
以前、石黒小右衛門という元禄から寛政年間に生きた武士の話を書きました。
≪一死をもって責任を貫く≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-840.html
石黒小右衛門は、岡山県真庭市の代官だった人ですが、旭川が氾濫し、各地に大規模な被害が起きた際、村の復興のために幕府の許可を得ようとし、その許可がないうちに、復興支援活動を行っています。
村は立ち直り、村人たちの命は救われた。
しかし、その石黒小右衛門に対して幕府が出した裁定は
「命令違反、越権行為」
という厳しいものでした。
石黒小右衛門は、その責任を全うするために、60歳の身でありながら、江戸から戻る籠の中で、腹を斬って自害する。
籠は、籠の中でまさか小右衛門が腹を切っているとも知らず、そのまま走り続けています。
小右衛門は、腹を斬りながら、ひとことも声すら発しなかったのです。
これは実話です。
たとえ善行であったとしても、おかみの命に背いたとあれば、それは処罪にあたります。
石黒小右衛門は、みずからその責任を全うした。
これが日本の武士というものだし、こうしたまさに「腹をかけた」「命がけ」の姿勢で施政を全うしたからこそ、日本社会において、「おかみ」は、非常に権威があったし、尊敬もされた。
明治初期に日本にやってきたハリスは、日本の大名たちと会って、その感想を次のように述べています。
「大名の屋敷にいくと、部屋にはなんの飾りもない。ただ清潔である。」
西洋でも東洋でも、世界では、王侯貴族は、がちゃがちゃと飾り立てるのが権威の証です。
王様は、立派な服を着て、豪華な架家具調度品に囲まれた華麗な宮殿に住み、立派なマントをはおり、宝石のついた杖を持ち、頭には黄金でできた王冠をかぶる。
これに対して日本の大名は、ただ絹の着物を着ている程度で、屋敷には何の飾りもなく、もちろん王冠などかぶらない。
むしろ、人の上にたつ者こそ、質素であらねばならないという哲学すら持っていた。
士農工商は、身分の上下をあらわす制度だけれど、これは貧乏な順番でもある。
武士がもっともカネがなくて、借金もぐれ。
農民は、カネはないが、食いものはある。
職人は、よいこしのカネを持たなくてすむくらいカネがまわる。
商人は、基本、カネモチ。
ゼニカネではなく、仁政をもって統治する、というのが日本の施政の伝統だし、そういう伝統があるからこそ、日本人はおかみに従順だし、それだけ施政者を信頼していた。
その日本社会の伝統を、根底から踏みにじっているのが、いまの民主党政権です。
昨日の記事の中井ハマグリにしても、もはや到底日本人とすら呼べない。
施政者のなんたるかさえもわからない、バカ者です。
そして彼らの最大の罪は、日本社会におけるおかみへの絶対の信頼を根底から叩き壊している、ということです。
このままでは、あの世界にほこる文化をもった日本は、日本人は、特アのような品性の低い国民になりさがってしまう。
先月、尖閣問題が紛糾した際に、支那では、数々の反日「デモ」が行われたと報道されました。
しかし、欧米にせよ日本にせよ、ああいうものは、世界では「デモ」とはいわない。
あれは「暴徒」です。
しかも支那では、これが政府のお墨付きの「やらせ」だというのだから笑わせます。
中共政府自体が、世界史上でみれば暴徒の群れということなのでしょう。
そして支那のデモ隊は、日本人経営者の店を打ちこわし、日本車をひっくり返し、大使館に投石し、支那の民族衣装の古服を着ている女性を、一方的に日本人女性の和服姿と勘違いして、その女性をまる裸にした。
それだけのありとあらゆる蛮行をやっておきながら「反日有理」、「愛国無罪」などと言っている。
日本人の眼からだけでなく、世界中の誰の眼からみても、まさに下劣きわまりない行為です。
そのようなものを喜んでタレ流している日本のマスコミの品格も地に落ちたものです。
どのような場合でも、理は理、蛮は蛮です。
昨日、国会を囲んだ日の丸デモ隊が、いかに整然としていたか。
彼らは、純粋に日本を思う憂国の士です。
「愛国有理」、「愛国無罪」などと、野蛮なことは言わない。
筋は筋として、きちんと通しながら、整然とデモを行う。
これが先進国のデモというものです。
すこし前ですが、日心会会員のUさんが、次の文を書いてくださいましたので、ご紹介します。
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父親のひと言、あるいは一喝というのは重みがありました。
薩摩ではそのような「ひと言」のなかに、
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議を言うな
───────
というのがあります。
この言葉で検索してみたら、僕の同級生のブログがヒットしました。
それは読ませるというよりも、自身の世界にのめりこんでいて、はっきり言って疲れるし、僕は途中で読むのを止めましたが、奴は昔からそんな悪い癖がありました。
でも、やはり彼も僕同様に、親や年長者に言われてきたのでした。
言葉とおりに解釈すれば、理屈や文句を言うな、という意味でしょうか。
議論をするな、議論はもう要らない、とも受け取れます。
戦後教育を受けた僕は、反抗期といわれる時代には、人の意見を封殺するようなことは言うべきではない、なんで俺が言われなければならない、などと理不尽な思いをしたものです。
しかし「議を言うな」は、用法も意味も深いものがあるんです。
この言葉を若い者が年長者に対して言うのを見たことも、聞いた事もない。年長者が若者を諌めるときにだけ用いられた言葉だからです。
●それ以上言ってはならないという立場を弁えよ
●己の分というものがあるだろう
●組織や社会のあるべき秩序を理解しろ
●決まったことには文句を言わずに従え
●節度というものがあるだろう
●言いたいことも我慢しろ
●自己コントロールできないのか、
ということまで含んでいるかのようです。
僕は最近特に思うのですが、山や川がそこにあるべき姿であるように、ごく自然にそこにあった組織や社会の秩序を乱してはならない、ということを昔の人は、よく知っていたのではないかと思うのです。
「議を言うな」は、丁度、水が高い所から低い所へ流れるような感じで、なんとなく、長いものには巻かれろ、を連想してしまうけれど、そうではなくて、水の流れを乱す言動は、それ自体が大それた行為と看做されたのです。
薩摩が維新を成し遂げられたのは幾人かの偉人の力ではなく、義弘公関が原中央突破以来の薩摩の組織力であるという学者がいました。
全くそのとおりで、幕末には若い下級武士が活躍できたのですから、若者の意見を封じ込めたわけではありません。
そうではなくて、決まったら「議」を言うことなく、実行あるのみ。
こういうところに、組織力が十分に発揮された原因があるのではなかろうかと思うのです。
僕らはいろんな場面で「議を言うな」と言われて育ちました。
今は言う立場の年齢になってしまったが、世間を見渡せば、この言葉を発したいことがいっぱいあります。
ありすぎます。
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四の五の言うのではない。
決まったら、それに従え。
すすんで蛮行をやっておきながら「反日有理」、「愛国無罪」などというのは、屁理屈でしかありません。
薩摩弁なら、議を言うな。
広島弁なら、かばちたれたらあかん。
会津弁なら、ならぬことはなりませぬ。
江戸弁なら、屁理屈を言うな。
その他、地方によって言い方は様々だと思うのですが、自ら進んで、悪さをしておきながら、屁理屈を垂れて言い逃れをしようなどというのでは、どっかの国の粗暴な住民と同じです。
ここは日本です。
年長者を敬い、組織規律を大切にし、ひとたび決まったら、自分の責任において、やるべきことをやる。
昔、軍隊で、本当に強い兵というものは、日ごろはまじめでおとなしい、物静かなタイプが多かったそうです。
黙々とやるべきことをやる。
拉孟の戦いの金光恵次郎大佐も、まさにそういう方でした。
愛国だから、保守と自称しているから、何をしてもいいということにはなりません。
しかし、日本人がおとなしいデモをしているから、たいしたことはないなどと考えるのは大きな間違いです。
おとなしくデモ行進をしている中に、フツフツと煮えたぎる炎の内圧が高まってきているということを、反日左翼のアホどもは知るべきです。
いざとなれば、議をいわず、命を賭して戦うのが大和民族です。
日本男児をなめるな!
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