
たくさんの励ましと退院の祝辞をいただき、心から御礼を申し上げます。
ありがとうございます。
それにしても、よくやった!と思わず喝采を叫んだのが、27日早朝までかかった、仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議の可決です。
だいたいいまの内閣、まるで学生サークルです。
頭は良いかもしれないが、世の荒波を知らず、社会に揉まれてもいず、まだまだ頭でっかちの半人足、学校内では4回生のオオモノかもしれないが、いざ社会に出れば、すぐには使い物にならない半人前が大臣をやっているようにしかみえない。
これから先輩について、必死で社会の荒波に揉まれ、結婚して子を授かり社会に対しても家族に対しても大きな責任を担いながら、日々の仕事に邁進する。
そうしたことをすっきりとした笑顔で邁進するのが、故中川昭一氏や麻生太郎元首相らです。
年齢が40歳を過ぎようが、50をすぎようが、60をすぎようが、いまのバカン内閣は、無責任な「学生内閣」でしかない。
国家というものは、その国土に住むその国の国民の集合体です。
国旗や国歌を拒否するのは、要するに国家そのものを拒否しているということです。
この国に愛情を持てないということは、この国に住むこの国の住民を愛せない連中であるということです。
それでいてのうのうと政治家や大臣やら官房長官をしているのですから、へそが茶を沸かすとはこのことを言う。
国を愛するということは、人を愛するという心です。
今日は、いくつかの手紙のご紹介です。
何も言いません。
ご一読されてみてください。
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二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。
希望を持ちながらも心の一隅であんなにも畏れていた“時期を失する”ということが実現してしまったのである。
去る10日、楽しみの非を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊勅語、我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。点々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そしていま、晴れの出撃の非を迎えたのである。便りを書きたい、書くことはうんとある。
然しそのどれもが今までのあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何ものでもないことを知る。
あなたのご両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さったご親切、全く月並みの御礼の言葉では済みきれぬけれど、「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。
今は、徒に過去における長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
しかしそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。
あなたの幸せを希う以外に何物もない。
徒に過去の小義に拘ること勿れ。
あなたは過去に生きるのではない。
勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。
あなたは今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面場面に活かしてくれるよう、自軍勝手な一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言うのである。
当地は既に桜も散り果てた。大好きな○葉の候が此処へは直きに訪れることだろう。
いまさら何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。
1 読みたい本
万葉、句集、道程、一点鐘、故郷
2 観たい画
ラアフェル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
3 智恵子、会ひたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って征く。
昭和20年4月12日
智恵子様
穴沢利夫少尉 福島県出身 中央大学卒
陸軍特別操縦見習士官1期
陸軍特別攻撃隊 第20振武隊
昭和20年4月12日沖縄周辺洋上にて戦死 23歳
なつかしい静ちゃん
お別れのときがきました。
兄ちゃんはいよいよ出撃します。
この手紙が届くころは、沖縄の海に散っています。
思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人残していくのは、とても悲しいですが、ゆるしてください。
兄ちゃんのかたみとして、静ちゃんの名であずけていた郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるとき位使ってください。
時計と軍刀も送ります。
これも木下のおじさんに頼んで、売ってお金に変えなさい。
兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。
もうプロペラがまわっています。
さあ、出撃です。
では兄ちゃんは征きます。
泣くなよ静ちゃん。
がんばれ。
大石清伍長 大阪府出身 飛行学校卒 戦死
※大石伍長は大阪大空襲で父を失い、つづいて重病だった母親も亡くした。小学生の妹(静恵)一人が残され、伯父の元に引き取られていった。
我が一生、ここに定まる
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、ご安心ください。
決して卑怯な死に方をしないです。
お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん! かう叫びたい気持ちで一杯です。
何か言ってください。
一言でも十分です。
いかに冷静になって考へても、何時も何時も浮かんでくるのはご両親様の顔です。
父ちゃん! 母ちゃん!
僕は何度でも呼びます。
お母さん、決して泣かないでください。
修が日本の飛行軍人であったことに就いて、大きな誇りを持ってください。
勇ましい爆音を立てて先輩が飛んでいきます。
ではまた。
富田 修中尉 長野県出身 日本大学卒
海軍第十三期飛行予備学生
昭和19年9月3日台湾にて殉職 23歳
西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。
今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以って君恩に報ずる覚悟です。
武人の本懐此れにすぐることはありません。
鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を御許し下さいませ。
本日、帝国の為、身を以って母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。
皆様御体大切に。
父上様、母上様
教え子へ(第四十二期飛行学生へ)
教え子は 散れ 山桜 かくの如くに
里子殿
何もしてやる事も出来ず散り行くことは、お前に対して誠に済まぬと思って居る。
何も云わずとも、武人の妻の覚悟は十分出来て居る事と思う。
御両親に孝養を専一と心掛け生活して行く様、色々思出をたどりながら出発前に記す。
恵美ちゃん坊主も元気でやれ 行男
関 行男大尉 愛媛県出身 海軍兵学校卒
神風特別攻撃隊敷島隊
昭和19年10月25日
比島レイテ湾にて特攻戦死 23歳
戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。
既に今日あるは覚悟の上でしょう。
私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。
今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。
数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。
そればかりが残念です。
随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。
親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。
育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。
私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。
御身大切にごきげんよう。
神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死
謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。
小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。
今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。
本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。
出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。
この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。
沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。
男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。
護国の花と立派に散華致します。
私は二十歳をもって君子身命をささげます。
お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。
ほめてやって下さい。
家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。
生前の御礼を申上げます。
私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。
何かの足しにでもして下さい。
近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。
後はお願い致します。
では靖国へまいります。
四月六日午前十一時記す
神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊
昭和20年4月7日
海軍一等飛行兵曹 松尾巧 享年20才
佐賀県出身 乙飛17期
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いろいろな遺書を調べているときに、あるサイトに「特攻隊員は自らの死を飾りたかったのだ」と書いているサイトがありました。
どのサイトか、あまりにも悲しくてすぐに閉じてしまったので、もうわからない。
階級闘争主義に染まりきり、血のにじむ魂の叫びを読んで、そんな風にしか考えられないバカ者が、いまこの世にいるということ自体が、けがらわしく思う。
これが戦後教育の「成果」なのでしょうか。
英霊たちへ深く深く追悼の意を表します。
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みなさまへ
本日の記事は、↓の記事をもとに、若干の原稿の稿正をしたものです。
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