
入院中にいた部屋は、病院の5階だったのですが、そこからは町の景色がよく見え、また遠くに富士山の雄姿も視ることができました。
そして眼下には、一面、ずっと、地平線まで、関東平野の民家が連なっています。
見渡す限りです。
でも、よくよく考えてみると、昭和40年頃、このあたりは一面、ぜんぶ、ずっとずっと遠くまで、全部 田んぼ だったんです。
昭和40(1965)年といえば、当時の日本の人口は9820万人です。
ざっと1億人といってもいいかもしれない。
いま(平成22年)の人口は、1億2600万人です。
簡単に言ったら、人口は、1.28倍に増えた。
でも、考えてみたら、増えたのはわずか1.28倍でしかないのです。
にも関わらず、稲の実がたわわに稔る、瑞穂の国の、田畑の風景は、わずか50年で緑の風景から、雑多な家屋が建ち並ぶ市街地へと変化した。
しかし考えてみると、昭和40年の日本人の女性の平均寿命は72.92歳です。
これが平成21年になると、特に女性の平均寿命は86.05歳で、なんと13.13歳も増えた。
そしていま、65歳以上の老齢者人口は、約2700万人です。
てことは、考えてみると、あの、田園風景が広がっていた昭和40年頃と、いまの見渡す限り、戸建て住宅やマンションが立ち並んだ現代とでは、人口は、高齢者の人口が増えた分だけ、人口が増えたにすぎない、ともいうことができます。
日本人の寿命が長くなり、お年寄りの数が増えた。
で、その分、人口が増えて、9800万人が、1億2700万人になった。
たったそれだけのことなのに、田園風景は消え去り、豊葦原の瑞穂の国は、あたり一面乱雑に開発された宅地で占められている。
しかもです、その住宅は、戸建住宅もマンションも、遠目にみても老朽化してきている。
そんな様子を見ながら、ふと思ったのです。
戦後世代の我々は、いったいこの国で何をやってきたのだろうか、って。
一昔前、雑木林や田畑だったところに、舗装道路ができ、土地が造成されて宅地になることが、「開発」されることであり、田舎が都会化されることであり、それはとっても「良いこと」であるかのように言われた時代がありました。
田舎で農業をしているのではなく、都会に出てホワイトカラーのサラリーマンになることが、正義であり、住宅ローンを組んで、妻や子のために、戸建住宅やマンションを購入することが、サラリーマンの夢とされた時代がありました。
子供たちの部屋、明るい我が家。家族の明るい笑顔。家つき、土地付き、ババア抜き。
年寄りの元を離れて、都会で住宅を買い、妻子とともに小さいながらも幸せなマイホームを持ち、生活する。
それがサラリーマンの憧れであり、理想とされた時代です。
しかし、あれから30年。
給料を切り詰めて建てた住宅は老朽化し、子供たちは大人になって妻をめとり、夫を得て家を離れ、自分たちでまた新たな住宅を購入している。
長年住みなれた住宅は、もはやボロボロになっているのに、家のローンだけは、まだまだたっぷり残っている。
景気も給料も右肩上がりと信じていたのに、気がつけば平成にはいってから給料は減る一方。
家族が幸せに過ごすためにと買った家のローンを払うために、旦那だけじゃなく、奥さんも働きに出て、夫婦共稼ぎして、家には子供たちだけ。
立派なお父ちゃんをするつもりが、平日の通勤ラッシュと残業で疲れ果て、土日はただ家でゴロゴロしているだけの粗大ゴミ。
そんな姿が子に尊敬されるはずもなく、気がつけば、頭髪はゴマ塩頭。
みなさん、あと50年経ったら、日本はどうなるんでしょうね。
いま、住宅地とよばれているあたりは、昭和50年代~60年代に建てられた住宅が多いじゃないですか。
あと50年経ったら、いま住んでいる人たちのほとんどは、寿命が尽きてあっちの世界に旅立ってしまいます。
そもそも耐用年数の少ない建売住宅なら、あと50年したら老朽化して人が住める状態にない。
その家で育った子供たちは、オンボロになった年寄りの家を捨て、別世帯を築いて新しい家に住んでいる。
そうなると、どうなっちゃうんでしょうね。
いまの住宅街や、マンション街は、そのまま、ゴーストタウンですか?
それとも、空家になって老朽化した住宅に、中国人や朝鮮人たちが大挙して住み始める?
考えてみると、私たちの戦後世代って、日本を壊すことしかしてきてなかったんじゃないだろうか。なんて気がしてきてしまったのです。
そうは思いませんか?
ローンで家を建てた。
それが素晴らしいことと信じてた。
だけど、気がつけば家は老朽化し、体も年老いて、子供たちは独立して世帯を営み、もう、いない。
あと50年経ったら、その家には誰も住んでいず、気がつけば支那人たちがそこに住みついている・・・・・
なんだかぞっとするじゃありませんか。
そもそも、日本の文化というのは、自分を先祖代々から、未来の子や孫の時代に至る長い縦のつながりと、現代を生きる上での横のつながり、そういう縦軸と横軸を大事にしながら、自然との共生を図ってきた。
だから、家は基本、大家族主義だったし、お年寄りから曾孫まで、みんながひとつ屋根の下に同居して、家族で力を合わせて生活してきた。
外でバカなことをしでかせば、それは○○家の面汚しだし、親戚の恥さらしだった。
住宅も、土地も山林も、すべて使役と再生を念頭に共生を図ってきた。

狭い日本の国土で、アメリカの真似をして、ブルドーザーで宅地造成し、そこに新興住宅街を建て、100年のタームでは、その住宅街そのものを捨てて(ゴーストタウン化して)、また別な地所に高級住宅街を建てる。
そういう、自然に対して破壊的な、使い捨て的なことは、日本は厳に謹んできたのではないか。
すくなくとも、人口が、ちょっと寿命が延びて、高齢者が増えた分、人の数が増えたくらいで、これだけ多くの自然を破壊しつくしてしまった。
その破壊をしてきたのが、戦後世代と呼ばれる、私たちの世代ではなかったか。
私たちが、欧米に学び、それが「進歩」だなどと浮かれてやってきたことが、長い目で見たとき、ぜんぜん進歩などとはほど遠い、単なる破壊活動でしかなかった、もしかすると、実際のところ、そういうことではなかったのだろうか。
そんなことを考えました。
人口の増加に対して、あまりにも極端に住宅が増えた最大の原因は、GHQが行った民法の相続法の改正です。
これは昭和22(1947)年5月に行われたもので、それまでは、日本の法定相続は、家督相続制度だったのです。
つまり、相続は、旧民法での「家」制度の下で行われ、一人の家督相続人が、前戸主の一身に専属するものを除いて、前戸主に属する一切の権利義務を包括的に承継した。
要するに、法定家督相続人ひとりが、前戸主の権利義務をすべて受け継いだのです。
そして法定家督相続人になるのは,被相続人の戸籍に男子があれば、それが優先。
その男子のなかでも年長者が優先順位者。
子供に男子がいなければ、女子が戸主とった。
これが、GHQによって改定された戦後民法によって、180度、異なるものに強制的に変えられたのです。
それがいまの民法で、旦那が死んだ場合、奥さんが半分、残り半分を子供たちで頭割りにする、という制度に変わりました。
この結果、たとえば大地主がいても、相続の時点で、土地は分散してしまう。
そして相続税対策で土地を売らなくてはならないから、土地がさらに小さく分散する。
小さく分散した土地では、小さな家しか経たないから、マッチ箱みたいな戸建て住宅が建つ。
マッチ箱だから、当初は建て売りは、給料の何カ月分程度の値段だったのだけれど、個人向け住宅ローンなどが出ることで、住宅価格はウナギ登りになり、マッチ箱ひとつが何千万円もする時代になった。
住宅ローンの返済期間は、最長5年が10年になり、20年になり、25年になり、35年になり、貸出枠も大きく広がった。
住宅価格は、値上がりするだけ値上がって、バブルがはじけた。
そしていま、見渡す限りの老朽化住宅が、関東平野一面に広がっている。
もともとは、田んぼだったのに。
もともとは畑だったのに。
あのへんは、鎮守の森だったのに。
そういえば、戦後すぐのころまで、日本全国に「鎮守の森」は2864か所もあったそうです。
しかし、いまや「鎮守の森」は、僅かに全国で40か所程度しか残っていない。
戦後世代の私たちは、いったい何をやってきたんでしょうか。
浮草のように、流行に流され、それが「個性だ」「進歩だ」「開発だ」とあおられ踊らされながら、一方で、踊りを仕掛け、一方で踊らされ、振り返ってみれば、ただ土地を壊し、国土を荒廃させただけ。
もうこのあたりで、私たちは地に足をつけた日本人として生き方、日本人として家督の在り方を取り返す時期に来ているのではないでしょうか。
すくなくとも、いまのままでは、日本は壊れてしまう。
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