
23日の土曜日に、埼玉県大宮市にある青葉慈蔵尊に、日心会関東の仲間とともに行ってきました。
大宮駅で待ち合わせし、バスに揺られること10分。降りて5分ほど歩いたところに、青葉墓苑があります。
広大な敷地の美しい花に覆われた墓苑で、その中ほどのとろこに、慈蔵尊はありました。
高さは2メートルくらいでしょうか。
とてもお優しい顔をしたお地蔵さんです。

嬉しかったのは、おそらく多くの方がお参りに来てくださっているということ。
お慈蔵さんの足元には、まだ新しいたくさんの花と、そしてどなたがお作りになったのでしょう。
ま新しい千羽鶴が、雨に濡れないよう袋にはいって、たくさん置かれていました。
お慈蔵さんの斜め後ろに、「青葉慈蔵尊由来」という碑文が立っていました。

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昭和21年春
ソ連占領下の旧満州国新京の第八病院に従軍看護婦34名が抑留され勤務していたが
ソ連軍により次々に理不尽なる徴発を受け
その9名の消息も不明のまま更に4回目3名の派遣を命ぜられた
拒否することは不可能であることを覚悟したその夜
最初に派遣された大島看護婦が満身創痍瀕死の身を以って逃げ帰り
全員耐え難い凌辱を受けている惨状を報告して息絶えた
同国してこれを葬った22名の彼女たちは
6月21日黎明近く
制服制帽整然として枕を並べて自決した
先に拉致された同僚たちも
恨みを呑んで自ら悲惨なる運命を選び満州の土と消えた
23年の春
掘看護婦長に抱かれて帰国した22柱の遺骨は
幾辛酸の末 漸(ようや)く青葉園園主の義侠により此処に建立された青葉慈蔵尊の台下に納められた
九名の友の霊も合わせ祀られ
昭和三十一年六月二十一日開眼供養が行われて今日に至った
凛烈たる自決の死によってソ連軍の暴虐に抗議し
日本女性の誇りと純潔を守り抜いた白衣の天使たちの 芳魂 とこしえに此処に眠る
合掌
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碑文に「遺骨は慈蔵尊の台下に納められた」とあります。
彼女たちのご遺骨が、ここに眠っている。
ボクたちは、お慈蔵さんの周囲を掃除し、水をあげ、花を添え、お線香を焚いてひとりひとりみんなで手を合わせました。
この碑文を建てられた方々は、同じ日本の同朋として、未来永劫、ずっとずっと彼女たちの霊を弔うとともに、彼女たちの悔しさを忘れず、二度と同朋たちが同様の目に遭うことがないよう日本という国を護り抜く強い決意を、この碑文に込められたのだと思う。
この霊園は、山下奉文大将の記念館があり、英霊鎮魂の鐘などもあります。
また、沖縄戦で命を失われた牛島中将のお墓もある。
そういう墓苑です。


どこぞのサイトでは、満州国従軍看護婦自決のお話は、ねつ造だと書いている。
ボクたちが生まれる前の出来事です。
そういう意味では、ボクたちはその場を見てきたわけではない。
けれど自決した看護婦たちがいて、そのご遺骨を命がけで持ち帰ってくださった婦長さんがいて、その話をしているのが婦長さんひとりだけの証言だから嘘だと決めつけるという、そういう底意地の悪さが、ボクには納得できない。
人の命がかかっているんです。
許せない。
昨日も書きましたが、日本人であれば、この2700年の間に、みんながどこかで血がつながっている同胞です。
日本人として、同じ同朋が酷い目に遭わされたというならば、そのことをずっと伝える、語り継ぐ。手を合わせる。
それが普通の日本人だと思うし、そんなことは世界中の誰もが当然のことと納得する。
そうでないのは、共産主義にかぶれたか政治的になんらかの偏向をしたか、頭がおかしくなったバカ者です。
残念なことに、いまの日本は、そういうバカ者どもが経済を握り、内閣を組閣し、そのバカ者たちの中の大バカ者が総理になっている。
けれど、そういう社会を招いたのは、他の誰でもない。私たち日本人です。
とかく政治の世界では、誰かを悪者にして溜飲を下げたり熱くなったりするところがあるようだけれど、大切なことは、そういう現実を招いたのは他の誰でもない、私たち自身であるということをまず認識すべきです。
だからこそ、気がついた人から変わらなきゃならない。
変わったら、語らなきゃならない。
日本を取り戻すための、日本が普通の日本になるための努力を、自分でできるほんのちょっとの努力でもいい。気づいたら、する。
そういうことが大切なことなのだろうと思います。
満州従軍看護婦実話(1)
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