
鄭春河という方がいます。台湾の方です。
日本名を上杉重雄さんといいます。
鄭春河さんは、大正9年、台湾・台南州北門郡佳里町に生まれました。
昭和14年、早稲田大学中学部を卒業後、台南神社で神職としての教育を受けました。
昭和17年、鄭春河さんは特別志願によって、陸軍第一補充兵に編入します。
翌年、台湾第四部隊に入営し、豪北に派遣され、チモール島で終戦を迎えています。
昭和21年6月、復員して台湾に帰郷しますが、そこで日本人と疑がわれ検
挙されています。
戦後は、製油会社等の部長を歴任後、社長、顧問を歴任され、平成9年、台南・延平郡王祀(鄭成功廟)にて催された複台記念日祭典に、神道式祭典を斎主として修められ、また、平成10年の台中・宝覚禅寺で催された「台湾同胞戦争裁判犠牲者合祀祭」でも、神道式祭典を斎主として修められています。
多数の著作を遺され、平成17年12月22日、85歳で台南で逝去されました。
私たちがいまこうして日本という国に目覚めることができたのも、鄭春河さんたちのように、ずっと日本の心を守るために戦い続けてこられた方々がいてくださったおかげです。
そこで今日は、新年早々ではありますが、鄭春河さんの告別式が行われたのが、平成18年1月8日であったことに鑑み、氏のご遺稿を紹介したいと思います。
おそらくこれこそが、保守の皆様の思いなのではないかと思います。
尚、漢字は、原文は旧字体で書かれていましたので、新字体になおしています。
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○鄭春河氏遺文○
【大阪靖国訴訟補助参加人意見陳述書】
元日本人 上杉重雄(鄭春河)
私は植民地台湾で大正9(1920)年に生れて、終戦翌年の6月復員まで、満26年間の日本人であります。
大東亜戦争の生残りです。
大東亜戦争が勃発した時、国土防衛は国民の義務だと自覚して、血書嘆願で陸軍兵に採用され、昭和18年豪北のチモール島、第48師団歩兵第二連隊に転属されました。
当時台湾第一回陸軍特別志願兵は一千名でしたが、第48師団に約八百余名配属されました。
悪戦苦闘をしましたが遂に日本は敗戦しました。
21年6月4日、異国民となって中国国民党占領下の台湾に送還されたのであります。
しかし私の人生に悔いはありません。
大東亜戦争で、213万余戦没しました。
「靖国神社で会おう」と誓い合って、祖国日本の為に潔く散華されました。
ところが私は不覚にも死所を得ずして本日まで生きながらへたのを恥かしく申し訳なく思つて居ります。
靖國神社は、日本人の感情の上に立って、建立されたのです。
祖国日本の為に命を捧げた方々に対して、国民として、永久に祀りつづける場所であります。
古来日本では、亡くなった人を慰める方法は、たったひとつ、祀ることです。
もっと生き永らえることが出来たのに、その命を絶たれた方々に対する鎮魂の場で有ります。
決して戦争を鼓舞するための、魂を荒ぶらせるための場などでは絶対にありません。
私は今まで秘密にしておりましたが、この際やむなく公開しなければならない事がございます。
一九九九年(平成11年)10月19日、靖国神社御創立130年大祭に招かれました。
前列の指定席に案内されたのです。
ところが不思議哉、式典の最中に、英霊の声が伝わってきました。
目を閉じたら驚く勿れ、
「おい上杉、お前は死なずによかった。
俺達は国の要請で戦場に立ち、この祖国日本のために愛する親、兄弟、姉妹、妻子、恋人への恋慕を絶ち切つて俺達が死んで逝ったのだ。
ところが俺達がこよなく愛した祖国から裏切られ、
この靖国の地の公式の祭祀は見捨てられ、
総理、国賓の表敬参拝、自衛隊の部隊参拝もしないのは一体何たることか。
俺達の死を何と考えているのか。
今日日本の平和と繁栄は俺達の犠牲の上にあることを認識しているのか。
俺達はこんな冷たい祖国の発展を願い、こんな心ない祖国のための礎となったのではないのだ」と。
これだけではありません。
その夜又ホテルに現われました。
「俺達は生れ変りたい。極楽浄土へ昇天させてくれ」
と将校以下十数名が代表として来られたのです。
翌朝フロントで「鄭さん夕は来客が多くて忙しかつたでしょう」ときかれてびつくりしました。
英霊は、昔ままの服装で階級章もつけていました。
夢のようで夢ではなかつたのです。
しかしこんな事を言うたところで誰が信じてくれますか。
私はどうしてよいか分りません。
大祭が終わつて帰国後二年半になりますが、その時聞いた言葉が今なお脳裏にとどまり、胸にせまってくるのです。
日本の皆々様、英霊のおかれた報はれぬ死に悲憤し、この日本の心なき変節に激怒する血涙の絶叫を、如何思召遊ばされますか?
国のために命を捧げられた246万6千余柱の護国の英霊に、一国の総理が国民を代表して感謝の意を表するのが何故いけないのか。
小泉総理・靖國神社を訴訟するのは以ての外です。
世界何処の國にもこんな例がありません。
自分たちの国を守る尊さを、どうやって伝えるのでしょうか。
護国の英霊が祀られている靖国神社を訴えるなどという冒涜を、私は人間として許すことができません。
この人たちは英霊の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
このような非道を放置すれば、やがては社会が乱れ、国もつぶれ、人の顔をした餓鬼が跋扈する世となるでしょう。
どうか裁判官の皆様、大義名分を明らかにして正義に基いた御裁断を元日本人の一人として謹んでお願ひ申し上げる次第でございます。
(附嗚呼救国之神靖國英霊一冊)
平成14年6月10日
元日本人 上杉重雄(鄭春河)
臺灣台南市(以下略)
大阪地方裁判所 裁判官殿
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鄭春河さんの著作については、以前、当ブログでも「嗚呼大東亜戦争」の文の一部をご紹介させていただきました。
≪大東亜戦争に勝利した日本≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-510.html
鄭春河さんはたいへん骨太な方で、戦後日本が左傾化し保守的な思想は口にするだけで左翼から徹底攻撃を受けた時代に、日本の心、真実の日本をずっと説き続けて来られました。
いま、日本では、多くの日本人が陸続と正しい日本の姿に目覚めつつあります。
たいせつなことは、鄭さんのように、語り伝えてくださった方がおいでになるから、我々が目を覚ますことができるのだ、ということです。
逆に言えば、多くの日本人の目を覚ますためには、いま、覚醒した保守のみなさんが、語りに語り、つたえに伝えていく。
そうすることで、ひとりまたひとりと日本の心にめざめ、日本はあっという間に、目を覚ますことができる。
鄭さんのご遺稿は、何も特別なことを書いているのではありません。
世界の常識、人としての常識を書かれているにすぎない。
あたりまえのことがあたりまえにできる社会。
私たちが求めている社会は、まさに、そういうあたりまえの社会なのではないでしょうか。
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