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日の出02

さて、昨日の記事で予告しましたジョージ・アチソンの「日本占領22カ月を顧みて」の文を、全文掲載したいと思います。
ご一読いただければわかりますが、前段から中段にかけてアチソンが述べていることは、旧・帝国日本の全否定であり、GHQが日本国憲法の名のもとに日本に与えた数々の施策への自画自賛です。
戦後日本の構造的問題点の原点にあたる戦後史観が、ここに全部述べられています。
これが書かれたのが昭和22(1947)年、いまは平成23(2011)年です。
まる64年も経っている。
にもかかわらず、いまもなお、このGHQが作文した戦後史観に、日本人の多くが染まり、それが国是とまでされているというのは、なさけなさを通り越して、もはや滑稽です。
私たち戦後の日本人は、これを実際、なんの疑いも持たず全部まるごと無批判に受け入れてきた。
ところが後段を読むと、


日本が素晴らしい国として発展していくために必要なこととして、アチスンは、日本人の持つ勤勉忠実、日本にあるあらゆる機構の一致協力であり、製造業の持つ工業力であると明言しています。
勤勉忠実、一致協力、工業力は、戦前の日本が国是としてきたことです。
しかも戦前の日本は、世界の人類はみんな兄弟、家族であるとして人種の平等を高らかにうたいあげ、世界で唯一、侵略主義、支配主義の欧米列強の強力な軍事力を相手に戦ってきた。
そしてその精神こそが日本の発展にもっとも必要なことであると、なんのことはない、アチスン自身が、明言しているのです。
原文は、昨日も書きましたように英文です。
訳は、上井義雄さんの訳を利用させていただきましたが、横書き口語体にするうえで、ねずブロ流に、意味を変えない程度にすこし手を入れさせていただいています。
なお、ジョージ・アチスンは、これを書いた翌月、飛行機事故で亡くなっています。
日本が、アチスンの亡霊から、一日も早く目を覚ますために、あえて、本日ここに、アチスンの遺稿をアップします。
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【日本占領22カ月を顧みて】
ジョージ・アチスン
1947/7 著
マッカーサー元帥の件名にして理解ある指導と管理のもとに、日本占領は史上その例をみないくらい恵まれたものとなっている。
日本占領22カ月を経た今日において、かつて残忍かつ冷酷な指導者たちの悪逆行為により日本人がこうむった多くの損害と、敗戦の結果与えられた多くの利益と恩恵との棚卸しを行ってみるとき、現在の日本国民は何を見出すであろうか。
日本国民は、なかでもとくに、つぎの物件を失ってしまった。
すなわち、650万の兵力を有する強大な軍備であり、その費用は日本国民を低位な生活水準に縛り付けたものである。
幾千の軍用および民間航空機、幾百万の兵器、さらに膨大な軍需物資・・・これらはすべて計り知れぬ国庫と人力を犠牲にして生産されたものである。
つぎに国民の莫大な膏血をしぼり、あらゆる産業を動員して不利益な戦争の用具を作らしめた海軍がそれである。
さらにまた満州に、中国占領地域に、また北鮮、樺太、千島に集中された膨大な富の蓄積である。
これらは主として、工業施設その他に用いられ、その経済価値はまったく戦争と侵略に向けられたのである。
戦備のために要した日本国民の負担については、けっして計算せられなかった。
昭和19年度の軍事予算のみでも、国庫支出の8割3分を占めていた。
ほとんど日本人の生活に耐えがたき負担が浪費されていたのである。
日本人が平和への道に足を踏み入れてから、侵略主義の精神を失った・・・これは永久に失ったことを希望する。あの旧指導者たちの諸政策は、日本国民に経済的破滅をもたらし、困窮と苦難のみを与えた。日本人は一時的には繁栄と慰安を失った・・・・しかし平和な経済安定への望みは失われたものではない。
経済安定よりきたる余慶は、日本人が平和生活をいとなむ新しい機構を作り上げるにしたがって、以前よりまして広範囲に分配されるであろう。
その次に、日本国民は、敗戦と解放とを通じてなにを得たであろうか。
大衆はもはや団体的組織に服するころなく、国民はもはや奴隷化されることもない。
国民はもはや、警察や官憲の前に委縮するに及ばない。
各人の家庭は不可侵物となり、不法侵入、家宅捜索、または暴行を受けることもない。
日本国民は、その選ぶところにしたがい「己の欲するところを人に施せ」という黄金律をもって、人間の基本的な行為とするキリスト教に改宗する人は増加しつつある。
日本人は公共のことがらにつき、自由に自らの意思を公表し、また集会訴願の権利を享受する。
日本人は、あるいは個人的、あるいは集団的に不正なる労働行為または労働条件の是正を要求する権利を享受する。
180万の日本人の子弟は、すでに学校に復帰し、自由主義的にして公費による教育を受ける権利を得ている。
国民は、民主的な国家に特有な原則に応ずるため、日本政府を改造し、これによって真に民主的な社会の構成員となるため、各自の生活を調整すべく長足にして有効な進歩を遂げた。
個人、階級または官憲による権力の乱用を有効に阻止するため、新憲法は主権在民を規定し、人権を十二分に保障している。
選挙上の差別待遇は撤廃され、基本的な参政権は拡張されて婦人におよび、また選挙年齢は引き下げられた。
全体主義的な統制を助長した根引き官僚制度の積弊を根絶するための改革のメスは、政府機構のあらゆる部門および階層に加えられ、行政組織のあらゆる部門に及んでいる。
軍国主義、領土拡張論、さらに超国家主義を鼓吹し、日本の非神聖なる侵略政策を樹立した責任者は公職より追放せられ、新しき指導者に席を譲った。
政府と財閥の結託による企業の自由の制限は、断固として撤廃された。
また農地改革計画により、200万の小作人は、自己の耕作せる土地を購入することができるようになった。
ことに肝要なことは、日本人が民主主義の基本的な体制を獲得したことである。
その体制を完成し、改良し、つねに修理をほどこすことは、日本国民に課せられた任務であろう。
日本国民の将来・・・すなわち極右または極左のいずれの軍隊的組織に退歩するか、もしくは民主主義をさらに発展せしめ、日本人の生活の中に織り込むか・・・これはすべて国民の双肩にかかっているのである。
追放された軍閥と財閥を除いては、敗戦による利益は、損失よりもはるかに多いといわない日本人はないであろう。
昭和20年9月22日、ホワイトハウスより公表せられたアメリカ合衆国最初の日本占領政策は、つぎのように声明されている。
===========
日本の諸政策は、国民に徹底的な経済的破滅を与え、経済的困窮と苦難のルツボの中に投げ入れた。
日本の窮状は自業自得であって、連合軍はその損害の修復の責を負わないであろう。
日本国民にして、あらゆる軍事目的を放棄し、ひたすら平和なる生活にまい進するときにのみ、日本の窮状は回復せられる。
日本人には、物質的に努力すること、経済活動ならびにその施設の性質と方向を深く改革すること、さらに平和に適合し、平和にいそしむ線に沿って国民に有用な仕事を見出すことが必要であろう。
連合国は、これらの目的を完遂するに妨げとなるがごとき、いかなる条件をも強制する意思はない。
・・・・・・・
日本政府は、つぎの目的に応ずる計画の維持、発展ならびに遂行を期待されるであろう。
すなわち、急激な経済不況の防止、入手しうる物資の正当かつ公平なる分配の保証、さらに国民の正当な平和欲求を満たすための日本経済復興の促進である。
・・・・・
日本政府は、自らの責任に基づき、重要な国家的公共事業、財政、金融、さらに重要物資の生産ならびに配給をふくむ経済活動の統制を確立し実施することを許されるであろう。
ただし、占領目的に合致せしめるために、最高司令官の事前承認と事後点検を条件とする。
============
日本国民が、ドイツ、ポーランド、その他大多数のヨーロッパ大国よりも、多くの食料、衣料、住宅および光熱を持っていることは、一般には知られていない。
この事実はもちろん、日本現在の経済的窮状を減ずることにはならず、この窮状は将来ある期間は続くであろう。
しかし私は、転換期はすでに到達していると信ずる。
新政府の経済計画は頼もしく思われる。
それは現実のルツボの中に試練されることであろう。
それがたくましく実行され、日本全国民の熱烈なる支持と協力を得る暁には、成功するであろう。
日本にはいまや民間貿易が再開されようとしており、2~3カ月中には、日本の輸出は増加の一途をたどる原料その他必要物資の輸入と交換されることが期待されている。
アメリカは日本人の平和時の必要を満たすため、日本経済の維持および復興を助けんとして努力してきた。
アメリカは、何千ドルにも値する食料、綿花、石油、その他必需品を日本に輸入した。
このことは、実質的に対日クレジットの供与となっている。
連続的なアメリカ政府の援助に加えて、日本の製造業者がまもなく、アメリカ民間資本ならびにクレジットを受ける喜ばしい見込みが出てきた。
道はなお険しく長いであろう。
成功の要は、すべての日本人・・・今日国民を代表する経済当局者ならびに工場、銀行、商店、農場など、あらゆる分野で働く人々・・・が一致協力することである。
日本人は、世界で最も勤勉忠実な国民に数えられている。
私は、日本国民が将来に十分希望を持ちうることを確信している。
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アチスンのレポートは、以上です。
戦後大改造された日本は、いまふたたびそれに匹敵する大改造を施して、失われた多くを取り戻し、本来の日本の心を蘇生させた新たな日本を築くべきときに来た。
ボクは、そう確信しています。
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