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長春
長春

場所は、張春市内にあるミナカイデパート跡で、その地下のダンスホールに、ソ連陸軍病院第二救護所に送られた8名が生きてダンサーをしている、というのです。
堀婦長は、矢も楯もたまらず、その足でダンスホールに駈けます。


このダンスホールは、中は十畳ほどの広場になっていて、客はソ連人。働いているのはソ連人と中国人で、ダンサーは日本人、朝鮮人、中国人です。
入口から中に入ろうとすると、ソ連人がそこにいて、入室を拒みます。
けれどどうしても彼女たちが気がかりで会いたいと思う堀婦長の迫力に圧倒されたのでしょう。
その入り口にいたソ連人は、隅にある小さな部屋で待っていろ、という。
部屋にひとり待っていると、ガチャリと音がして、扉が開きます。
そして肌もあらわな派手なパーティドレスを着た女性たちが部屋に入ってきた。
「ふ、婦長・・・」
「婦長さん!!」
「みんな・・・」
もはや堀婦長にも、彼女たちにも言葉はありません。
互いと会うことができた。
それだけで涙があふれた。
しばらくして落ち着くと、堀婦長は言った。
「大島さんがね・・・」
「知っています。同僚たち22名が集団自決したことも聞いています。」
「だったら、こんなところにいないで、早く帰ってきなさい!!」
「・・・・」
「あなた達の気持ちは、痛いほどわかるわ。
だけど帰ってきてくれなかったら、救いようがないじゃないの」
8名の看護婦たちは、その婦長の言葉に、うつむいて黙ってしまいます。
そして堀婦長は気付きます。
自分の言葉が、あまりに一方的だった。
彼女たちからすれば、そんな単純なものではなかったのです。
眉を細く引き、口紅を赤くし、ひとりひとりの顔は、以前の看護婦に違いないのですが、8人とも、まるで生気が感じられない。
それどころか、目をそらして堀婦長の目から逃れようとさえする。
堀婦長は心を鬼にして言った。
「どうして黙っているの?どうして返事をしないの?
そう、あなた達は、そういうことが好きでやっているのね」
ひとりが答えます。
「婦長さん、そんなにあたしたちのことを思っていてくださるのなら、お話します。
私たちは、ソ連軍の病院に行ったその日から、毎晩7、8人のソ連の将校に犯されたのです。
そして気づいてみたら、梅毒にかかっていたのです。
私たちも看護婦です。
いまではそれが、だいぶ悪くなっているのがわかるのです。
もう、私たちはダメなのです。
もう、みなさんのところに帰っても仕方がないのです。
仮に、幸運に恵まれて日本に帰れる日が来たとしても、こんな体では日本の土は踏めません。
この性病がどれほど恐ろしいものか、十二分に知っています。
だから、だから私たちは、移したソ連人に、逆に移して復讐をしているのです。
今はもう、歩くのにも痛みを感じるようになりました。
ですからひとりでも多くのソ連人に移してやるつもりで頑張っている・・・」
もう何も受け付けない。
もう何を言っても、彼女たちには通じない。
彼女たちを覆っているのは、もはや完全な孤独と排他と虚無しかない。
彼女たちのその言葉を聞いたとき、堀婦長は流れる涙で、何も言えなくなってしまいます。
自分の人選です。
責任は自分にある。
彼女たちが負った傷の深さ、過酷さを思えば、彼女たちが選択したことに否定や肯定をするどころか、何の助言さえもしてあげれない。
ただただ、自分の無力さに悔し涙が止まらないまま、この日、さいごは、気まずい雰囲気のまま部屋を後にします。
けれど、このままでは済まされない。
なんとしても彼女たちを助けなければ!!
堀婦長は、その日の夜、ひっそりと静まり返って誰もいなくなった薬剤室に入り、梅毒の薬を持ち出します。
そして翌日、ふたたびダンスホールへと向かった。
通されたのは、昨日の部屋です。
女ばかり9人が、そこに集まった。
婦長はせいいっぱい元気よく明るく彼女たちに声をかけます。
「みんな!今日はお薬を持ってきてあげたわ。みんなの分、たくさん持ってきたから!
あなたたちは、まだ若いのよ。
復讐する気持ちはわかるけれど、それでは際限がないじゃない!
それよりも、この薬を飲んで、一日も早く体を治してちょうだい。
そしてね、気持ちを立て直して、生きることを目標に努力しようよ!」
「婦長さんのお心はありがたいと思います。
だけど婦長さん。
そのお薬は、日本人が作ったものです。
そんな貴重なものは、私たちには使えません。
私たちのことは、もういいんです。
本当に、もういいんです・・・・」
「そんなことを言ってはダメ!
お願いだからあきらめないで!
お薬、ここに置いていくわ。
それじゃ、帰るわね・・・」
「ふ、婦長さん。
そんなに私たちの気持ちがわからないなら、わかるようにしてあげます。」
彼女の中のひとりが、そう言ってスカートをたくしあげ、自分の性器を露出します。
梅毒は、性器全体に水泡ができてそこがただれて膿が出る。
さらに尿道口も膿が出て、排尿困難、歩行困難が起こり、性器が腐り始める。
広げた足の間に典型的な梅毒の症状があった。
あまりにむごい姿です。
もはや手遅れかもしれない。
けれど、病気は弱気になったら負けです。
堀婦長は、きっぱりと彼女たちに言います。
「この程度なら、時間はかかるけど、必ず治ります!
根気よ! 薬は十分あるのだから、あなた達も、絶対に良くなるんだという強い気持ちで治療するのっ! いいわね!」
「治らない、治りっこないなんて、勝手な思い込みはやめなさい!
もう商売はしてはダメよ。
良くなるのよ。
毎日お互いに声をかけあって、手抜きをしないで治療するの。いいわね!」
こうして彼女たちは、わずかでも「治る」という希望を持って、治療を受けると約束してくれます。
薬の調達は容易ではないです。
ただでさえ、日本人の医師や看護婦に扱える量は少ないのです。
それでも堀婦長は、彼女たちを助けたい一心で、薬をすこしずつ確保し、貯めた薬が一定量になる都度、彼女たちのもとに、お饅頭と一緒に、薬を届けるために通い続けた。
お饅頭と、堀婦長の誠意、そして日、一日と軽くなる体に、彼女たちの目にも少しずつ光が宿りはじめます。
このような彼女たちとの関わり合いは、帰国命令の出る昭和23年まで続いたそうです。
そしてまる2年越しの交流の中で、堀婦長は、彼女たちがひどい仕打ちを受ける以前よりも、彼女たちにたいしてより深い愛情を持つようになった。
「一緒に日本に帰ろうね」
その言葉を、彼女たちにどれほどかけたでしょう。
けれど、敗戦の混乱が続く日本に帰ったとしても、楽な生活など待っているはずはありません。
けれど、みんなと仲良くしながら、苦労をわかちあい、助け合って生きていくんだ。みんな、私が面倒みてあげるんだ。
堀婦長は、そう固く決意をします。
昭和23(1948)年9月、張さんが病院にバタバタと駆け込んできます。
長春にいる在留邦人に、帰国命令が出た、というのです。
そしてその日の午後7時に、一週間分の食料を持参で南新京駅に集合することになっている、といいます。
急な話です。
「時間がない。あの娘たちに知らせなければ」
堀婦長は、二人の子供たちに、とにかく準備をするようにと言い残し、自分の身支度も忘れて、彼女たちのもとに走ります。
「みんな一緒に日本に帰れるんだ」
走りながら堀婦長の目には涙が浮かんだ。
ダンスホールに着くと、婦長は、彼女たちに面会を求め、「午後7時に南新京駅に集まるように」と話します。
わーい、帰国命令だぁ、良かったぁ~!!
彼女たちは、満面の笑顔で答えてくれた。
ほんとうにうれしそうだった。
「きっと来てくれるわね?」
「婦長さん、ありがとうございます。7時までには準備して、必ず参ります」
「必ずよ! 準備をして、必ず来てるのよ」
婦長もうれしくてたまりません。
「みんな一緒に帰れるんだ」
こだわりはあることでしょう。ないはずなんてありません。
けれど、自分がなんとか彼女たちを立ち直らせてみせる。
絶対に立ち直らせてみせる!
堀婦長は子供たちと自分の身支度を整えると、心配でたまらず集合時間の2時間も前に南新京駅に行き、彼女たちを待ちます。
まさか・・・とは思った。
けれど、彼女たちは「時間までには行きます」と約束してくれたのです。
その言葉を信じよう。きっと来てくれる。
そのうちに貨車が到着します。
長春にいた日本人たちが、続々と貨車に乗り込み始めます。
堀婦長は、それでも彼女たちを待った。
もう出発の時間です。
来ないかもしれない。。。。そう思った時です。
「婦長さ~ん!!」と明るい声がした。
どこにいたのか、意外と近くに、ワンピースにもんぺ姿の細井、荒川、後藤の三人の姿が見えます。
とっても嬉しそうな顔をしています。
「こっちよ~~、早く~~!」
「あとの娘たちは?」
「大丈夫です。あとから来ます。
それより、これ、食糧のたしにしてください。」
「ええっ!こんなにたくさん?! こんなことしたらあなた達が困るじゃないの」
「いいんですよ、婦長さん。私たちの分は、あとからくる娘たちが持ってきます。
だから、これ、みなさんで。
それから、ほんの少しですけれど、何かに使ってください。」
「何なの?」
「アハハ、あとでですよぉ~。じゃあ、あたしたち、澤本さんたちを探してきますね」
「わかったわ。でも、もうあまり時間がないと思うから、早くしてね。急ぐのよ」
「はいっ!」
そのとき振り向いた、彼女たち3人の笑顔を、堀婦長は生涯、決して忘れない。
忘れようがないです。
三人とも、とても明るい、ほんとうに何事もなかったかのような、明るくてさわやかな笑顔だったのです。
堀婦長が、彼女たちが戻ると安心して、貨車に乗る順番の列に並んだ時です。
バン、バンと2発の銃声がした。
そしてすこし遅れて、バンと、3発目の銃声が響きます。
列車への乗車を待っている日本人たちが、騒ぎ始めます。
「おいっ!自殺だ」
「若い女3人みたいだ」
「!」
三人とも即死でした。
後藤さんと荒川さんの体を覆うようにして、倒れていた細井さんの右手にピストルが握られていました。
申し合わせのことでしょう。
細井たか子が先に二人を射殺し、最後に自分のこめかみを撃ったことがわかりました。
頭部からは、まだ血が、流れています。
わかる。わかるわ。あなたたち、こうするほかなかったのね。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
はやく気が付いてあげれなくて。
もう、なにもかも忘れて、楽になってね。
今度生まれてくる時にはね、絶対に、絶対に、もっともっとずっと強い運を持って生まれてくるのよ・・・・・

「お母さん、お母さん!」
子供たちの叫ぶ声に我にかえり、堀婦長は汽車に乗ります。
結局、澤本かなえ、澤田八重子、井出きみ子の三人は、姿を見せませんでした。
このほかに二人、どこにいるのか行方知れずに終わりました。
ひとりは、ソ連将校が連れ帰ったという噂でした。
引き揚げ列車は南下し、それぞれの悲劇と過酷な過去から、まるで逃れるように、祖国日本へ向け鉄路を南へ向けて走ります。
こうして堀喜身子婦長が、長男静夫(5歳)と、長女槇子(3歳)を連れて、九州の諫早(いさはや)で日本の土を踏んだのは、昭和23年11月のことでした。
親子三人を待っていた日本の戦後社会は、想像を絶する混乱の社会です。
戦争に負けた。それだけのことで、人心が変わった。
それまでの日本は、まさに家族国家だった。
人々が地域ぐるみ、家族ぐるみで助け合い、支えあって生きることがあたりまえの社会だった。
それが、終戦によって180度変わった。
人の情けがなくなり、人情が消え、支えあうという考えが、人々からなくなっていた。
物語は、ここから青葉慈蔵尊誕生まで、さらに波乱が続いていきます。
≪満州従軍看護婦実話(3)へ続く≫
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※本稿は、日本航空教育財団の人間教育誌「サーマル」平成18年4月号に掲載された「祖国遙か」をもとに書かせていただきました。
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