうしても…。私の判断は間違っているんでしょうか?」と言う。
効果の上がらない作業に従事させることが是か非か。長い沈黙の後、
「そのまま作業を続けてください」と答えた。
ある学校を通りかかった小隊が、先生から、「どうしても金庫に閉まった成績表を引き上げたいんです」と頼まれた。
子供が行方不明のままの親御さんに、せめてもの形見にしてあげたいという。
泥沼の中から金庫を取り出すのは至難の業だったが、小隊全員でなんとか地上へ。
そこに視察中の上官が通りかかった。
小隊長が慌てて、
「すみませんでした。今後は捜索に集中しますので、今回だけは見逃してください」と懇願したところ、「素晴らしいことだ」と逆に褒められたという。
厳密に言えば「非効率」「ルール違反」なのだろう。
しかし、人の大事にする物を自分も大事にする心は理屈を超越する。
それを決断し、また、見逃す勇気が彼らにはある。
無理だと誰もが思っても、むなしい時間だと知っていても、人々は毎日、同じ場所に来て行方不明の家族を探す。
その側で懸命に活動する自衛官の姿が、どんなに支えになっているだろうか。
「俺、自衛隊に入る」
ポツリと小学生が言った。なぜ?と聞くと、次のようなことだった。
津波にのまれた父親が帰って来るのではないかと毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声を掛けられた。理由を話すと、その自衛官は何も言わずに肩に手を置いて、しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。
震災の悲しみを乗り越えたとき、彼らの姿はもう被災地にはないかもしれない。
しかし、強く優しい戦士たちの物語は日本人の心に刻まれるだろう。
震災から1カ月。この春もまた、自衛隊の新隊員教育が始まった。
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引用以上
いくら過酷な訓練をしているとは言っても、自衛官の皆さんも同じ人間です。
肉体的にも精神的にも辛い作業をする自衛官の皆さんの、苦悩、困難は如何ばかりかと思いますが、責任感、使命感、優しさ、謙虚さでそれらを表に出さず、黙々となすべき事をされる隊員の皆さんは、私たちの誇りであり、ヒーローです。
ありがたくって、感謝せずにはいられません。
全ての記事を、目をうるうるしながら読みました。
宰相不幸社会(最小不幸社会ではありません)の今の日本に、こんなに素晴らしい自衛隊がいてくれたことが救いです。
他の記事は↓こちらから見られます。
誰かのために
http://www.zakzak.co.jp/society/rensai/society-r15491.htm
記事一覧
原発所長は涙ポロポロ…自衛隊幹部「最後は我々が必ず」5.16
無口なる勇士の活動、世に知られない「努力や功績」5.13
「自分は被曝2世」…1人原発へ「無理はせんけん。させんけん」5.12
「何で、父ちゃんなの?」任務恨まず、士気は旺盛5.11
福島の熾烈な戦い「隊長が最初に突っ込んだんだ、オレたちも」5.10
自衛隊員に迫る桜林美佐さん連載「誰かのために」第2部スタート5.6
何ができるかのか…“繊細”な分析は厳しい訓練の賜物5.6
理屈を超越した「勇気」と「決断」強く優しい戦士たち4.18
募る自責の念「もっとキツいことを」「もっとやらねば」4.15
代わりのいない重圧“涙”の全力陰のヒーロー「業務隊」4.14
奮闘する女性自衛官「ひと時でも心和んでもらうこと」4.13
「諦めるな!1人でも多く救い出そう」4.12
想定外の要望でも「何とか」後方支援部隊の奔走4.11
「試練は乗り越えるためにある」復旧作業する隊員たち4.8
部屋は他部隊に譲り、食料は住民に滑走路使えず「できる…4.7
復興へ…全員の心が一つになった「滑走路を1日でも早く」4.6
「危ない!引き返せ」サイレンにかき消される声4.5
「これは訓練ではない」4.4
ハートを届けることも任務4.1
車両の裏に隠れて食事3.31
子供たちの前で涙見せられぬ寒さと恐怖と不安3.30
自分の事を後に回し「ありがとう」しか出てこない3.30
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すべて隊員さんの熱く優しい思いが伝わる記事ばかりです。
自衛官の皆さん、本当にありがとう・・・・。
↑以上は、日心会MLでKさんから教えていただいたものを転載させていただきました。
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