
8月2日、中山成彬先生のブログが、久々の更新となりました。
参院選に立候補した者は、選挙直後は、挨拶文はもとよりブログでのお礼も違反ということで、これまで自粛されていたのだそうです。
たとえ不条理な事柄でも、決めごとはキチンと守る。
そういうことろが、中山成彬先生のまさに日本人たるところだと思います。
実に立派だと思います。
キムヨナと浅田真央の先般のバンクーバー五輪の時がそうでしたが、相手がたとえどのような不正をしようとも、常にルールをキチンと守り正々堂々と戦う。
それこそが日本流であろうと思います。
もっともそういう不正や不条理をいつまでも放置しておくわけにはいかない。
そのためにも、次期選挙では、中山成彬先生に絶対に勝って国会に出て行っていただきたいと強く思います。
さて、その中山先生のこのたびの更新記事の中に、次の文章がありました。
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さて、これから日本政界はどう動いていくのか、菅総理がどこまで続くのか。
菅総理は攻めには強いが、守りにはまったく弱いようです。
ゲバ棒を振っていた過去からか、
壊すことに関心があっても、何かを創り出すことは苦手なのでしょう。
何かをなし遂げるという情熱なくしては政権維持は難しいと思います。
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そうなのです。
実は、菅直人に限らず、左翼主義者というのは、いかなる場合においても「壊すことに関心があっても、創ることは苦手」という特徴をもっています。
たとえばミスター年金とまで言われた長妻昭厚生労働大臣。
彼は、野党時代に年金問題について、政府の対応に批判の限りを尽くした。
ところが自分が年金問題の長となるや、何もできない。何も変えれない。
結果、喧々諤々の末、自らが否定していたもとの政府の年金問題対応を、そのまま承認することになった。
なにやら現代社会では、「批判」をすることが「正しい」ことで、批判者は優秀な施政者となれると誤解している人があるけれど、これは違います。
「批判」などというのは、上司の悪口や井戸端会議みたいなもので、無責任な放言でしかない。目のウエのたんこぶの「批判」は、共感は呼んでも、それで何かが変わるわけでは決してないし、上手な批判者だからといって、上手なマネジメントができることにはなりません。
このことは、実際に管理職を経験したことがある人ならば、誰にでも経験のあることで、アホだと思っていた上司のポストに、実際に自分が座ったら、自分はもっとアホだったという経験は、実際、多くの人が持っている。
千葉景子法務大臣にしても、死刑執行絶対反対ときれいごとを並べながら、実際に法務大臣として事案の内容を知ってみれば、「これは許せん」ということになるわけで、であればそれまでの死刑廃止論は、いわば無責任な井戸端会議のうえでの話でしかない。
実際に責任を負ったときに、公正な判断をするというのは、井戸端左翼ではできない相談だからです。
そもそも左翼主義というのは、大元は共産主義(コミュニズム)からきています。
共産主義は、提唱したのはマルクスで、実行に移したのがレーニンといわれている。
マルクスの提唱した共産主義理論というのは、ひとことでいうなら、金持ちは働かなくても贅沢な暮しをし、労働者はいくら働いても生涯貧乏だから、金持ちから富を取り上げて、貧乏な労働者に再配分せよ、というものです。
どうやって金持ちから富を取り上げるかというと、それは「革命」です。
もっとひらたくいえば、暴力と殺戮で、富を取り上げ、その富を再配分しよう。
その富の再配分を国家規模でやるのが「社会主義国家」で、社会主義国家は、それがさらに進化すると人類は富の偏在がない「共産主義国家」を形成できるという。
ところが不思議なことに、マルクス自身は、その理想社会であるはずの社会主義、共産主義社会の具体的青写真を描いていないのです。
これはマルクスだけでなく、その後の共産主義者のいかなる論者の評を見ても、あるべき共産主義社会の制度や仕組み、システム等について、具体的なビジョンを描いている者がいない。
では、社会主義国家を標榜するソ連、共産主義国家を標榜する中共は、どういう社会主義、共産主義国家なのかというと、これは共産主義の理想を目指した「実験国家」なのだという。
冗談じゃあないです。
実験のために、いったい何人の人が犠牲になったのか。
ソ連は、解体までの70年で、国内だけで一説によれば5千万人の人が殺されたといいます。日本の人口のおよそ半分の人が殺害されたわけです。
しかも、そのリーダーたるレーニンや、スターリンは、間違っても共産主義者ではない。
共産主義というものが、富の再配分や富の平等主義を唱えるものだとするならば、彼らの頭脳にも行動にも、「再配分」という思想はありません。
彼らは、自己の権力の拡大と自らの贅沢のための暴力や殺人を正当化するためにマルクス論を「利用」しただけであり、実際、レーニンも、スターリンも、まさに王侯貴族もこれに及ぶまいと思われるような贅沢三昧を尽くしている。
そして一緒に戦った仲間である共産主義の信奉者、つまり奪った富の平等な再配分を求める仲間を全員殺害し、政府の高官、すなわち権力の地位には、ことごとく自分の身内を置いています。
簡単にいえば、人の命などなんとも思わない猛烈な権力主義者が、暴力寛容のマルクス論を「利用」し、その論の賛同者である平等主義者のエリートを「利用」して、自己の権力と蓄財を図っただけの話です。
そのために、どれだけ多くの命が犠牲になったか。
共産主義の教科書をみると、必ず出てくるのが、ギリシャ時代にプラトンが「太古の昔は人々は貧富の差がなく、平等に暮らしていた」という原始共産主義社会の話です。
しかしこの時点で、すでに大きな間違いがある。
その太古の昔というのが、いつごろの時代かもわからないし、その原始共産主義社会というものが、現実であったかどうかすらわからない。つまり偶像化されているだけの話であって、現実とはいえない。
ちなみに、旧約聖書に出てくるアダムとイブの話、エデンの園の話は、誰でも知っている話ですが、どうやらエデンのいうのは、現実にあったらしいとは言われています。
場所は、ちょうどサウジアラビアの真ん中あたり。
遺伝子の解析によるミトコンドリア・イブの発見によって、どうやら人類は5万年ほど前に、アフリカ中部から旅立った150人ほどの人が、まず、このサウジアラビアのド真ん中あたりに住みついたことから始まったといわれるようになりました。
いまでは、見渡す限りの砂漠地帯であるサウジアラビアですが、当時は、ここはまさに緑豊かな大地だった。
そこで人々は、狩猟採取生活を行いながら、それなりに平和に暮らしていた。
そして人類は、煮炊きのために火を使うことを覚えます。
火=赤=リンゴです。
要するに、女性たちが煮炊きをするために、火を使った(リンゴを食べた)。
火を起こすために使われたのは、もちろん森林資源です。
そして森林は、木々を伐採したら、ちゃんと植林しないと、次になかなか生えてこない。
そして次々に火を使うことで、あたりが砂漠化し、当然、果実も小動物もいなくなり、食料がなくなった。
人々は、エデンを追い出されたのです。
そして世界に散らばった。
緑がなくなり、食料や燃料資源が乏しくなった中東に残った人々もいました。
こうなると、水も食料も燃料も奪い合いです。
盗った者、奪った者勝ちです。
そうしなければ生き残れない。
当然、暴力がはびこり、強者が、資源を独占する。ついでに女も独占する。暴力に対抗できない女性は、自己の遺伝子を残すためには、強者につき従うのが安全です。
そうして、ひとりの富者が、多くの資源と女を独占する。
だから中東のイスラムの教えは、汝、盗むなかれ、汝、姦淫するなかれ、汝、殺すなかれで、妻は10人までにしろ、となった。
要するに、資源が枯渇したら、殺し合い、奪いあって勝者にならなければ、生き残れない。
あたりまえのことです。人には生存本能がある。
殺し合い、奪い合いをしないためには、まずはみんなが食える状態を作らなければならない。そのためには、みんなが働かなきゃならない。そして効率的な生産をするためには、社会的分業も必要だし、リーダーも必要です。
暴力を容認し、他人の財物を奪い、殺すような社会では、こうした社会的分業はできない。
殺されないためには、権力者は、味方の中に敵を作り、常に敵対するもの、逆らう者を殺し続けなければならないからです。
これを効率的に実現したのが、実は、中東を出て、バイカル湖のあたりまで進出したモンゴロイドです。
彼らは、共同で生産をすること、武器を持たない社会を構築することで、殺し合い、奪い合うことよりも、助けあい共存しあうことを選択した。
このモンゴロイドが、いまから1万8千年ほど前、地球気温の急激な寒冷化によって東西に四散した。
一部は、中央アジアに流れ、一部はアラスカから北米大陸、南米へと長い年月をかけて進出していきます。
そして、太平洋岸を南下したのが、日本の先祖となった縄文人です。
この、中央アジア、北米、南米、日本、そして太平洋の島々に共通した文化があります。
それが「対人用武器を持たない」という文化です。
アメリカインデアンも、南米のインデオも、古代の遺跡から刀剣とか、槍、強力な弓矢といった古典的な武器が発掘されていません。
あるのは、ウサギやイタチなどの小動物を狩るのに使う、道具だけです。
ちなみに対人用武器となると、大型で威力も強い者になります。
ハワイは、いまはアメリカ合衆国の一部ですが、その昔、カメハメハ大王がハワイ30万の人々をまとめたとき、彼らハワイ人には、所有という概念自体がなかったといいます。
≪参考:アロハ・オエ≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-406.html
これは、タヒチなどにも共通した事柄です。
武器を持たないから、スペイン・ポルトガルといった、銃を持つ文化の人々がやってきたとき、ほんの一握りの白人に、すべてを奪われてしまった。
インカも同じです。
≪参考:インカ帝国の滅亡≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-921.html
≪参考:悪は断じて許さないという心が大切≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-476.html
たまたま日本では、弥生時代に、大陸から武器を持った連中が押し寄せ、これに対する対抗手段として、武を磨く風俗があったから、日本は征服されずに済んだ。
なにせインカ帝国は、たった150丁の鉄砲によって国が文明の痕跡すら失われるほどまでに滅ぼされたけれど、日本では、戦国時代、世界の鉄砲保有数の約半数が日本国内で流通していた。
さらに江戸期になると江戸徳川体制は、富と権力を完全に切り離します。
士農工商は、身分の上下を顕す言葉ですが、同時に貧乏な順番でもある。
富に社会的価値を置くのではなく、人として立派であること、世の中のために尽くすことにより大きな価値を置いていた。
武士は人を殺す道具である大小を腰に差します。斬り捨て御免です。
人を斬り殺す権限が与えられている。
しかし、むやみに殺したら、殺した武士は死罪です。
つまり、武士は人を殺せるけれど、人を殺したら自分も死ななければならない。
場合によっては、お家断絶。つまり一族郎党が、翌日から路頭に迷うことになる。
要するに、人々が権力のために殺し合ったり奪い合ったりすることを認める社会規範からは、絶対に人々が平等で豊かで平和に暮らせる社会というものはできない。
人々が、財はなくて、食を得ること、みんなが豊かに暮らすこと、たがいに尊敬しあい譲り合って平和に暮らせる社会というものは、殺し合い、血で血をあがなう社会では、絶対に実現できない。
マルクスの論は、この時点で根本的に間違っているのだとボクは思います。
なぜなら、富める者から奪う、富める者を殺すという「革命思想」では、結果としてたくさん殺し、たくさん奪ったものが、富を得、贅沢な暮しができるようになるという結末しか生まないからです。
しかし、共産主義思想というものが、結果として一部の権力者だけが贅沢できるという結論になることに気付かれたら誰からも相手にされない。
だから共産主義者というものは、結論を持たない。どういう風にしたいのか、という青写真を描かない。
要するに、「壊すことにだけ関心があって、何かを創り出すことができない」のです。
だから共産主義者は、結果を考えて行動することができない。
考えれない。考えたら自己破たんするからです。
壊すための批判しかできないのです。
そのために暴力を犯すこと、人を苦しめることをなんとも思わない。
ですから簡単にいえば、共産主義というものは、この世に暴力と破壊をもたらす「悪」が被っている仮面にすぎない。
その「悪」と戦い、豊かで平和な社会を守ろうとするならば、つまり、奪い、殺し、破壊する連中に蹂躙されない社会を守ろうとするならば、悪は断じて許さないという、絶対的な防衛力と、戦う気概、勇気、武器、訓練が不可欠です。
世界中の誰もが、日本とだけは戦争をしたくない、と思わせるだけの絶対的な防衛力、それは単にハード面だけでなく、思想、言論、社会規範や、教育、制度、システムといった国をあげてのソフト面での強靭さも必要です。
それがなければ、われわれは武器を持つ「悪」、つまり奪う者、殺す者に、好き放題蹂躙され続けることになる。
「保守」という言葉は、昔からあるわけではありません。
左翼主義者が目的としている「革命」を行うために自らを「革新勢力」と名乗り、自分たちにとっての敵対勢力を「保守勢力」と呼んだところからきている言葉です。
ですから「保守」を定義しろというなら、単純に「共産主義以外の全部」としか言いようがない。
これでは、共産主義以外はなんでもかんでも「保守」ですから、では「保守思想とは何か」と言われると、喧々諤々、議論百出で、全然まとまらない。
いま必要なのは、そういうものではないと、ボクは思っています。
日本文化の伝統を重んじ、人々が互いに助け合い支え合う、豊かで住みよい社会を実現し創造していこうとする人々とその規範となる思想。おそらくよく聞かれる「真正保守」とか「日本再生」などいう言葉は、そういう意味と意図を持った言葉であり集団なのではないかと思います。
一方、共産主義ないし革新勢力とは何かといえば、それはひとことでいえば「破壊主義」そのものです。とにかくいまあるものを破壊する。いい悪い、人々の役に立っている立っていないに関わらず、否定し、批判し、破壊し尽くす。
で、そのあとにくる未来の社会像は、何かといえば、そんなものはない。
破壊さえすれば、あとはなんとかなる程度の、いい加減さがあるだけです。
これに対し、多くの人々が求めているのは、不条理や閉塞感からの脱皮です。
先の大戦で、日本は、まさに焼け野原となりました。
その焼け跡から、とにもかくにも、戦後復興のため、ハード面での整備を行ってきました。
同時に、戦後65年の長きにわたって、戦争で夫や子を死なせることのない、平和な国家を建設してきました。
いまさら、都市や家屋を焼け野原にしたいとか、戦争で夫や家族を死なせたいなどと思う人は、おそらくよほど特殊な人でもなければ、誰もいないのではないかと思います。
しかしその一方で、道徳の崩壊や、経済の失速、左翼の跳梁跋扈によって生まれている様々な暮しにくさに、多くの日本人がどうにもならない閉塞感を抱え、また、弱者保護や人権保護と言いながら、凶悪犯の犯罪者ばかりが人として扱われ、被害者やその家族の人権がないがしろにされるといった不条理、努力しても報われなかったり、働きたくても職場がなかったり、その一方で、在日外国人ばかりが生活保護を受け、なかには働く日本人よりも豊かな生活をしているなどの社会の矛盾といった状況に、多くの日本人は、あきらめと同時に憤りを感じています。
グアム島で長年暮らすある人は、ときどき英霊たちの声を聞くことがあるそうです。
それは、「俺たちはこんな日本を見るために死んだんじゃない!」
いまの日本は、二つの日本があるのかもしれません。
ひとつは、戦後解体された日本。
もうひとつは、戦後に築き上げた日本、です。
前者は、ご皇室を中心に、伝統と道義を重んじる日本です。
後者は、戦後に生まれた様々な社会インフラと平和国家日本です。
いまある社会インフラを活かし、平和であること、豊かであれことを失わず、同時に戦前の皇国日本と伝統と道義を重んじる日本を取り返す。
私たち日本人の、ほんとうの戦いは、これからなのかもしれません。
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