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清流写真

「致知」のメルマガに載っていたお話が、日心会MLで紹介されました。
とても素晴らしいお話でしたので、ここでもご紹介したいと思います。


ちなみに「到知」というのは、日本的人間学を追究する出版社で、月刊誌「到知」を発行しています。
ご興味のある方は、↓へ。
http://www.chichi.co.jp/">http://www.chichi.co.jp/
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【縁を生かす】
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。
本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
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人に対する好悪の感情というのは、これは否定できないものです。
誰しも「気の合う人」もいれば、どうにも「気に入らない奴」というのもいる。
ただ、これだけは思うのですが、おかしな奴、へんな奴、嫌な奴であっても、なにより自分自身のために、あるいは国家のために、公のために、学ぶべきは学び、捨てるべきは捨てる。それでいいと思うのです。
もし、今日ご紹介した担任の先生が、その少年の「服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれず」、「少年の悪いところばかりを見る」ということ「だけ」を続けていたら、もしかすると感応妙で、そうした担任の心が他の同級生の生徒達に伝わり、それが生徒間の陰湿なイジメに発展し、徹底したその少年への誹謗中傷に結びつき、その少年は自殺に追い込まれ、問題を起こした先生は、教職の道を閉ざされ、同級生たちは仲間への殺人を一生抱えて生きるという不幸な事態を招いたかもしれない。
ところが、担任が少年のすごさに気がついたことで、少年に対するイジメもなく、彼は真剣に勉強に打ち込み、医者となって、こんどはさらに数多くの人たちの命を救うようになった。
人が人を評価する、判断するというのは、日常的にとっても軽はずみに行われています。
あいつがどうだ、こいつがどうだ。
そしてネットの世界では、その匿名性から、どこの誰ともわからない人が、特定個人をまさに「血祭りにあげる」ということが行われたりもします。
教室では、陰湿なイジメが、あたりまえのように繰り返され、子供の自殺まで招いている。
こうしたことが起こる背景のひとつが、「評価」するという概念にあるのではないかと思います。
なんでもかんでも、あたりまえのように、誰もが「評価」する。
あれがいい、これがいい、あれが悪い、これが悪い、いいか悪いか、好きか嫌いか、正しいか間違っているか等云々です。
歴史に対する姿勢もそうで、たとえばインパール作戦は正しかったのか、間違っていたのか、牟田口中将は利口者か大まぬけか、などなど、右か左か、上か下か、正しいか間違っているか等の二元論で「評価」する。
そしてその「評価」のために情報を集め、集めた情報でみんなが「評価」ばかりしている。
今日のお話の担任の先生も、最初、その少年の「服装のだらしなさ」を「好きになれない」と「評価」し、少年の「悪いところばかり」を「評価」しようとしていた。
ボクは、そういうところに現代日本の陥穽(大きな間違い)があると思うのです。
たいせつなことは「評価」ではなくて「学ぶ」ということだと思うのです。
少年を上から目線で「評価」するのではなくて、「少年から学ぼう」とする姿勢があれば、はなから「なぜ少年の服装がだらしないのか」という疑問に行き着きます。
担任は、その疑問を解いて行ったから、少年の身の上がわかった。
そして「少年に声をかけ」、「放課後一緒に勉強する」という「行動」が生まれ、少年の成長が生まれた。
要するに「評価」からは何も生まれず、生まれないどころか、人を貶めたり、中傷したり、嫌いな人物を切り捨てたりと、ろくなことが起こらない。
なぜなら、それは上から目線であり、「評価」するということ自体が生意気で傲慢なものであるからなのではないかと思うのです。
一方、「学ぶ」という姿勢からは、積極的かつ前向きな「行動」が生まれ、発展があり、成長がある。
戦後教育を受けてきた私たち日本人は、ともすればなんでもかんでも「評価」ばかりしようとする傾向があります。
テレビをつければ、なんでも鑑定団。
雑誌をひらけば、ランキング。
そんなのばかりです。
そこに、謙虚に「学ぶ」という姿勢はどこにもない。
あるのは「評価」ばかりです。
そして学ぶことを忘れた日本人の民度は下がり、いまや日本人の民度は、かつてのChina、朝鮮なみに落ちているという人さえいます。
ちなみに、まったくどうでもいいことですが、ボクはこのブログを通じて、いろいろなお話をご紹介させていただいています。
けれども、これを書くことで、おそらく読んでいただいているどなたよりも、ボクが一番、先人たちに勉強させていただいている。
すごいとしか言いようのない先人たちを学ぶにつけ、自分自身に対しては反省することばかりです。
ですから、このねずきちブログは、ボク自身の勉強ノートです。
それを公開している。
それだけのことです。
たまに、読者の方でねずきちさんはすごいとか言ってくれる人がいるけれど、それは違います。間違っています。
ボクは、自分が先人たちから学ばせていただいているだけです。
すごいのは先人達であって、自分ではない。
そこを勘違いしたら、その瞬間に、ボクは、ダメ人間になる。
謙虚に、まじめに「学び」、それを「つたえる」。
そうすることで、命を削って偉業をなした先人たちの歴史を風化させず、彼らの命を、名前を、現代によみがえらせることができるかもしれない。
だから、これからもボクは、先人たちから、「学び」続けようと思います。
「評価」をする気は、一切ありません。
「評価」は、すればするほど、人の心から謙虚さを奪い、人の心を暗く陰湿にし、人を傲慢にする、そんな気がするからです。
すみません、せっかくの到知の良い話を、ツマラナイお話で汚してしまったようです。
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