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八紘一宇の塔
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八紘一宇の塔2

オリンピックといえば、聖火ランナーが走ります。
では、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックのときの「日本での」聖火ランナーの出発点はどこでしょうか。
もちろん、聖火リレーそのものの出発点は、ギリシャのオリンポスです。
聖火はオリンポス山で太陽を利用して採火されるのがキマリです。
ちなみに「羽田」ではありません。


答えは、実は、宮崎県宮崎市です。
宮崎県は、日本神話における天孫降臨の地としても知られますが、そのなかの宮崎市の「平和台公園」が、聖火ランナーの第2の出発点となりました。
なぜ宮崎の「平和台公園」だったのかというと、そこに「八紘一宇の塔」があるからです。
この塔は、昭和15(1940)年に、皇紀2600年を記念して、天孫降臨の地である宮崎に建立されたものです。
高さ36.4メートル、面積1070平方メートル、体積834立方メートルという巨大なモニュメントで、世界各地の切石1789個で建造されています。
そして正面中央には、巨大な「八紘一宇」の文字が高らかに掲げられている。
この書は、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)によるものです。
実は先日、中山成彬先生の秘書の方に、この八紘一宇の塔に連れて行っていただきました。(その節はありがとうございました。)
「八紘一宇」というのは、最近の日本人は、八紘一宇=軍事侵略のための旧日本軍のスローガンといったイメージで認識している人が多いようです。
全然ちがいます。
東京裁判のとき、連合国側の検事が、
「八紘一宇は、皇道とともにくりかえし唱道された理念であり、武力による世界支配の象徴である」
と主張したのは事実です。
たぶん、反日左翼の方々は、まさに「その通り」と膝をたたくことでしょう。
これに対し、当時の日本側弁護人が主張したのが、
「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」
というものです。
で、東京裁判の結果はどうなったかというと、判決文で検察側の主張は完全に退けられ、八紘一宇は、日本の道徳観であると書かれることになった。
弁護人側の「八紘一宇=日本固有の道徳説」が完全に勝利したのです。
つまり、「八紘一宇=軍事力行使のためのスローガン説」は、あの「3R(復讐(Revenge)の念をもって日本を改造(Reform)し、日本を米国の属国として復活(Revive)させる)のだという、明快かつ意図的な東京裁判ですら、完全に否定されているのです。
では、八紘一宇とはどういう概念かというと、
「八」は、「八方」、すなわち八つの「方位」です。
「紘」は、天地を結ぶ八本の「綱」です。
「一」は、文字通り「ひとつの」という意味です。
「宇」は、「屋根」という意味です。
つまり、四方八方に広がる世界は、ひとつの屋根の下、という意味です。
意訳したら「世界は一家」です。
これに「人類は皆、兄弟」と続くと、日本船舶振興会になる(笑)。
「八紘一宇」は、軍国主義とか、そういうオソロシイ話などでは決してなく、きわめて平和的な日本古来の道徳観です。
だからこの八紘一宇の塔のある公園は、「平和台公園」という名前になっています。
この八紘一宇の塔には、塔の四隅に信楽焼の立派な立像が配置されています。
像はそれぞれ武人、工人、農人、魚人のお姿をしています。
世界は一家であり、その世界を支えているのは「武人、工人、農人、魚人」だというわけです。
農林水産業は、人々の食を支えます。
そして工業は、モノ作りを通じて、人々の生活を豊かにします。
そしてその農林水産業者や、工人たちを守るのが、武人というわけです。
つまり、生産者とこれを守る者が、世界は一家を支えるというのです。
なぜかそこに「商人」はいません。
要するに、銭勘定が大事なのではなくて、生産し、生き、これを守ることが大事だというわけです。
これが戦前の日本の価値観です。
戦後の日本は、「商業社会」となりました。
なんでもかんでも算盤勘定が優先する社会です。
なるほど富は大切なものです。
だけど、豊かさというのは、ある意味、相対的なものです。
昔は、自動車に乗るのは、大臣や相当の大金持ちくらいなものだったけれど、当時の車は、いまの軽自動車程度の性能と内部の広さしかない。
それがいまでは、普通の主婦が、買い物に行くのに軽自動車を自分でころがします。
しかもその軽の性能たるや、昭和初期の超高級車よりもはるかに性能が良く、しかもエアコンに、ステレオ、カーナビまでついている。
ようするに一昔前の大金持ちしかできなかったような生活を、いまでは、決して豊かでない普通の庶民がしています。
昔の大金持ちよりはるかに良い暮らしをしていながら、誰もがみんな貧乏だと思っている。それがいまの日本です。
つまり、経済的豊かさというのは、相対的なものだ、ということです。
これに対して、食というのは、生きる上での絶対的なものです。
金持ちだろうが貧乏人だろうが、昔の人だろうが現代人だろうが、腹は減る。
だから生産者を大切にする。
みんなで感謝する。
その感謝の心が、世界をひとつにする、というのが八紘一宇の塔にこめられたメッセージなのかなと思います。
考えてみると、戦後の日本は、こうした武、農、工、魚(林を含む)をおろそかにし、もっぱら商だけに特化してきました。
平成以降の日本では、この傾向はますます顕著です。
不思議なことに日本が「商」に特化すればするほど、日本の景気は悪くなっています。
八紘一宇の塔の四隅を飾る武人、工人、農人、魚人のお姿は、そのまま四魂(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)を意味しています。
荒御魂(あらみたま)というのは、悪を誅する魂です。
和御魂(にきみたま)というのは、人の和、仁愛の魂です。
幸御魂(さちみたま)というのは、収穫と豊穣の魂です。
奇御魂(くしみたま)というのは、智慧の魂です。
四魂は、人々の心の中にあり、「一霊」によって天につながるのだそうです。
そしてその「一霊」とは、人の良心です。
これを「一霊四魂」というのだそうです。
要するに八紘一宇の塔のモニュメントがあらわしているメッセージは、「人々の良心によって世界はひとつになれるのだ」というものだということです。
実は、この素晴らしい塔のデザインをしたのは、彫刻家の日名子実三(ひなごじつぞう)氏です。
彼は、日本サッカー協会のシンボルマークとなっている、八咫烏のエンブレムをデザインしたことでも知られています。
八紘一宇の塔は、塔の手前の中央通路あたりに、平たい、人がひとり乗れるくらいの石が置いてあります。
その石に立って、手をたたくと、ビーンという音がこだまします。
なにやら不思議な感じです。
戦後生まれの私たちは、こうして本気で世界の平和を願った私たちの先人たちを、あまりに粗末にしすぎてはいないでしょうか。
平家物語の清盛のセリフに、「恩を知るをもって人とは言うぞ」という言葉があります。
「恩知らず」は「人でなし」です。
私たち戦後生まれの日本人が、昔の人たちの恩を忘れるならば、私たちは日本人どころか、人ですらなくなってしまう。
こうなったのは、政府のせいや、国会議員のせい、マスコミのせいではありません。
私たちひとりひとりの日本人の民度が下っているのです。
ならば、日本の民度をあげるためには、わたしたちひとりひとりが民度をあげていく他ありません。
そして、目覚めた者が、また誰かを目覚めさせる。
その小さな積み重ねが、日本を変えるのかもしれません。
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