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日本の排他的経済水域
日本の排他的経済水域

「外国かぶれ」という言葉があります。
海外の風物にかぶれ、やみくもに海外を真似たり海外の文化を取り入れたりすることをいいます。
ボクは決して鎖国論者ではないし、外国嫌いでもありません。
日本と海外の交流がなかったら、おそらく自動車も作られてないし、大好きなシュークリームも食べれない。
しかし、古来日本では、政治が外国にかぶれるとロクなことが起こらない。


最近では、支那かぶれや、韓国かぶれなどという病気がまん延し、支那に議員団を連れて「自分は野戦司令官です」などとわけのわからないことを言い出す政治家や、明らかに日本の領海を侵犯した犯人なのに、ピースサインとともに、支那に犯人を送り返すアホな政治家がいたりする。
本当に腹立たしい限りです。
今日は、すこし古いですが、黒船来航と外国かぶれのお話しをしてみたいと思います。
黒船来航といえば、嘉永6(1853)年の出来事です。
この年、浦賀にペリー提督の乗った黒船が来航しています。
基本的に鎖国主義であり、外国船打ち払い、つまり攘夷主義であった日本の保守世論は、「ペリーの上陸を許さないぞ~!」という意見です。
ところが幕閣の中には、むしろ進んで海外の文化や武力を導入すべし、という開明的な考えを持つ人たちもいた。
それはたしかに一理あるのです。
当時の日本は、300年も昔の体制をそのまま維持していました。
なるほど戦国期の日本は、銃の保有数量が世界第1位です。
世界の銃器の半分は、日本国内で製造され、国内で消費されていたのです。
ある意味、これはすごい!
戦国末期の日本は、ある意味世界最強の超強力軍事国家だったかもしれません。
ところが、江戸300年の太平の眠りのうちに、欧米では炸裂弾の大砲、拳銃、薬きょう付きの元込め銃、ガトリング砲と呼ばれる機関銃、蒸気で動く鉄の船など、兵器も戦術も格段に進歩しています。
日本は諸外国との軍事バランスを保つため、一気に国内の体制や軍装を整える必要があった。
ですから、開明自体は、決して悪いことではない。
実際、明治にはいってからの日本は、すすんで諸外国に学び、様々な制度や技術を学び、富国強兵を図っています。
この富国強兵に一歩先んじたことで、日本は、当時世界でも強国とみなされていた強大な陸軍力、海軍力を持つ清国にも戦争で勝つことができたし、ついには大国ロシアまで打ち破っています。
しかし、そうした日本の勝利は、ただ外国の制度や兵器、技術を真似たからもたらされたものではなく、日本古来の武士道や道徳観念、勤勉性や公に尽くす精神、先祖を敬い自らを律して生きる家族制度といった、古くから日本にある高い精神性と、西洋から取り入れた技術の合体によってもらたされたのです。
ただやみくもに、外国かぶれして、外国のいいなりになったのとは、わけが違います。
その外国かぶれによって、外国のいいなりになった事件が、ペリーの黒船来航の翌年に日米で交わされた「日米和親条約」です。
学校では、この日米和親条約について、日本が片務的最恵国待遇を米国に与えたため、その後の日本は治外法権を外国人に認め、これが諸外国との不平等条約のもとになった、などと教えています。
しかし、ことは、それだけではないのです。
教科書に書かれていないもっとたいへんなことが、このとき起こっています。
それが、同年6月17日(5月22日)の、和親条約の細則を定めた「下田条約」です。
なにがたいへんなのかというと、実はこの条約で、日本と外国との通貨の交換レートが決められたのです。
当時の日本の通貨は、金貨(小判)と銀貨(一分銀)でした。
黄金でできた小判と、銀でできた一分銀とは、一分銀4枚で、小判1枚と交換できるというものです。
下田条約で、幕府は、一分銀4枚と、メキシコドル1ドル(メキシコ銀貨1枚)を等価で交換することにしたのです。
メキシコ銀貨1枚と、日本の一分銀4枚は、銀の含有重量は同じです。
ですから、当時の幕府の重役たちには、別に何の問題意識もなかっであろうと思います。
ところが、金銀の交換相場は、海外と日本国内とで、まるっきり大きく違っていた。
外国、といっても当時、いちばん近い両替所は香港にあったのですが、香港では、日本の小判1枚と、メキシコ銀貨4枚が交換レートだったのです。
つまり、こういうことが起こります。
アメリカ人が、メキシコ銀貨1枚を持って日本に来る。
そして日本の両替商のもとで、メキシコ銀貨1枚を、日本の銀貨である一分銀4枚と交換する。
一分銀4枚は、日本の小判1両に両替できる。
その小判を香港に持ち込む。
すると、小判1枚が、メキシコ銀貨4枚に化ける。
つまり、メキシコドルの銀貨1枚が、日本と香港を往復するだけで、メキシコドル4枚にまるで手品のように「増える」のです。
タウンゼント・ハリスらは、小躍りして喜んだことでしょう。
これをこぞって徹底的に行います。
銀貨を日本に運んで、日本から金貨(小判)を持ち出すだけで、手持ちのカネが4倍に増えるのです。
バカみたいに儲かります。
彼らは、香港と日本を往復するだけで、巨万の富を手にした。
どのくらい儲けたかというと、なんと京(ケイ)の位まで儲かった。
京(ケイ)の位というのは、1兆の1万倍です。
つまり1万兆円も儲かった。
人類史上、掘削された金を、競技用オリンピックプールに換算すると、だいたい3杯分になるのだそうです。
そのプール3杯分の金のうち、2杯分は日本で産出しています。
日本は、嘘も隠しもない、まさに黄金の国ジパングそのものだったのです。
ところが、この金銀の交換レートの差益を利用して、日本の金は海外に音を立てて流出します。
小判入手を目的とするメキシコ銀貨の一分銀への両替要求は、一日になんと16000枚にも上ったそうです。
おかげで、国内に流通すべき一分銀は巷から消えてしまうし、日本の小判も国外に流出し、消えてなくなってしまいます。
ハリスは、金が足らなくて小判ができないなら、小判の中の金の含有量を減らしてでも小判を発行せよと、幕府に迫ります。
圧力に屈した幕府は、見た目が同じで含有金量が慶長小判の約8分の1しかない万延小判を鋳造しますが、こういうインチキが日本人に通用するはずがありません。
たちまち両替商(当時の銀行)には取付騒ぎがおきます。
物価は激しく上昇し、国内経済は大混乱となります。
これによる庶民経済の混乱。これが幕末維新へと一気に世情を押し上げるモトとなる。
さて、日本と諸外国との金銀の交換レートの違いを利用して、短期間にボロ儲けをしたハリスですが、そのハリスは、米国はワシントンの人です。
その米国で、このあと何が起こったか。
実は、南北戦争が起こっています。
南北戦争は、ご存知の通り、合衆国北部の23州と、南部の11州が国を二分して闘った戦争です。
この戦争は4年続きます。
そしてご存知の通り、北軍の勝利に終わった。
では、その南北戦争の戦費は、いったいどのようにして作られたのでしょうか。
南北戦争では、中立国が戦費としての公債を引き受けています。
しかしこの公債の発行者は、南軍です。
なぜか北軍に関する戦費公債は、ほとんど発行されていない。
さらに、戦争が終わった時点というのは、どこでもそうですが、戦費を使い果たし、経済的にものすごく苦しい状況になります。
ところが、どういうわけか北軍は、南北戦争直後にアラスカをキャッシュで買い取り米国の領土にしています。
借金なしで北軍は南北戦争を戦い、勝利した後には南軍が海外から借りた戦費の公債を肩代わりして支払い、さらにアラスカをも買収して領土にした。
どっからそのお金が出てきたのでしょうか。
そうです。
日本から流出した大量の金によって、アメリカの北軍は南北戦争を戦い、戦後処理まで行ったのです。
さらに付けくわえます。
南北戦争では、大量の銃器や大砲が新規に製造されています。
つまり南北両政府は、それぞれ互いに大量の銃器を製造し、戦争に使用しました。
そして南北戦争が終わったのが1865年です。
これは日本の慶應元年にあたります。
幕末、官軍と幕軍が戦った戊辰戦争は、慶應4年にはじまっています。
その戊辰戦争で使われた武器弾薬は、南北戦争で使われた大量の小火器の中古品です。
アメリカにしてみれば、日本からせしめた金で南北戦争を戦い、戦後は余った武器を日本に売ってまた儲けた。
日本からみると、アメリカに金貨をだまし取られ、国内の金貨が空っぽの状態で、青息吐息でさらにアメリカから中古武器を買って戊辰戦争を戦った。
本来、戊辰戦争は起こす必要のない内戦です。
なにせ幕府は大政を奉還したのです。
天皇親政になった以上、これで国内は統一されたわけで、敢えて内戦まで起こす必要はない。
ところが金の流出と、それへの対策としての小判の改鋳(小判の金の含有量を落とした=万延小判)によって、国内経済は大混乱し、徳川幕府の政治の失態に対する怨嗟の声は日本中に満ち溢れます。
さらにフランス、イギリスがそれぞれ幕府側、薩長側に付き、互いの戦争をあおります。
そしてアメリカからは、大量の格安中古武器が日本に入り込む。
後年の支那事変でもそうですが、支那国民党に、米英による武器弾薬食料の補給がなければ、日華事変は起こらなかった。
軍事バランスが圧倒的に日本が強かったからです。
ところが、兵器が無尽蔵に支那国民党に渡されることで、こと兵器と、人海戦術に関しては、圧倒的に支那国民党が有利になった。
支那に駐屯した日本の関東軍は、日本陸軍最強とされていたけれど、それでも兵の基本装備である三八式歩兵銃が支給されたのは、兵員の3分の1しかない。3人のうち2人は、銃すら持てなかった。
物資が欠乏していたのです。
要するにこれによって支那国民党と日本陸軍の大陸における軍事バランスが崩れた。
国民党が有利になった。
だから国民党は、日本を相手に戦い始めたのです。
坊主丸儲けという言葉がありますが、花うさぎさんのブログじゃないですけれどまさに「世界は腹黒い」。
そうした中で、ただやみくもに外国の誠意を信じ、外国に媚び、恫喝に震え、外国との協調と称して自らの国家のアイデンティティを失い、外国にひたすらかぶれることは、結果として、たいへんな国益を損ねるもとになる。
国益というのは、どっか他所の国の私たちの生活とは何の関係もないもの、とはワケが違います。
国益にかなうか、かなわないかは、私たちの生活が向上するかしないかの問題なのです。
日本国内では、支那かぶれに、国連中心主義、世界政府主義などというものが大手を振っています。
その支那は、尖閣領域の海底資源を、最早、露骨に自国で強奪しようとしているし、国連といったって、国連の英語名は、United Nations です。
これは第二次世界大戦の連合国の名称「United Nations」と同じものです。
つまり、国連というのは、日本人が勝手にそう呼んでいるだけで、内容は第二次世界大戦の連合国本部を指すものでしかない。そしてそこでは日本は、いまだに「敵国」です。
世界政府なんてのも聞こえはいいけれど、そんなものにかぶれたところで、実際には世界政府なんてものは存在しない。
あるのは「力の正義」だけです。
尖閣領域については、アジア極東経済委員会(ECAFE)が昭和43(1968)年に調査し、昭和44年公刊された資料に、
「台湾と日本との間に横たわる浅海底は、将来、世界的な産油地域となるであろうと期待される」
と書かれています。
そこに眠る石油の埋蔵量は、1000~1600億バレルです。
これは世界第二の産油国であるイラクの推定埋蔵量に匹敵もしくは、これを上回る規模の油田です。
そしてこれに追い打ちをかけるように仔細に調査されたのが、上に示した国連(United Nations=連合国)のアジア極東経済委員会の調査報告です。
東シナ海領域の海底資源の分布図を見ると、なるほど国境の支那寄りの部位にも、多少の資源はあるものの、その9割以上は、日本側領海下です。
ところが、日本政府の弱腰をいいことに、支那はすでに勝手に盗掘をはじめている。
それも「フィッシュボーン・テクノロジー」という採掘法を使っての掘削です。
フィッシュボーン・テクノロジーというのは、日本側の地下資源の方に採掘パイプを地下で伸ばしに伸ばして、採掘するというもので、要するに中共の採掘は、海面上に見える採掘施設こそ支那側領海内にあるものの、地下で日本領海側にホースを伸ばして、ガンガン天然資源を吸い上げているのです。
さらに、漁船に偽装した船で、日本領海を事実上占拠し、警備にあたる日本の海保の船に体当たりまでさせている。
あげくの果てが、日本が支那の領海を犯した、日帝の不当逮捕だと騒ぎ立て、漁船も船員も取り返してしまった。
日本政府は、海保が中国漁船を拿捕したときのビデオ映像を公開すれば、世界の世論が一気に支那の暴虐に怒るのに、そんな簡単なことすらしようとしない。
そもそも、日本の領海内にある石油・天然ガスです。
堂々と日本政府が、採掘をすればいい。
政府が採掘し、その販売利益を国家の収入にしたら、いまの相場で原油1バレルが75ドルです。
1000億バレルということは、約750兆円で、これだけで日本政府の国債発行残高は帳消しです。
日本政府は、世界に類例のない無借金経営国家になる。
そうなれば、老人医療は全部無料。
子供の教育費も全部無料といった、世界最高の福祉国家を誕生させることすら可能です。
しかも日本をめぐる天然資源調査に関しては、戦後間もないころにGHQが行った調査では、北海道(千歳~宗谷岬にかけて)、秋田~新潟にかけての日本海側にも豊富な石油資源が眠り、さらに(信じられないことに)東京湾から千葉にかけては、豊富な天然ガス田が眠っていると書かれています。
実際、千葉県の中央部など、すこし穴を掘ると、すぐにガスが出る。
メタンハイドレート(Methane hydrate)は、メタンを中心にして周囲を水分子が囲んだ固体結晶ですが、日本近海は、まさに世界有数の埋蔵庫です。
日本にある埋蔵資源を、海外に売り渡そうとする民主党その他の売国政権が日本人のためになるのか、それとも日本の国益を第一に考える保守の政治家が力を得て、我が国の国益を優先させ、日本人の生活を豊かにするか。
選択するのは、他の誰でもない、日本人です。
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