
明日、2月11日は、建国記念日です。
日本の初代天皇である神武天皇が即位された日です。
国民の祝日です。
何故2月11日が建国記念日かというと、神武天皇が即位されたのが旧暦の皇紀元年一月一日だからです。
いまから2672年前のことです。
当時は旧暦です。
これを新暦に直すと、2月11日になる。
実は、この日は、戦後の一時期、祭日ではなかったということをご存知でしょうか。
昭和24(1949)年2月11日から、昭和41(1966)年2月11日までの18年間、この日は国民の祝日ではなかったのです。
昭和41年12月、佐藤栄作内閣が、建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定めて、「建国記念の日」を2月11日と定めてくれ、これでようやく翌昭和42(1967)年から、祝日として復活したのです。
もともと建国記念日は、明治5(1873)年に「紀元節」という名で国民の祝日に定められました。
紀元節には、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われ、明治22(1889)年には、大日本帝国憲法が、この日を期して発布されています。
さらに明治24(1891)年には、小学校祝日大祭儀式規程が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などが行われています。
この日には、紅白まんじゅうなどが学校で配られることもあった。
さらに大正3(1914)年になると、全国の神社で紀元節祭が行われるようになり、大正15(1926)年以降は、村の青年団や在郷軍人会などによる建国祭の式典が全国各地で開催されるようになっています。
紀元節は、日本の建国を祝う日です。
そして戦前は、日本の国民が、日本の建国の理想を再確認する日でもありました。
どういうことかというと、神武天皇が建国の詔において、
八紘を
おほひて宇と為む(八紘一宇)こと、
また可からずや
と詠まれまたことに由来します。
口語訳すると、
~~~~~~~~~
天地四方に住むすべての者が、
ひとつの屋根の下の大家族のように
仲良く暮らすなら
それはなんと
楽しくうれしいことだろうか
~~~~~~~~~
となります。
これが、我が国の建国の理想です。
英語では、八紘一宇は、Universal brotherhood(世界同胞主義)と訳されます。
戦前のわが国の外交文書では常に公式に、この用語が使われていました。
日本は、こういう高い理想をもって始まった国です。
ところが戦後、昭和22(2947)年の社会党片山哲内閣のときに、GHQの圧力なのか社会党の策謀なのか、我が国の建国を記念する「紀元節」は、国民の祝日から削除されてしまいます。
そして、昭和27年。
サンフランシスコ平和条約の締結により、我が国が主権を回復したことから、国民運動として、紀元節の祝日復活案が、国会に提出されます。
ところが、アホな左翼政治家がこれに猛反発。
なんと保守系の政治家を中心に、以後、合計9回も国会に紀元節の復活案が提出されたけれど、否決の憂き目にあってしまいます。
否定論者たちには、世界は一家という概念がよくないものに見えるのでしょうか?
実に不思議な話です。
国民のアンケートにおいても、なんと国民の80%以上が、紀元節の復活を望んでいたのに、です。
そして、ようやく昭和41(1966)年、ときの佐藤内閣によって、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、「紀元節」は「建国記念日」と名前を変えて復活したのです。
GHQは、紀元節を国民の祝日から削除しました。
理由は、「紀元節を認めると、天皇を中心とする日本人の団結力が高まって、再び日本が米国の脅威となる」から、なのだそうです。
さらにGHQは、紀元節廃止の3年前には、「神道指令」によって、 日本の学校で古事記や日本書紀の神話を教えていけないことにさえしています。
そしてそれはいまだに続いている。
要するに、日本神話を否定したり、紀元節や八紘一宇を否定する人たちというのは、日本が被占領国であることがうれしい、日本が主権のない国家であることが望ましいと考えている人たちである、ということです。
日本という国家に主権がない、ということは、日本はどこかの国に隷属し、日本人は私有財産も個人の自由も認められない、奴隷国家であることが幸せであると考える、ということです。
日本は、そんな左翼のあきれた思想から、もう目を覚まさなくちゃいけない。
ちなみにボクは、小学校のときに建国記念日が復活しました。
その日、国民の祝日なのに、全員登校し、校庭で、校長先生から、なにやらの訓話があった。
そして全校生徒に、紅白まんじゅうが配られました。
なんだかとっても感動でした。
そのとき、校長先生が何をしゃべったのかは、いまではまったく覚えていません。
けれど、いつもおっきなオトナの校長先生が、なんだか朝礼台の上でとっても感激して訓話をしてくれていた。
校長先生のお話のあと、先生たちが拍手をしてた記憶があります。
いまならわかる。
あのとき、校長は、紀元節が復活したことが、まるで我が事のようにうれしかったに違いありません。
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