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特攻隊1026

笹森順造(ささもり じゅんぞう)という方がいます。
青森県弘前市のご出身の方です。
明治19(1886)年のお生まれ、で昭和51(1976)年、89歳で逝去なさいました。
早稲田大学政治経済科卒業で、コロラド州デンバー大学の大学院を卒業し、帰国後、東奥義塾高校に塾長として18年間勤務されています。
東奥義塾高校というのは、江戸時代、弘前藩の藩校だった稽古館からの伝統を受け継ぐ学校です。


昭和14(1939)年に招かれて東京・青山学院の院長となり、これを4年勤め、戦争が終わった昭和21(1946)年に、青森全県区から衆議院議員となりました。
衆議院議員を4期7年勤めたあと、昭和28年から参議院議員を3期、昭和38(1963)年に政界を引退するまで、自由民主党の代議士として両院議員総会の会長などを勤められた方です。
実は、いま日本に剣道があるのは、この方のおかげです。

笹森順造氏
笹森順造

戦後日本を統治したGHQは、日本精神の元となるものの徹底した破壊を行っています。
愛国心を持つ優秀な教師等20万人の公職追放。
日本人の魂の原典となる書籍の徹底した焚書。
学校教科書の改ざん。
相続制度や戸建て住宅の建築基準法改定による日本型大家族制度の破壊。
占領憲法の制定。
報道機関への反日偏向報道の強制等々です。
そしてそのなかのひとつに、神社への参拝の禁止、神社庁の廃止、武道場の強制閉鎖と日本武道の廃止などの政策も織り込まれました。
弘前藩に伝承される小野派一刀流剣術の第16代宗家でもあった笹森順造氏は、こうした実情を憂い、なんとかして武道を復活させようと、GHQと何度も交渉を行います。
このとき、笹森順造が放った有名な言葉が、
~~~~~~~~~~~~~
剣道は、相手に怪我をさせるとか殺すための武道ではない。
一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、しかも自分が悪かったと悟らせる。
それが、剣道です。
~~~~~~~~~~~~~
というものです。
国井善弥師範
国井善弥1024

武術は、あくまで、人を殺し、相手を倒すための「Martial Arts(軍事格闘技)」であると信じるGHQは「なら証明してみせろ」ということになった。
このお話の続きは、当ブログの「昭和の巌流島決戦・・・国井善弥」(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-781.html)でご紹介させていただいていますので、詳細は省略します。
ともあれ、このときの笹森順造氏の努力があったからこそ、いまや日本武道(剣道、柔道、合気道、空手)は世界に広がり、オリンピック競技にさえ採用されるものとなったのです。
今日、お話したいのは、このときの笹森順造氏の言葉、「剣道は、相手に怪我をさせるとか殺すための武道ではない。一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、しかも自分が悪かったと悟らせる」についてです。
この言葉は、笹森氏は剣道について語っていますが、実は日本武道全部について共通する認識です。
つまり、
「武」の精神は、
「相手に怪我をさせたり殺したりするためのものではなく」
「相手に最小限のダメージを与え」て、しかも
「自分が悪かったと悟らせる
という点です。
試合には、勝敗があります。
優秀な選手でも、ときに力量、練習量の劣る相手に負けることもあるし、たいして練習もしていない選手が、たまたま偶然の幸運で相手を倒してしまうこともある。
もちろんそれでも「勝てる」ように練習はするのだけれど、これがもし実戦なら、いちどの負けは、そのまま死を意味します。二度はない。
だから日本武道は、もちろん戦いに勝つ術を学ぶのだけれど、そこでいう「戦い」は、実は「試合」そのものを意味していません。
試合に負けても、相手が自らの罪を認め、「自分が悪かった」と悟ってくれれば、それは立派に勝負に「勝った」ことになる。
昭和の宮本武蔵と呼ばれた鹿島神道の遣い手で、生涯不敗を守り通した国井善弥師範は、「日本武道の神髄は、神にも通じる万難不屈の精神を養うところにある」と述べておられます。
戦いに勝つだけなら、なにも肉弾戦で戦う必要などないのです。
離れた所から、ピストルで、ズドンとやったら、相手は死にます。
武道を習い、極めるというのは、単に試合に勝つことを目的とするのではなく、あくまで「最小限のダメージで、相手に非を悟らせる」という点にある。
非を悟らせるのですから、こちらがいい加減な人格ではダメで、だからこそ、心を鍛えなければならない。
ですから武道は「心・技・体」です。
で、何をいいたいのか、というと、実は沖縄戦における特攻隊員たちのことを書こうとしています。
沖縄戦で、米軍が洋上に浮かべた船舶は、艦艇1500隻、輸送船450隻です。
まさに、洋上を埋め尽くす大艦隊だった。
これに対して、日本側から飛びたった特攻機は、合計で約1900機です。
ここでみなさんに質問です。
基本的に戦いは、戦力を集中化した方が勝ちです。
たとえば、大多数の航空機を持って、敵艦隊を各個撃破すれば、戦いに「勝てる」可能性はおおいに高まります。
実際、戦艦大和も、少数の艦隊に大多数の敵航空部隊が襲いかかることで沈められています。
ならば、なぜ、特攻作戦に関しては、戦力の集中化と大規模特攻作戦が実施されなかったのでしょうか。
実際、特攻機は常に3~5機の少数で飛びたち、大艦隊を相手に散華されています。
どうしてですか?
なぜ、寡兵で大軍に向かったのですか?
沖縄戦は、もし破れれば、次は本土上陸を許してしまうのでしょう?
どうして1900機の特攻機を一斉に飛び立たせ、米艦隊に集中攻撃戦を挑まなかったのですか?
特攻兵に志願した方々は、とびっきり優秀な頭脳を持った、いまでいうエリートです。
その頭脳明晰なエリートたちは、なぜ寡兵をもって大兵を叩くという作戦に、納得し、命を賭されたのでしょう?
それは単に日本軍が用兵の方法を知らず、特攻兵たちがバカだったからですか?
申し上げますが、当時の日本の軍人は、参謀本部にしても特攻兵にしても、もとから心身ともに健康で、頭脳もとびきり優秀な生徒です。
その優秀な生徒を、さらに帝国日本が巨費を投じて育成したエリート中のエリートです。
彼らの書いたものを見てもわかるように、いまの大学教授クラスの人たちですら及びもつかないほどの優秀な人たちです。
そんな彼らが、なぜ、どうして3~5機という寡兵をもって、2000隻近い大軍であり、かつ強大な戦力を持つ米艦隊に、寡兵をもって「繰り返し」挑むという戦法に納得し、それに挑んだのでしょうか。
知覧特攻隊出撃(手前は撫子隊)
特攻隊出撃1024

ここで、もういちど、笹森順造氏の言葉を引用します。
~~~~~~~~~~~
日本武道は、相手に怪我をさせるとか殺すためのものではない。
一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、しかも自分が悪かったと悟らせるためのものである。
~~~~~~~~~~~
特攻隊が、少数をもって繰り返し波状攻撃で米艦隊に長期にわたって挑み続けたのは、要するに、こういうことだったのではないかと思うのです。
現代の世界は、基本的に一部の国を除いては、それぞれの民族が独立し、白人も黄色人種も、黒人も、それぞれ自分の国で、自分たちのアイデンティティを保って暮らすことができます。
民族ごとに、言語も習慣も生き方も考え方も行動様式も違うのですから、これはとっても幸せなことです。
たとえば日本では、身内の誰かが死ねば、みんなで集まって葬儀を営み、個別に大切に葬ります。
遺体を野ざらしにして、野鳥に食べさせるようなことはしません。
しかし野鳥に食べさせることが幸福なことと考える民族にとっては、これを否定されるのはとても辛いことです。
ましてや大東亜戦争のあった時代は、ほんの一握りの国が、他の国々を植民地として収奪し、支配する時代だった。
支配される側の人々には、私有財産も、人としての生存権さえも与えられなかった。
要するに被植民地の人々というのは、家畜という扱いだった。
そんな中を、日本は悠久の大義のために立ちあがり、戦ったのです。
しかし圧倒的な敵の兵力火力の前に、戦いは絶望的なものとなりました。
そして最後の力を振り絞って戦ったのが、沖縄戦であり、特攻作戦だったのです。
もはや物資はありません。
なんとか飛行機の手配はしたけれど、飛行機を飛ばすガソリンの備蓄すら、もうほとんどない。
しかし戦争に負けらたらどうなるのか。
白人社会に侮りを受ければ、日本はおろか、一緒に戦ってくれた東亜の国々も、ぜんぶ侮りを受け、もはや植民地支配からの脱却は絶望的なものとなる。
実際に、先例はあるのです。
日本でいう幕末の頃、インドでセポイの乱という大反乱が起こっています。
この戦いでは、今度書きますが、「インドのジャンヌ・ダルク」と称されるラクシュミー・バーイーという美しい王妃が、英国軍相手に大奮戦をし、23歳の若い命を散らせるなどしていますが、結局、反乱は鎮圧され、首謀者たちは、英国軍によって大砲の先端にくくりつけられ、大砲を発射され、五体をバラバラにしてこの世を去っています。
そしてインドは、そのまま植民地統治下に置かれた。
大東亜戦争は、植民地政策を推し進める欧米列強からみれば、弱小国日本の反乱です。
もし、この戦いで日本が白旗を掲げて降参すれば、日本は間違いなく植民地とされ、ご皇室は解体せられ、欧米による植民地統治は21世紀となったいまもそのまま続いていたであろうことは、容易に想像がつきます。
もはや、戦いに勝ち目はないとわかった大東亜戦争末期において、なぜ日本は寡兵をもって米国大艦隊に身を投げる特攻作戦を、反復継続的に行ったのか。
特攻という極めて特殊な戦い方を、反復継続することによって米国民に恐怖を植え付け、日本人は侮れない、日本人は怖い、日本人を植民地になどすることはできない、という強烈なメッセージを与える。
そうすることで白人社会に、日本の植民地統治など論外というメッセージを与えることができれば、それは、植民地支配からの脱却と各民族の自立を目指す日本にとって、究極の勝利を得る道となる。
まさにそれは、日本武道の精神そのものの発露であったといえるのではないでしょうか。
そして実際に戦後、世界の被植民地は、次々と独立し、世界を支配した白人帝国主義は、完膚なきまでに打ち破られました。
試合に勝って人生を棒に振る、というケースがあります。
キムヨナのフィギアのインチキ試合は、なるほど史上最高の高得点をマークして、彼女は金メダルを手にしました。
しかし、どんなに腰ぬけとなった日本のメディアが、キムヨナのスケートを絶賛しても、世界はバカではありません。
引退を表明し、高額な報酬でフィギアのコーチに招かれることを夢見たキムヨナに、コーチに来てくださいという声は、ついにひとかけらもかからなかった。
おそらく2位だった浅田真央さんが引退宣言したら、世界中のフィギア団体からコーチのお呼びがかかり、競りによって吊りあがった彼女への支度金は、私たちの想像以上のものになることでしょう。
いくら試合に勝っても、人生を棒に振るのでは意味がありません。
欧米列強からしてみれば、いくら戦争に勝ったとしても、その戦争目的である東亜の植民地支配が根底から崩れ、植民地そのものを失ったのでは、なんのために戦ったのか、まるで意味がなくなります。
そして結局、彼らは、戦いに勝って、目的を破綻させています。
沖縄の海上を埋め尽くす米艦隊
沖縄の海上を埋め尽くす米艦隊

戦争とは、国家同士の対立する政治課題解決のための最終手段です。
ですから手段である戦闘に勝利しても、目的とする政治課題を解決できなかったのなら、それは戦争に負けたことを意味します。
逆にいえば、戦闘で負けて降伏したとしても、戦争目的を達成したのなら、それは戦争に勝ったことを意味します。
ひとりひとりの特攻隊員たちの散華されたその命のおかげで、わたしたち日本人は、そしてかつて植民地だった世界の国々は、いまこうして繁栄できている。
これは、まさに、日本が戦争目的を達成した、なによりの証です。
感謝を知ることをもって人とはいいます。
わたしたち戦後の日本人は、立派に散華されたかつての大日本帝国の英霊たちのおかげで、いまを生かされています。
わたしたち日本人は、そうした過去の事実を、もっと謙虚に受け入れ、英霊に感謝する心を取り戻す必要があると思います。
なぜなら、それが「事実」だからです。
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