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日本刀1009

日本には、消してはならない歴史があると思います。
日心会のメンバーの方から、以下の記事をいただきましたので、ご紹介します。
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【正史と稗史(せいしとはいし)】
歴史は勝者によって作られる。
まさにその通りであって、政争や戦争に勝利した者たちが、自らの正当性・正統性を主張するために歴史を編んできた。


これが正史である。
どこの国でもそうであろうが、特に支那・朝鮮では歴代、勝者は前政権にあった者たちを殺害し、焚書までもやってきたのである。
そして、いつの時代にも敗者や少数派の存在は忘れ去られる運命にあるのだが、弱小の彼らとて正史によって貶められたことに対しての反対意見、あるいは弁明として稗史(はいし)を編む。
従って、正しい史と書く「正史」だからといって、すべて正しいという訳ではない。
むしろ、私自身の趣味からすれば稗史の方にこそ興味を惹かれるし、好きだ。
古来、歴史小説・時代小説といわれるジャンルの物も、実は文学作品というよりも稗史であることも多い。勿論、文学であり稗史も兼ねるものも存する。
「会津士魂」全十三巻、続編が全八巻でしたか、早乙女貢氏のライフワークであったでしょう。
松平容保公が京都守護職を拝命してから、会津鶴ケ城落城までの物語である。(続編は開城降伏から西南の役まで。)
氏がTVインタヴューのなかで確かに、
「敗者の側から見た歴史を書きたかった」と仰っていた。
氏は会津士族の末裔であり、幼い頃から父祖よりいろんな話を聞かされていたことだろう、と私は推測する。
氏の意図したところは、賊軍とされた汚名を晴らしたい一心であったと思う。
戊辰戦争を戦った官軍の側でも、薩長土肥であったものが、新政府は長州の藩閥政治と言われた。
志士といわれる人々の中には土佐の龍馬という男も居たではないか。
また、賊軍とされた西郷もエライ人物であったではないか。
新撰組も忠義に生きた真の武士集団ではなかったか。
まあ、これらはすべて稗史といえるでしょう。
先日、NHK教育TVの高校講座を偶然に目にしたのであるが、丁度歴史をやってました。
どこかの大学の准教授が講義してました。
江戸時代の交易についてでした。
松前藩が蝦夷と、薩摩は琉球と、対馬藩は釜山に倭館を持ち朝鮮と、長崎の出島ではオランダ東インド会社、唐人街の中国人と、四つのルートで大きな交易が行なわれていた。
幕末の頃、外国人が「日本誌」という書物を著し、
「日本はまるで閉ざされた国のようであると」書いた。
それを日本人通詞が「鎖国論」と翻訳したんですね。
鎖国という言葉はこの時初めて使われたのであり、江戸時代を通じて全て交易までも鎖国していたのではありません。
沖縄では今でも昆布料理が大好きですが、江戸期に当時の外国であった蝦夷地から持ち込まれた物です。沖縄では昆布は採れませんから。
これは私の考えに非常に近い。
昔の(今も?)日教組は鎖国イクオール井の中の蛙論で教えてました。悪しき封建制度?それ何ですか。
私は高校講座を観ながら考えたことは、正史、それに相対する稗史ということであった。
前回の小松帯刀に光を当てたいという思いも然り。
また逆に、我が国ではこの半世紀、公教育の現場で教えるべき正史たる国史がないことは誠に残念なことだ。
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このブログでは、よく歴史上の人物をとりあげてご紹介していますが、歴史物語として、いわゆる巷間よく語られているような有名人(?)、たとえば西郷隆盛や坂本竜馬などは、ほとんど取り上げていません。
むしろ、あまり知られていない人物を数多くとりあげさせていただいています。
大山巌、捨松ご夫妻、津田梅子、山本権兵衛、嵯峨浩、吉川潔、広瀬武男、今村均、吉田保男、草下任一、山川健次郎、増田敬太郎、岡藤五郎、山葉寅楠、小灘利春、渡邊美光、甲賀源吾、檜貝嚢治等々。
ひとりひとりが、それぞれの時代の中で、実に立派に生き、そして死んで行った。
全部日本人です。
全部、日本人として立派に生きることを選択された方々です。
そういう歴史を、消してしまってはいけないと思うのです。
ちなみに、西欧では「正史」といえば一般に、「強者」による史観を経糸に、「正義」とという横糸をからませて編纂されます。
たとえば北米大陸で、インデアンを抹殺して大陸を「開拓」したのは、主にヨーロッパの農民です。
非常に長い時間をかけて、征服がなされた。
南米では、スペイン・ポルトガルで食い詰めた犯罪者などの極道者たちが、銃を持って征服を行っています。
男は殺され、女は残らず強姦された。
おかげで、南米は北米大陸のわずか10分の1の期間で征服され、現在、南米においてインディオの純血種という人のは、ひとりもいません。
全員が、白人の遺伝子を体内に持っている。
なにかの本に書いてあったけれど、南米は白人の「銃とペニスによって征服された」とあったけれど、的を得た意見だと思います。
そして西洋人が征服した南米において、その犯罪者であり、極道者であり強姦魔であった男は、まさにヒーローとして描かれ、記念公園などもあちこちにあり、通りの名前にさえなっている。
彼の行いは、「正義」となっているわけです。
支那の場合、「正史」にあるのは、「強者」だけです。そこに「正義」という横糸はない。
勝てば官軍。悪いのは全部、別な国や前の王朝のせい、とされる。
これに対して、日本における「正史」というのは、まさに「正しいほんとうの歴史」を意味します。
実際、そのとき何があったのか。
何が事実なのか。
それが日本人が考える正史の概念です。
これは欧米のそれと、大きく異なるところです。
沖縄戦で、立派に戦い、散って行かれた日本の兵隊さんは、94136人です。
投下された兵力は116400人です。
全部、若い青年たちです。
そしてその81%の方が、散華された。
特攻隊の物語にしても、彼ら特攻兵が散っていったのは、緒戦はフィリピン戦でした。
しかし、以降の特攻は、すべて沖縄の人々のために散華されています。
いま、その歴史が、支那の謀略によって消されようとしています。
沖縄では、日本兵=悪人、米兵=善人という対比で語られています。
沖縄のみなさんに問いたいのです。
ほんとうにそうなのですか?
そう、思い込まされているだけということはありませんか?
ご自分で確認されましたか?
もしあなたが、そう「思い込まされているだけ」なのだとしたら、あなたは政治的に「利用」されているだけということになります。
真実から、逃げてはいけないのです。
目をそむけてはいけないのです。
本土でも同じです。
尖閣諸島に関すること、支那大陸での戦闘に関すること、それらの歴史を書いた本が、次々といま、支那人によって買いあさられ、図書館の本も該当ページがこっそりと破り取られています。
日本はいま、正史を書きかえられようとしているのです。
その先にあるものは何か。
私たち日本人がどうなるのか、是非いちど、考えてみていただきたいと思うのです。
いま、尖閣問題に関する大署名運動が展開されています。
ひとりでも多くの人に、語ってあげてください。
そしてなんとしても、日本の人口の10分の1の署名を集めましょう。
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日本刀:来国俊(Japanese Sword - Rai Kunitoshi)鎌倉時代 正和五年十一月(1316年)

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