
いつもコメントをいただく共通一次世代さんが、先日書いた山田方谷の記事に、とても素晴らしいコメントを寄せてくださいましたので、あらためてご紹介したいと思います。
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≪関連記事:義に生きる 山田方谷≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1140.html
>なにやら百姓は、繰り返し一揆を起こして、代官所を襲って米蔵を奪い、商家を襲って金品や財物を奪って娘を強姦して暴れていたなどと、わけのわからない貧農史観が最近の日本ではまかり通っている。・・・
「百姓一揆」という言葉を歴史の授業で聞くたび、なんとなくピンとこなかったのは、このせいかなと思います。
昔、『あゝ野麦峠』という映画を見ました。大竹しのぶが主演でした。
飛騨の若い女性が過酷な労働環境の製糸工場に無理矢理行かされ、「富国強兵」のもと必死に働く。
その過酷な労働のために病に侵され、工場側は冷酷に放り出すように女工を捨てる。
迎えに来た兄の背負われ野麦峠を下っていく。
『ああ飛騨が見える』と言いながら、二十歳の若さで死んでいく主人公・・。
工場側の人間は全て悪、国のいわば軍国主義政策に押しつぶされた飛騨の若い女性たち。
暗い、、とにかく暗い・・。
これが映画のイメージです。
思えばコレも左翼的歴史史観じゃなかったのだろうかと思いネットで調べてみました。
みねさんは実在の人物で「百円工女」として優秀な働き手だったそうですが、「百円工女」というのは当時、家1軒を立てられる程の高収入を得ていた工女の事なのだそうです。
確かにみねさんは若くして亡くなったので不幸でしたが、彼女は「糸取工女」になる事によって高収入を得て親孝行する事もできた。
映画での「辛くて悲しい」イメージが余りに強く、また「女工哀史」という言葉でより「悲惨な女性たち」として語られているようですが、又違う観点もあるようです。
【以前に岐阜新聞に出ていた記事内容『野麦峠を越えた女たち』から】(抜粋)
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しかし大勢の糸引きを輩出した飛騨地方では、「糸引き」が「かわいそう」の代名詞ではない。
高齢化が進み、数少なくなった糸引き経験者たちからは、惨めさどころか、糸引きであることに胸を張る証言が多い。
同市久々野町小屋名の岩本あきさん(93)は、大正から昭和初めにかけて、長野県の岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行った糸引き経験者。
13歳から8年間勤め、うち3年間は野麦峠を歩いて超えた。
「家から野麦まで1日、工場までは(途中汽車に乗って)2日掛かった。
着物をはぐって腰巻きして、頭は桃割れでな、わらじを履いて越したよ」
岩本さんは農家に生まれ、6人兄弟で育った。
親類の紹介で出稼ぎに行くことが決まり、最初は不安で泣いた。
仕事は厳しかったが、1年間に現金五百円を稼ぐ優秀な糸引きとして周囲から羨ましがられた。
農村では当時、現金収入が無く、岩本さんは家の暮らしを随分助けた。
「給料を親に渡すと、神棚に飾って喜んでいた。
成績の良しあしで給料が決まるから神経使うけど、毎年綺麗な反物を貰えたし、勤続5年で鏡台を貰った。
集落の同い年では、持っとる者がおらんほど高価なもんやった。
今でも大事にしているよ」
同市朝日町青屋の平田やよさん(90)は、昭和初めに高山市の製糸工場を辞め、わざわざ信州へ行った。
「周りの友達が皆糸引きになって、反物を貰っていた。
私もけなるうて(羨ましくて)連れて行ってくれと頼んだ。
親からは反対されたけどな」
9月の故郷の祭り見たさに友達と工場を抜け出し、野麦峠を越えて帰ってきたスリル満点の冒険談もしてくれた。
「糸引きに行って良かったなー。
嫁に来てからの方が貧しくてよっぽど大変。
ご飯が食えんで、ササの実(野麦)を団子にして食べたよ」
時代が違うのかもしれない。
しかしこれらの証言もまた、糸引きの真実に違いない。
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昔と今とでは農業も含めて労働内容も違うため比較できないし、一概に生糸工場だけが厳しいというわけではなかったこと。
また、女工さんは「技術者」でもあったこと。
それを考慮せず、「女工哀史」の名のもとに重労働、低賃金、奴隷的扱いをされたという事を殊更強調されるのは、やはりサヨクの歴史観は蔓延っているせいだと感じます。
今の中学生の教科書にも「野麦峠」は載っています。
思えば「日本の労働環境は昔から劣悪」というイメージが刷り込まれているように思います。
中学生の歴史教科書を見れば、いかに、その方向からの記述が多いか、いかに、弾圧された共産主義者をやたら持ち上げ共産主義礼賛で書かれているか。
民主党と癒着している官公労、自治労、日教組。これらの組合の現在の存在はこうした歴史教育の中でより強固になってしまったのだと思います。
真面目な日本人が疲れたとき、彼らは甘い言葉をかけ、
「懸命に働く事など馬鹿らしい」
「あなたはもっと楽になる」と暗示をかけてきた。
疲れたのは社会のせいだ、国のせいだ、と洗脳する。
それが結果として菅のような「ただの扇動家」を総理にしてしまった。
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子供の頃、専売公社に見学に行ったことがあります。
タバコは、いまでは日本たばこ産業株式会社だけれど、昔は日本専売公社だったのです。
工場には、たくさんのパートのおばちゃんたちが働いていて、ラインに沿って、ものすごい数の白いタバコが、流れてきます。
おばちゃんたちは、左手にタバコの箱の形の銀紙を持ち、右手で流れてくるタバコを、グイッとすくう。
そして、左手に持ったタバコの箱(銀紙)にスポッと、それを容れます。
ワンアクションで、20本のたばこが、三段重ねで、スポリと、きれいに入ってしまう。
やったことのある方ならわかると思うのですが、20本入りのタバコは、一本引き抜いて、それをもとの箱に戻そうと思っても、そうそう簡単にははいってくれません。
それくらい、固く、ギッシリ詰まっている。
専売公社のおばちゃんたちは、それを、右手でグイとすくって、ポンと入れて
いたのです。
まるで手品みたいだった。
人間の手の感覚というのは、熟練するとそこまで凄いものになるのかと、目を丸くしたのを今でも覚えています。
日本の戦後の高度成長を支えたのは、製造業です。
その製造業に携わる労働者の多くは、終身雇用を前提とした雇用の中にいます。
そして労働者は、みんな少しでも仕事を覚えようと、そして良い仕事をしようと一生懸命だった。
そりゃ、そうです。
一生、その会社で働くのです。
会社が良くなることは、イコール、自分の生活が守られることでもあったのです。
ところが、その終身雇用に甘えて、仕事をしないで文句ばかり言っていた奴らがいる。左翼の連中です。
左翼が騒いでストばかりやっていた結果、企業はどうしたかというと、そんな仕事をしないでストばかりする連中に居座られたら困るとばかり、雇用を、終身雇用から、季節労働等の短期雇用に切り替えた。
ところがこうなると、短期雇用は熟練工を産まないし、労働者の所得は下がるし、将来への不安があるから、みんなお金を使わなくなる。
きがついたら、もう20年にもなる先の見えない長期不況です。
平成にはいってからの日本など、村山談話以降、左翼に引きずられてばかりいるけれど、結果、日本の景気も、人々の生活も悪くなるばかりです。
その左翼に、日本は、戦後65年間、ずっと騙され続けてきた。
もうそろそろ、日本をとりかえすべきです。
これ以上、デタラメ破壊主義者の左翼を野放しにしておくのは、まさに百害あって一利なしだと思います。
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