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家族国家

自民党はいま「結党の精神に帰ろう!」が合言葉になっているといわれています。
けれども敢えて、ここで書かせていただきます。
自民党は「結党の精神」ではなく、国を背負って立つ「建国の精神」に帰れ!と。


「困ったときは原点に帰れ」という言葉があります。
自民党は政権与党時代、自民党は短命内閣が続き、一昨年には政権与党の座から滑り落ちてしまいました。
いま自民党は、自主憲法制定という結党の精神に帰ると言っていますが、自主憲法云々以前に、そもそもどういう国を目指すのかという視点が必要です。
新憲法制定は、それ自体が目的なのではありません。
憲法は、あくまでもその国の理想を実現するための基本原則です。
基本原則の前に、日本という国家の原点をどこに置くかが大事なのではないかと思うのです。
そしてその原点は、日本という国の建国の精神にこそ、存在する。
では、日本国の建国の精神とはなんぞやといえば、それは、紀元前660年の皇紀元年2月11日の神武天皇即位の詔にある。
そこには次のように書かれている。
~~~~~~~~~~~
上(かみ)は則(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、
下(しも)は即ち皇孫(すめみま)の正(ただしき)を養いたまいし心を弘(ひろ)めん。
然して後に六合(りくごう)を兼ねて、以って都を開き、八紘(あめがした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為すこと亦可(よ)からずや
(口語訳)
上は天神の国をお授け下さつた御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を弘めよう。
その後、国中を一つにして都を開き、天の下を掩ひて一つの家とすることは、また良いことではないか。
(原文)
上則答乾靈授國之 下則弘皇孫養正之心
然後兼六合以開都 掩八紘而為宇 不亦可乎
觀夫畝傍山東南橿原地者 蓋國之墺區乎 可治之
~~~~~~~~~~~~~
これを意訳すれば、
(1)この日本という国は、神々から授かった国である。
(2)そのことに思いをいたして、正しい道を進もう。
(3)日本という地域をひとつの国になった。
(4)だから、日本人みんながひとつの家族となろうではないか。
となります。
すなわち、日本という家族。
「家族国家」の建設こそ、日本建国の原点といえます。
こうした感覚は、戦後65年経ったいまでも、多くの人々の心にしっかりと根付いています。
たとえば多くの中小企業の経営者にとって、社員は家族です。
いまでも多くの社長さんたちは、その家族を養うために必死です。
自分がいい思いをしたからではない。
多くの中小零細の社長さんたちは、社員という名前の家族をしっかりと養っていこうという明確な意思を持っている。
社員も同じです。
自分さえよければ、なんて考えるような社員は、多くの場合、それだけで社員失格です。
みんなが頑張っているから自分も頑張る。
そして会社を支える。
だって会社は、自分にとっての家族そのものだからです。
地域でも、昔は、近所の悪ガキが悪さをしていると、町内の頑固おやじが「コラァ!!」とやったものです。
なぜならそれは、ただオヤジが頑固ジジイだったからではなくて、大人たちにとって、近所の子供たちが、みんな我が子同然の家族そのものという意思があったからです。
日清、日露、第一次大戦、China事変、大東亜戦争で戦った日本の兵士たちにとっても、守るべき祖国にいる人々は、みんな自分の家族だった。
大東亜戦争の前も最中も、日本は本当に現地の人々のために尽くしています。
なぜならそれは、日本が統治することになったその瞬間から、その地にいる人々は家族だったからです。
近所の商店街の八百屋さんや魚屋さんだって同じです。
毎日買い物に来るお客さんの主婦たちは、自分の家族そのものです。
たいせつなことは、いかに儲けるかではない。
お客さんという名前の家族に、ちょっとでも新鮮で良いものを届けようと、毎朝、暗いうちから起きだして寒い中を仕入れのために市場に出かけている。
そば屋さんも、食堂のかみさんも、飲み屋のおばちゃんも、お客様は神様というより、家族そのものという感覚です。
「お客様は神様です」は、三波春雄が言い出して戦後の流行語になった言葉だけれども、いまにして思えば、どうも違和感がぬぐえなかった。
お客様は、手を合わせて拝むものではありません。
お客様は、家族そのものなのです。
家族にちょっとでも喜んでもらう。
そのために芸を磨いて努力する。
それが芸人というものです。
学校教育においても、教師にとって生徒は、単に生活の糧を得るための道具ではありません。
教師にとって、生徒は自分の家族そのものです。
我が子です。
だから叱るときも真剣に叱ったし、ときにほっぺたをぶつときも、涙を流して手をあげた。
昔はどこの学校でも、教師はみんなそうだった。
だから、
「うちの家族」
「うちの会社」
「うちのお客さん」
「うちの町」
「うちの学校」
「うちの社員」
なのです。
そして、日本人が外国に行くと、祖国日本は「うちの国」です。
「うち」は「内」であり、「家(うち)」でもある。
こうした概念は、何も日本だけの特殊なものではありません。
英語で、I love my country. といえば、その故郷(祖国)は、その人にとって内側のもの、自分の心のよりどころ、惜しみない愛の対象としての故郷(祖国)です。
ただ好きなだけの場所なら、I love my country. ではなく、I like my country.となる。
love と like の違いは、自分の内側にあるのか、外側にあるのか。
言い換えれば、自分の家族、血を分けた兄弟や肉親、あるいは自分自身と一体のものが love であり、自分とはまったく別な、家族や兄弟とは異なるあくまで他者として単に好むものが like と使い分ける。
日本は、神武天皇以来、皇統2700年の日本が常に目指し続けたのは、まさに家族としての国家です。
いまでも、多くの人の心には、家族という概念が色濃く残っています。
掩八紘而為宇を、戦前は「八紘一宇」と訳しました。
その「八紘一宇」を「世界は一家、人類は皆兄弟」と訳したのは、故笹川良一先生です。
けれど、「一宇=ひとつ屋根の下」というなら、それは兄弟というより、家族そのものです。
ですから昨日の記事で、高千穂神社の後藤宮司がおっしゃるように、「日本は家族国家」であるということが、まさに神武天皇以来の、日本の建国の理念である、そう思うのです。
政治家にとって、政党にとって、国民は家族です。
その視点からみたら、政治家の代表である内閣総理大臣が、「最小不幸家族を目指します」なんて発言するのは、ありえない話です。
なぜなら家族の最大幸福を希求し、実現するのが、内閣の役割だからです。
「2位じゃだめなんですか?」などと言うのも、とんでもない発言です。
そんなことを言ったら、子供は勉強しなくなる。
勉強しなくなって成績が下がるというのは、国家規模で言ったら、日本の競争力がなくなる、ということです。
「日本の競争力をなくしましょう」そして日本は「最小不幸家族」になりましょう。
そんなことを平然と語る政党や政治家は、「日本国=ひとつ屋根のしたの家族」という視点から見たら、いかに政党や政治家にふさわしくない人物なのかが歴然とします。
さらにいえば、日本国という家族の主(あるじ)は、陛下です。
一家の主人を指して、「単なる象徴です」などと言ったら、普通は冗談としてしか思われない。実にとんでもない話です。
毎年8月15日になると、政治家等の靖国参拝問題が出るけれど、家族のために自らの命を犠牲にされた祖父母に対して、手を合わせるのは、ごくあたりまえの常識以前の問題です。
「日本は家族国家である」
この視点に立った時、戦後日本のあらゆるひずみ、間違いが厳然として明らかになる。
そして、これからの日本が進む道も、おのずと開けてくると思うのです。
いまの日本は、日本人家族としての絆、会社とそこで働く人々の絆、親子兄弟の絆が、バラバラにほどけて一家離散目前の家族であるかのようです。
混乱したら原点に帰れ。
日本は、もういちど建国の原点である家族国家の建設という理念に立ち返り、そこを出発点として再生の道を踏み出すのが一番良い選択なのではないかと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
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