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富士山0106

昨日、鄭春河氏の遺稿をご紹介したのですが、今日は、鄭氏が遺された「日本同朋へ」という文をご紹介します。
この文章は鄭春河氏が平成8(1996)年1月に書かれたものです。
この前年、村山談話があり、この年を境に、日本は一気に左傾化しています。
あれからちょうど15年、鄭春河氏の洞察力は、そのまま現代を見抜いています。
旧漢字は、現代字に直しています。
また、改行も多用し、読みやすくしています。
是非ご一読ください。


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【日本同胞へ】鄭春河
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【Ⅰ】日本の現状を想う
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いまの日本は、台湾の我々の目からみても根本のところで非常におかしくなっていて、「どうしてこんなになったのか」と痛感させられるところが多々ある。
最近の日本はかつてなかった大規模の災害(サリン事件、阪神大震災等)にみまわれ、いままで誰も予想しなかった異常の事態に追い込まれている。
このことは台湾の我々でさえ、心の底に重苦しい同情と不安を抱いている次第である。
その原因は、国家の安寧秩序をつかさどる当事者が、オロオロして対策におくれをとり、他方やりすぎだと言われはしないかと甚だしく臆病になっているからである。
こんなだらしない引っ込み思案が広がったのは何故だろうか。
それは、自衛隊を始終攻撃し、警察が充分に動けなくなるように仕向けたり、事あるごとにあてこすりを言ってきた、いわゆる「進歩的文化人」の戦後50年を通じての、かさにかかった嫌らしい説教のおかげである。
この「進歩的文化人」と呼ばれる連中こそは、日本にとっては許し難で罪人であり、売国奴である。
彼らの目的は、祖国日本の力を弱め、国民の元気をなくし、無気力な社会をつくるためである。
こうして社会党、共産党は、日本を共産主義国家の属国にしようと計画策動しているのである。
しかもこれらの経費は、北朝鮮を通じてロシア共産党が供給していると聞き及んでいる。
彼らは反国家の姿勢をとり、反日本の構えを見せて祖国日本にそむき、日本を非難し、日本の過去と現在を否定攻撃し、国家をとことん軽蔑してきた。
そして国民は自分たちの意のままにあやつれるとうぬぼれてきた。
さらには国民に気概を失うようしむけた。
この毒ガスのような彼らの反日的言論が、いつのまにか日本列島のすみずみまでゆきわたった。
戦後50年、すっかり洗脳された今日、民族の自立、自覚を呼び覚ますことは容易なことではない。
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 1 国民精神の荒廃と社会動乱
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戦後の日本は、金儲けに専念して心理建設を蔑視した。
それはアプレ・ゲールの咀疑と人倫の常経天地の公道である教育勅語を廃棄したのが主因であろう。
(注:アプレゲール=戦前の道徳観を否定する運動)
徳育を無視して学校では修身を教えないので、国民道徳がすたれてしまったのみならず、靖国神社の存在を生徒に教えない。
明治以来、二百数十萬、祖国防衛のために人柱となった人々の霊を祀っている靖国神社を、次代を担う生徒に教えなかったのである。
人の命は地球より重いと言われているが、その地球より重い数百万の霊を黙殺したまま、今日に到らしめている

英霊を敬わず、国歌「君が代」を歌わない、国旗「日の丸」をも掲げない非国民は、戦前ひとりもいなかった。植民地人民でさえも。
また、不思議でならないのは、教育権が日教組の手中にあることだ。
日本政府(文部省)は一体何をしているのか?
すみやかに回収すると同時に、教育勅語を復活して国民精神の作興振起をはかる等、いわゆる「心理の再建」が刻下の急務ではなかろうか。
現下の日本人は、ほとんど「人性」を失ってしまって、国家観念は皆無になり果てた。
なかんずく「侵略戦争」「不戦、謝罪決議」に同調している国民が半数以上もいるではないか。
このままでは日本は危ない。
大東亜戦争中、一億一心、ひたすら聖戦目的完遂に邁進している日本人の中には、非国民はいないと信じていたが、案外大勢いたのには驚いた。
戦後知れたのだが、彼らは戦時中、猫をかぶっていたのだ。
その間、良民らしいふりをして、不平不満をこらえ、一般民衆と行動を共にしてきたが、戦いが終わるや、たちまちその実態をあらわし、本性を暴露した。
彼らは祖国日本を嫌悪して、戦前の日本のすべてを悪とし、日本古来の伝統文化や歴史を排撃して、日本人の日本人たるゆえんの「大和心」をすら失ってしまっていた。
そして「日本は侵略国でダメな国である」と非難し、「日の丸」「君が代」をその象徴として憎んでいる。
なかんずく政治家の中には、日本の立場をわきまえず、その正当性を主張することなく、逆にアジアのため、祖国のため身命を捧げた英霊を悪者と認め、「侵略しました」と謝るがごときは、有史以来の一大惨事である。
その結果、万世一系の天皇をいただき、悠久の歴史を世界に誇る大和民族が、秩序を乱し、混沌たる世となった。
恐れ多くも皇室の侮辱事件が頻発して、天皇の尊厳と国民思想に少なからぬ影響を及ぼした。
昭和21年1月、「我こそは正当の天皇だ」と名乗りをあげた熊澤天皇を筆頭に、20人も自称天皇が輩出した。
続いて5月には、共産党の松島松太郎が出現した。
食料メーデーに彼は、「詔書、国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ。ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」と表に、裏には「働いても何故私たちは飢えているのか。天皇ヒロヒト、答えよ」と書いた「プラカード」を掲げて参加した。
彼はどこの馬の骨か知らないが、鬼が島へ追放するが良い。
精神病者でなかったら、切腹して天皇陛下にお詫びしなければ、天も許さぬであろう。
また天皇に戦争責任を問う長崎の赤市長も、汚名を後世に残した。
またある、昭和天皇在位60年の祝賀式典に「どうも奉祝する気になれない」と、社会党共産党の議員はひとりも参加しなかった。
なのに、北朝鮮の金日成80歳の誕生日に、百名も出席したとは何事だ。
彼らはそれでも日本人なのか。
英霊もご先祖様も、あの世で泣いている。
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 2 アプレ・ゲール
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アプレ・ゲールとは、第一次世界大戦後のフランスで、戦前の風習、道徳、文化に反逆した世代を言った。
また、「大和魂」がもとからなく、第二次世界大戦の惨敗を機に、占領軍の提灯持ちとなった外国かぶれの日本人もいう。
日本占領の第一目標は、日本を弱体化することにあり、その計画のもとに占領地管理基本法を日本国憲法として押し付けた。
日本人を欺くこの偽憲法を、自主的制定の形にしないと天皇の安全を保証しないという脅迫のもとに出来上がったのである。
まず家族制度が破壊されて、ご先祖は霊界のルンペンに、老親は姥捨山の粗大ゴミに、遺産争いで一族が仇(かたき)となる。
姦通罪をなくして性を乱し、胎児虐殺が奨励され、親殺し子殺しが頻発して、未婚の母が巷にあふれてきた。
占領が終了したところで、占領地管理基法は御用済みであるはずなのに、政治家はこれに固執している。
アプレ・ゲールの政党の右派を自民党といい、左派を社会党、共産党という。
日本同朋よ、もう半世紀になるが、いつまでもこのままでよいのか。
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 3 破壊された日本の家族制度
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民主主義は、個人の自由の尊厳が絶対の権利であるとの主張だから、すべての人間には、生まれながらにして平等の基本的人権があるという。
だから占領軍の押しつけた日本国憲法、全文103条のうち、その約3分の1にあたる第11条から40条までが、基本的人権を羅列していて、日本はまさに自由人権の天国である。
戦前は、家族制度で、家督は長男が相続し父母を扶養したが、民法で長子相続が、均分相続となってから、遺産の分け前で兄弟姉妹が血の争いをするようになった。
五反百姓の農家が、田んぼを5人の子供に分ければ、ひとり一反となって農家は成り立たず、田園は荒廃するしかない。
家族制度がなくなれば、子は親の面倒を見なくなって、老父母は老人ホームに送りこまれて孫の顔を見ることもできず、ゲートボールに老後を送る。
苦労をして子供を育てても、最後には捨てられるのでは、親は子を産まなくなり、結婚もしなくなってきた。
だから人口は次第に減っていき、経済繁栄にも黄昏が近づきつつある。
子供の権利拡大や、老人層の一時的増大よりも、恒久的な人口減少傾向がより致命的な問題ではなかろうか。
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 4 日本青年の享楽志向と国家観念の喪失
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本稿は、もっともいかめしい日本社会の現実である。
田中正明先生御高著「掃葉集」の一節を引用させていただくことにする。
かつてマルクスは「その国の新聞社一社を、わが陣営に入れることは、数個連隊をその国に常駐せしめるに等しい」と言った。
さらに「青少年に対し、祖国の善とに対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国吃詛(きっそ)の精神を扶植することが、革命の近道だ」と教えた。
日本のマスメディアの現状と日本の教育は、あたかもこのマルクスのテーゼに従って進められているような気がしてならない。
昭和20年にコミンテルンの指令に基づいて、日本共産党が武門革命で火炎ビン戦術を展開したとき、一方の旗頭氏が義雄(のちに宮本顕治と争いソ連派に走る)は、こういったという。
「なにも部門革命などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、3~40年後には、その青少年が日本の支配者となり、指導者となる。
教育で共産主義革命は達成できる
まさに、志賀の予言通りである。
細川にしても、羽田や小沢、河野、山花らにしても、いま、政界の中枢にある人々は、終戦時は、幼児か小学生である。
従って、日教組教育と東京裁判史観の中にどっぷり漬かったまま育ってきた人々である。
その言動からみて、これらの人々は日本および世界の歴史について、どこまで勉強しているか、はなはだ疑問である。
要するに、勉強不足なのである。
だから先の大戦は侵略戦争で、アジア諸国民に耐えがたい苦難と悲しみを与えた、陳謝して反省の意を示す以外にない、こうした自虐的、単細胞的歴史観に育てられてしまったのである。
細川首相の侵略発言が、70~80%もの支持率を得たということは、そうした戦後教育が、いかに浸透しているかという証左である。
従って、反省と謝罪の国会決議の可能性も高いとみなければならぬ。
最近発表された総務省青少年対策本部の統計によると、日本、米国、台湾の高校生の意識調査で、次のような数字が出ている。
(1)今を楽しむ享楽性志向では、
日本がトップ53%、米35%、台23%。
(2)将来に備えて勉強する意欲がない。
日本がトップで47%、米17%、台15%
(3)自分の将来はダメだと思っている。
日本はほぼ4人にひとりの23%、米は3%、台7%
(平成6年5月)。
なんと日本の高校生の、あわな姿よ。
次は平成5年12月の調査で、日、米、英、仏、独、露、タイ、韓国、比、ブラジル、スエーデンの11カ国の18歳から24歳までの青年の意識調査である。
●自国のために役立つようなことをしたいと思うか。
日本58%で、ビリから3番目。
トップの比や、タイでは、96%が自国のために役立ちたいと思っている。
●そのために自分自身を犠牲にしてもよい。
日本はビリで、わずかに11%。
トップは、タイ、比の90%、
台、米、韓、ブラジル等は、みな80%台である。
日本の青年には、国防概念や、犠牲的精神、国家に殉ずる気持などは絶無に近いといってよかろう。
古代ローマと同じく、これでは亡国である。
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 5 戦後日本の変調教育
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そもそも東京裁判は、「日本は犯罪行為を犯したか」ということを調べるための裁判ではなく、最初から断罪するつもりではじめたものである。
かくのごとく東京裁判はお粗末な裁判であったが、この裁判が戦後日本に及ぼした影響はまことに大きい。
なんずく教育界においては「日本は犯罪国家であった」という「勝者の言い分」のみを子供たちに教え、「負けた側の言い分」については、一切と言っていいほど教えて来なかった。
しかも「日本人には自国に対し、罪悪を持たせるようにすべし」というマッカーサー司令部の指令が徹底的に実行された。
このことがどれだけ日本に損失を与えたかは計り知れない。
「お前の父親も祖父も極悪人であった」と言い聞かされて育った子供が、果たしてアイデンティティ(自分らしさ)を持ちうるだろうか。
「当時の日本にとって、世界はこのような環境であったから開戦せざるを得なかった」とその真実を教えなくてはいけないのだ。
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【Ⅱ】目覚めよ日本同朋
   日本人らしく生きよう
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戦後50年は、決して短い歳月ではない。
それにもかかわらず、今日、占領政策の後遺症は、いまだに消えていない。
いったい、この50年は何だったのか。
確かに経済的には戦前の比ではない繁栄ぶりだが、精神的には依然として自虐的卑屈観の世界に閉じ込められている。
そうした精神的鎖国から解放を図ることが、今後の大事な課題ではなかろうか。
敗戦後の日本人は、実に男らしくない。卑怯極まる者であった
日本同朋よ、開戦当時に立ち返って省みようではないか。
大東亜戦争の起因は、開戦の詔書がお示しの通り、日本は自衛のため、やむなく矛を執ったのであって、日本が仕掛けたのではない。
実質的な最後通牒となった「ハルノート」は、日本を開戦に追い詰めた。
「座して死すより、戦って死すべし」というのが、日本上下の一致した決意で、窮鼠猫を噛む悲壮な覚悟をもって立ち上がったのではなかったのか。
台湾の我々も、いまだに判然と覚えている。
開戦の詔書を奉戴して、一億国民が一丸となって国難に赴く決意をしたではないか。
そのときの感激と勇気を忘れてしまったのか。
開戦の責任を云々するなら、当然全国民にあるのだ。
なのに>b>「国民は悪くない、軍人が悪いのだ」という占領軍の罠にかかって、自分たち国民の責任を棚にあげて、天皇と軍人に転嫁するのは、あまりにも卑怯ではないか。
敗戦の応報と前後処理の責任は、自分たちが男らしく負うべきである。
社会党と共産党が、日本国民の敵であることを知りながら、彼らに味方して、かつ、占領軍の提灯持ちとなり、国家社会の安寧秩序を破壊し、おそれおおくも天皇と軍人を恨み、国に捧げた護国の英霊を悪者と鞭うつ輩は、人間ではない。
これら日本人らしからぬ日本人の皮をかぶた害虫は駆除すべきである。
既述のごとく、戦後日本の民主主義は、日本古来の道徳規範から「忠君」を外し、天皇を「象徴」として「単なる尊敬の対象」に置き換えたばかりか、家族制度を破壊し、祖先崇敬、長幼指定の序、殉国の思念、犠牲的精神、清廉にして恥を知る等の道徳の基本まで、すべてを否定し、破壊してしまった。
歴史を知らず、日教組的教育下に育った現代人は、もはや戦前の日本人ではなく、異質の民族に代わってしまったのである。
戦後いちはやく日の丸を踏みにじった変わり身の早い非国民、なかんずくあきれてものがいえないのは、
「マッカーサー神社を建てたい」
「日本をアメリカの一州に加えてください」とマッカーサーに手紙を出した馬鹿野郎もいた。
戦後の教育は、確実に乱れた。
正確な自国の歴史を教えない国はどこにあろうか。
かつての日本人の思想はどこへ行ってしまったのか。
親共反日、しかも小党の社会党に、首相と衆議院議長を独占されて、なんたる日本政界の様だろう。
日本国中に、人才がいないのだろうか。
台湾のことわざに「請鬼提薬単」すなわち、「鬼に処方箋を持たせる」「悪い方に指向する被依頼人」の意で、日本の将来がおもいやられる。
ハタで見ている元日本人の我々がハラハラして仕様がない。
戦争という思い事実を「侵略戦争」の一言で片づける等、もってのほかだ。
平成7年8月15日には「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて反省の意を表し、心からのおわびの気持を表明する」と公表した。
こんな国辱的謝罪論を公言して、英霊を侮辱し、自らの国を侵略国として祖国日本を破壊する国賊総理村山のごときものは、世界中どこにもいない。
のみならず、大臣も国会議員も洗脳されて、彼らに追従する姿は、ハタ目には滑稽であろうが、日本やアジアの将来にとっては、決して笑いごとではない。
今こそ異国民ではあるが、当時、大東亜戦争を共に戦った台湾の我々は、ことさらに絶叫する。
1 当時の祖国日本は、そんな国ではなかった。
2 我々は侵略戦争に参加した覚えがない。
3 社会主義者村山は、いつ日本に帰化したのか。こんな社会主義の帰化人を日本国の総理にまつりあげた日本国民が間違っていた。
また、それより前の6月9日、衆議院は与党三党などの賛成多数で、戦後50年の国会決議をした。
この二つの日本非難の言葉・・・村山総理発言と、国会決議により、1億21千万人の日本国民は、とうとう国際社会において、「犯罪人」の地位を得た。
終戦50年にして、日本はここまできてしまった。
これらの非国民首相、議員どもには、もし、戦前の5・15事件、2・26事件のごとき青年将校がいたらと思うばかりである。
なぜ、日本国民は積極的に抵抗しなかったのか。
これが中国社会なら、村山のごとき不忠者は「漢奸」としていちはやく殺されているはずだ。
この点からみれば、現今の日本は、「不如中国人」と言われても仕方あるまい。
いみじくも、国会議員たるものは、すくなくとも朝日新聞社へ乗り込んだ中倉、粂教授のような気概がなくてはならない。
私利私欲を捨てて、国のために尽くす議員が、果たして幾人いるであろう

同時に村山総理を選出した日本全国民は、すべからく懺悔に懺悔を重ねて、再び過去のごとき失態なからんことを祈る。
これが、祖国日本を救う、唯一の道でもある。
我々は、赤紙一枚で戦場に駆り出された。
誰がひとつしかない命を、無意味に捨てる者があろうか。
愛する親兄弟、妻子、恋人への恋慕をたちきって、若き命を国に捧げた英霊と、その遺族の身の上に思いをいたせば、感謝と同情の念がおのずから湧き出てくる。
ことに生死を共にすべき我々が、心ならずも独り生をぬすみ、恥を忍んで祖国の土を踏んで、すでに50年、何かにつけて思い出すたびに、申し訳ない気がしてならない。
今日、英霊のおかれた報われぬ死に悲憤し、この祖国日本に激怒する英霊の血涙の絶叫が、耳に響いてくる。
我々は、英霊の「名誉回復」のために努力せずにはいられない。
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【Ⅲ】未来の主人公、青少年への願い
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戦後の皆さんのことにつきましては、前段で詳しく述べたが、それ以外のこともいろいろ聞かされた。
想像の及ばないことばかりで、最もきびしい現実を列挙すれば、
1 どうして皇室を尊敬しなければならあいのですか。
2 どうして「君が代」を歌うのですか。
3 どうして靖国神社に参拝するのですか。
4 祝祭日になんで国旗を立てるんですか。
5 大和魂ってどんなものですか。
6 教育勅語のこと、靖国神社の存在も知らない。大東亜戦争はおとぎ話です。
7 いまにロシアが攻めてきたらどうしますか。
  (1)逃げます。
  (2)白旗・赤旗を掲げて降参します。
なんと情けないことではないか。
これが現在の日本青年かと思えば、あまりの常識外れにかえす言葉もない。
これはまったく、教育敗頽の証左で、家庭教育、徳育を無視した結果にほかならない。
いったい、学校で何を教えているのだろうか。
国土防衛は、国民の義務であり、道徳である。
自分と国を守らずに、誰が守ってくれるか。
ここでひとこと申し上げたいのは、軍隊のない独立国家はあり得ない。
いずれ改憲すれば建軍するであろう。
その暁には、みなさんも昔の日本人同様に、神聖なる兵役の義務に服することができる。
国家の干城となる日のいちにちも早からんことを祝福する。
明日の日本を担われるみなさんの責任は、重大であることを自覚されて、祖国日本の現在を再確認し、日本国民としてどうあるべきか、また、どう対処すべきか、さらには歴史の真実を探求して、大東亜戦争を見直してください。
そして国民の中堅となった、心理改革に、また教育改革におつくしください。
同時に、日教組を消滅させ、すみやかに教育勅語を復活して、失われた日本精神(大和魂)を取り戻してください。

日本は独立国家である。
絶対に外国の干渉を受けるものではない。
どこまでも日本人らしく、常に誇りと自信とを堅持して対処すること。
これはみなさんに課せられた使命であることを自覚されて、ご奮門ください。
いちばん肝心なことは、いったん緩急のときは、民族の誇りにかけて祖国日本をお護りください。
これが、人の人たる道であり、忠良なる日本国民の心がけであることを。
鄭春河氏がこれを書かれた頃の日本では、ボク自身もそうでしたし、おそらくこれを読まれる多くの方もそうなのではないかと思うのですが、戦後世代の多くは、頭の中がどちらかといえば経済優先で、道徳や人の道、何が正しいかなんぞは、文部省や裁判所にまかせておけばいいのであって、いかに稼ぐか、いかに儲けるかや、毎日一生懸命働くことこそ素晴らしいことだ、くらいの感覚しかなかったように思います。
しかし、そうした時代のさなかにあっても、日本という国を心底大事に思い、私たちにまるで血を吐くような遺言をしてくださった。
そしてそれがあるからこそ、いま私たちは、目を覚まし、鄭春河氏の骨太な真実の声を、真摯に聞くことができるのではないかと思うのです。
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【Ⅳ】結び
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異国民になって、はや半世紀。
6月には喜寿を迎える。
いよいよ召される日も近付きつつあるこの秋、26年間の日本人ゆえに、これを「21世紀への元日本人の遺言」としてとどめたい。
戦争に負けたからには、いかなる苦難があろうとも、御国と運命を共に、最後まで日本人でありたかったのだが・・・・
いまだに、日本語で暮らしている。
「義は台湾人、情は日本人」で、今日まで生かされたのを限りなく感謝している。
二つの祖国に対しては、「倒れてなお止まぬ」、天のが涯から、地の底からでも、常に祖国の弥栄をお祈りしている。
平成8年
民国85年
1996年 1月
台湾台南市中華南一段
鄭春河(元、上杉重雄)
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政治体制というものは、元にもどることはない、といいます。
おそらく、戦後、おおきく歪んだ日本と言う国が、まるごと戦前の体制に戻ることは、もはやないでしょう。
けれども、戦前にもよいところがあり、戦後日本にもそれなりの良さがある。
そして、これだけは絶対にいえるのが、左傾化した日本の戦後体制は、もはや限界にきているということなのではないだろうかと思うのです。
あえて誤解を恐れずに書くならば、私たち現代日本人は、いまの日本の体制をいったん滅ぼし、戦前の精神性を復活させ、教育勅語の精神と戦後自由のいいとこどりした新しい体制を創造し、築くべきときにきていると思うのです。
世界の、あらゆる国の革命は、あくまでその国の歴史伝統文化に立脚したものでなければ、成立しません。
そうでないケースは、他国民が当該国の政治を牛耳った場合ですが、この場合は一般には相当な反対派の虐殺がセットになるのが普通です。
世界で、それをせず、仁政をもって被支配国に豊かさと繁栄をもたらした国家は、戦前の日本という国、一国だけです。
民主党が政権をとったとき、無血革命成れり!という言葉が躍りました。
しかし、民主党の根っこにある社会主義、共産主義の根本にあるユートピア思想というのは、日本人にはまったくない概念です。
したがって、彼らの革命は成功しない。
人類が、核という最終兵器を持ち、もはや大国同士が戦争をすることができない状況を迎えている中、いま世界がもとめているのは、権力のために人をだまし、邪魔者を殺害し、嘘をついたり証拠の捏造までして、人心をたぶらかすような政治体制ではありません。
もはや最終戦争ができなくなった世界がもとめているのは、約束を守り、仁と勇気とやさしさをもって自他共に繁栄することを願い実行する、日本的「和」の精神であり、文化です。
したがって、私たちが日本を取り戻すこと、新たな日本を打ちたてることは、それは日本人の生活を安定させ、日本の産業が発展し、日本人が富むだけでなく、世界が待ち望んでいることなのであろうと思います。
鄭氏の遺稿を、無駄にしない。
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