
横浜の歌というと、みなさんはどんな曲を思い浮かべられるでしょうか。
石田あゆみの「ブルーライトヨコハマ」でしょうか。
それとも五木ひろしの「よこはまたそがれ」でしょうか。
「ブルーライトヨコハマ」は、昭和43(1968)年12月にリリースされ、100万枚を超える大ヒット曲となった曲です。
「よこはまたそがれ」は、昭和46(1971)年の曲で、第13回日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。
どちらも横浜を代表するご当地ソングとして有名です。
そういえば横浜の歌としては、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」なんてのもありましたね。
けれど、世界的に有名なのは、実は「横浜市歌」です。
「横浜市歌」というのは、明治42(1909)年に、横浜開港50周年を記念して作られた歌で、作詞がなんと森鴎外。
作曲は「村祭り」や「村の鍛冶屋」を作曲した南能衛(みなみよしえ)です。
曲の発表から、すでに100年以上を経過し、いまなお愛唱されている市歌というは、パリの「シャンゼリゼ」と並んで、世界でもめずらしい。
横浜市では、いまでも市立の小学校では校歌とともに歌唱指導され、毎年1月の成人式、3月の卒業式、4月の入学式や、6月2日の開港記念日などで演奏・斉唱されています。
ちなみに横浜港の大桟橋に、豪華客船が入港する際にも、この「横浜市歌」を行進曲風にアレンジしたものが演奏される。
歌詞も素晴らしいです。
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【横浜市歌】
1 わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
2 されば港の数多かれど 此横浜に優るあらめや
むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
3 今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
果なく榮て行くらん御代を 飾る寶も入り來る港
【口語訳】
我が日本は島国で、
朝日が輝く海に連なりそびえる島々の国なので、
あらゆる国から船が通ってくる。
だから港の数は多いけれど、この横浜に勝る港はないのです。
昔は、横浜は、粗末な家からちらほらと炊事の煙があがる寂しいところでした。
けれど今では、たくさんの船が停泊する活気ある港です。
果てしなく栄えてゆく世を彩る文物が、今日もはいってくる港です。
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歌詞は短い文章ですが、よく読むと、1番で国家観、2番で歴史認識、3番で過去への感謝と現在と未来への創造が織り込まれています。
さすがは森鴎外だと感心します。
横浜の人々は、自分たちのことを「浜っ子」と呼んで、それを誇りとしています。
なんとなくいまの日本では、隣に誰が住んでいるのかさえも知らないのが普通であるような感覚を持っていますし、それが「気楽」で、「幸せ」なことであるかのような風潮があります。
けれど、東日本大震災の被災地の避難所にみられるように、何かあれば地域、地元で互いに助け合わなければ生きていけないのが、人というものです。
人は、人と人との関係の中で、はじめて人として成長することができる、といいます。
ということは、人と人との関係を断ち切ったのが「かっこいい都会暮らし」などと気取っている戦後人は、もしかすると誰かに扇動されて、日本人としての成長を阻害されているだけの、実に情けない人々ということになるのかもしれません。
日本を取り戻すという運動は、もしかするとご近所コミュニティや、自分の住む地域の誇りを取り戻すという運動にもつながることなのかもしれませんね。
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