
会社勤めをしていて、本当にまじめにコツコツ仕事をしているのに、辛い目にあったり、普通におとなしく学生生活を送っているのにイジメにあったり。
この世は理不尽なもの、であろうかと思います。
けれど、世の中の人は見ている。
お天道様だって、ちゃんと見ていてくださる。
どんな誹謗中傷にあっても、最後にはその人の誠実さが勝つ、ということがあろうかと思います。
たいせつなことは、どんなに辛くても苦しくても、自分自身がしっかりと生きていくことなのではないかと思います。
戦後左翼は、日本の旧軍人さんたちのことを、侵略者と決め付け、ついには内閣総理大臣が、大東亜戦争を侵略戦争だなどとのたまった。
命を的にして戦った特攻隊は、理解できない狂信者たちであるとまで誹謗されました。
けれど、ケネディ大統領の甥のマックスウェル・T・ケネディ氏は、「特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ--米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実」という本を出し、その真実を伝えています。
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彼らの最後の望みは、
未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、
強い心を持ち、
苦難に耐えてくれることだった。
わたしたちは、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒絶するのではなく、
人々の心を強く引きつけ、
尊ばれるような側面もあったのだということを、
今こそ理解すべきではないだろうか。
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日本国内では、戦後GHQや左翼の扇動で、ただやみくもに「戦争反対」が唱えられました。
この国を守るために、戦って散っていった若者たちまでが、彼らが守った祖国の後人たちによって、あらぬ中傷を受けるまでに至っています。
けれど、たとえどんなに苦しい戦況にあっても、勇敢に戦い散って行った彼らにへの記憶は、私たち日本人から「消された歴史」となっても、相手国の歴史の中にしっかりと刻まれる。
実証主義、証拠主義をうたう、唯物史観の人たちには、未来永劫わからないことかもしれないけれど、戦前の日本男児は、柔剣道は必携です。
いまでこそ剣道は、竹刀と防具を使って互いに竹刀を激しく打ちあうスポーツになっているけれど、もともとは剣道には、防具はありません。
練習着と呼ばれる木綿の道着で、木刀を使って練習した。
当身(あてみ)と呼ばれる拳もあったし、蹴り技もあった。
もちろん、投げ技も練習しています。
防具をつけて竹刀で打ちあっても、怪我をすることはめったにありませんが、防具なしで、木刀で打ちあったら、打ち所が悪ければ、死にます。
ですから、剣術の稽古は、相手の打ち込みを事前に読み、猛烈なスピードで打ちおろされる相手の切っ先を紙一重でかわしながら、一刀のもとに相手を切り捨てる訓練を修業しました。
そして剣術の極意は、戦いに勝つ、相手を打ち負かす、あるいは相手を殺すというのはなく、相手に「悟らせる」ということに重きがおかれたといいます。
昭和19年以降、戦況はますます悪化の一途をたどりました。
ミッドウエーの敗戦以降、日本は制海権、制空権を失い、戦いは困難を極めるようになった。
日本は戦争に負ける。
正確な情報を知る大本営の参謀たちにも、そのことはもはや明らかとなっています。
しかし、それでも、日本が焼土となっても、日本精神は何が何でも残さなければならない。
それが、国体を護持する、ということです。
国体護持といえば、陛下を外護することとよく言われるけれど、それは狭義であり、広義には国体=日本であり、日本精神です。
戦いに敗れれば、他の諸国がそうであるように、その国の歴史は奪われ(歴史は常に戦勝者によって書き換えられます)、国民は奴隷とされてしまう。
明らかに戦況不利となったとき、残された選択は、身を斬ってでも、この国の精神を守り、伝えること。
アメリカインデアンは、過去、北米大陸に約800万人いたそうです。
その中には、いろいろな部族があった。
いろいろな習慣があった。
いま、北米にいるアメリカインデアンは、わずか35万人です。
人口の96%が失われてしまったのです。
そして、生き残ったインデアンは、いま、全員が白人のDNAを体内に持っている。
それはどういうことかというと、生き残った女性は強姦され、白人の子種を体内に宿した、ということです。
戦いに負ける、征服される、というのは、そういうことなのです。
それだけの危険(リスク)を前に、それでもなお、正義と大義を未来に残し、語り、つたえるためにはどうしたらよいか。
ひとつの例が、アメリカインデアンのアパッチ族です。
アパッチは、銃を持つ白人たちに、弓矢をもって勇敢に戦った。
ちなみに、映画に出てくるアパッチ族は、全員が半裸で体に鳥の毛を刺しているという姿です。
鎧や防具はつけていない。
女性のインデアンの服装も、非常に手間のかかる装飾性豊かな衣装を着ています。
隠しようがない当時のインデアンの姿がそこにあります。
どういうことかというと、インデアンが戦いに明け暮れる民族であるなら、それだけ手の込んだ衣装は、まず身にまとわない、ということです。
戦いに明け暮れるのが日常の文化なら、男女とも衣類は似たような機能性重視のものになるし、インデアンたちの戦いの主力武器が弓矢なら、それに対する戦いのための防具も、自然と発達するものなのです。
にもかかわらず、インデアンたちが、男は半裸、女は装飾性豊かな着物を着ているということは、彼らがいわゆる「武の民」ではなかったという証拠です。
北米大陸にいる大型の動物を狩り、殺し合いをせず、平和に暮らしていたから、時間をかけた美しい衣装をまとったし、男たちは防具を発達させることもなかった。
平素、対人用武器を使うこともなく、また、そうした武器を発達させていなかったから、北米のインデアンたちは、少数の白人の銃の前に、あらゆるものを破壊され、いまでは、800万人いたインデアンの各部族が、どのような生活をしていたのかさえ、まるでわからなくなっている。
インデアンたちは、その存在そのものまで抹殺されようとしているのです。
けれど、白人たちとインデアンとの戦いの末期、勇敢なアパッチ族が果敢な戦いを挑んだ。
武器を持たないインデアンたちは、ただただ白人たちに蹂躙され、殺され、歴史も伝統も、彼らの文化も、いまではまるでわからないものになっているけれど、武器をもって立ち上がったアパッチ族だけは、白人側に甚大な被害が発生することで、いまなお、米国開拓民史に燦然とその名を轟かしています。
同様に、日本が戦争に敗れ、日本人が殺戮され、洗脳されるという事態に仮に至ったとしても、最後の最後まで死力を尽くして戦った日本軍の記録は、どんなに日本国内から消し去ったとしても、敵方の米軍史に残る。
そして戦後65年経って、敵方の米国の大統領の甥の口から、特攻隊の兵士たちの「最後の望みは、未来の日本人が、特攻隊の精神を受け継いで、強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった」と語られる。
そしていま、日本国内では、陸続と彼らの真実、彼らの心の叫びを受けようとする人々が、陸続とたちあがっています。
「集合知」という言葉があります。
日本は、いま、目覚めようとしているのです。
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昭和20年3月21日
陽光うららかな日
美しく立派に散るぞ
そう言って一番機に向かう友の胸に
俺はまだ、つぼみだった桜の一枝を
飾って贈った
明日は俺の番だ
死ぬ時は別々になってしまったが
靖国神社で会える
その時は、きっと桜の花も満開だろう
3月26日
花、さわやかに開く日
お父さん お母さん
ただ今より出発します
この世に生を受けて23年
まさか お父さんやお母さんより
早く死ぬとは思ってもみませんでした
お母さん
泣くなと言うのは無理かもしれません
でも どうか よく死んでくれた!
そう言って下さい
私達は祖国を守るために
死んでゆくのですから
4月2日
春雨のけむる日
幸か不幸か
俺はまだ今日も生きのびている
だが、雨が上がり、虹が橋をかけ
あかね色の夕焼け空が広がる時
俺は必ずゆく
後に続くことを信じて
俺達の死を 決して
犬死にしてもらいたくないのだ
海軍少尉 小野栄一
身長5尺七寸 体重17貫5百
きわめて健康!
(鶴田浩二~同期の桜より)
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『特攻―空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』(M.T.ケネディ著)より
『橋の上のホラティウス』
そして門の守り手、
勇敢なホラティウスは言った。
「地上のあらゆる人間に
遅かれ早かれ死は訪れる。
ならば、先祖の遺灰のため、
神々の殿堂のため、
強敵に立ち向かう以上の
死に方があるだろうか。
かつて私をあやしてくれた
優しい母親のため、
我が子を抱き
乳をやる妻のため、
永遠の炎を燃やす
清き乙女たちのため、
恥ずべき悪党セクストゥスから
皆を守るため以上の死に方が
あるだろうか。
執政官どの、なるべく早く
橋を落としてくれ
私は、二人の仲間とともに
ここで敵を食い止める。
路にひしめく一千の敵は
この三人によって
食い止められるであろう。
さあ、私の横に立ち
橋を守るのは誰だ?」
――トマス・バビントン・マコーリー
◆参考記事
≪ケネディと駆逐艦「天霧」≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-970.html


