人気ブログランキング
←はじめにクリックをお願いします。

牡丹灯篭

梅雨が明けたと思ったら、日本列島はまさに猛暑。
あんまり暑いので、たまにはちょいと嗜好を変えて、怪談などを語ってみようかと^^;
けっこう有名なお話なのですが、題名は最後に明らかにします。
~~~~~~~~~~~~~


けっこう有名なお話なのですが、題名は最後に明らかにします。
~~~~~~~~~~~~~
江戸時代の中頃のことです。
江戸の湯島天神のあたりに、荻原新助(おぎわらしんすけ)という男が住んでいました。
これがちょいといいオトコなのですが、内気で読書好き。あまり外に出かけません。
七月も半ばを過ぎた、ある暑い日のことです。
しーんと静まりかえった真夜中頃、新助が行燈の灯りを頼りに読書にふけっています。
当時はエアコンなんてありませんからね。
襖(ふすま)も障子(しょうじ)もあけっぴろげです。
しーんとしずまりかえった夜の町。そこに遠くの方から、下駄の音がカランコロンと響いてきます。
誰か来たのだろか。
思わず新助が表の路地に出て行きますと、二十歳くらいの美しい女性が、十歳あまりの娘に、小さな灯篭(とうろう)を持たせて、向こうの方から歩いてくる。
美しい女性です。
新助はおもわず、これはもしや天女が舞い降りたのだろうかと、ついつい女に声をかけます。
新「こんな夜更けにいかがなされました?」
女「所用の帰り道でございます。でも先ほどから夜路は恐ろしくてなりません。この子も疲れ、休むところもなく、難儀をしているところでございます。」
新「それはそれは。よろしければ我が家で少しお休みなされてはいかが。冷たい水くらいしかございませぬが、遠慮はいりませぬ。ささ、どうぞ」
新助が、優しげで、生真面目そうだったことで女も安心したのでしょう。
家も一間に、土間があるばかり。窓は全部開け広げてあるし、それではすこしだけ、と女は新助の家に入ってきます。
みれば、四畳半ほどの狭い部屋に、小さく本を広げ、いくつかの和歌などが書いてある。
女「和歌(うた)を読まれるのでございますか?」
新「あはは。下手の横好きというやつで、お恥ずかしい限りです」
すると女は、新助が書きかけていた上の句に、見事な下の句をさらさらっと詠んだ。
ほほう、と言って、「では、これなど」と新助が上の句を詠むと、女はすぐに見事な下の句を継ぐ。
こういうものは、ひとりでごちゃごちゃ考えているより、そりゃあ気の合う誰かと一緒にやったら、楽しいものです。
この女性、美しいだけでなく、教養もある。なんと素晴らしいひとか。
女性のほうも、さぞかし楽しかったのか、二人はすっかりうちとけて、気がつくと東の空がほんのりと明るくなってきます。
女「人目もありますので、今日はこれで」
女はいそいそと帰って行きます。
それからというもの、女は日が暮れると必ず新助をたずねてきます。
新助も女が来るのが楽しみで仕方ない。
二十日あまりが過ぎました。
新助の家の隣は、ひとり暮らしのお爺さんです。
このところ、毎夜、明け方近くまで、新助の家から女の声がするので、どうにもうるさくて寝られない。ただでさえ蒸し暑いのです。気になって仕方がない。
ひとこと文句を言ってやろうと、爺さんは新助の家に向かいます。
障子はあけっぴろげです。狭い、一間しかない家の中は、外からも丸見えです。
見上げたその部屋の中には、なんと新助が、白いガイコツと向かい合って座っている。
新助が何やら語ると、ガイコツがうなずいています。
「ひぇっ!、バ、バケモノ」
お爺さんは、腰を抜かして、自分の家に逃げ帰ってしまいます。
翌日、お爺さんは、新助のところに行ってたずねます。
爺「そなたのところへ、夜ごとに女の客が来ているが、あれは一体何者じゃ」
新「お露(つゆ)と申すおなごにございます。それはそれは教養のある女性で、ゆくゆくは女房にめとろうかと思っている相手にございます」
爺「実はの、昨夜、そなたの家に行ったのじゃ」
お爺さんは、昨夜見たままを新助に話します。
新「ま、まさか・・・」
爺「まさかではない。死んで幽霊となり、さまよい歩く者と、あのように付きおうておったら、精(せい)を吸い尽くされて悪い病気にむしばまれますぞ」
新「私はいったいどのようにしたら良いのでしょう」
爺「その女子は、どこから来たと言っていたかの?」
新「はい、万寿寺(まんじゅじ)のそばに住んでいると申されておりました」
爺「ならば、いまから行って探してみようではありませぬか。」
二人は連れ立って、万寿寺の方に向かいます。
寺に着くと、境内の墓所に、死者のなきがらをおさめた、たまや(→たましいをまつるお堂)が一つ、目にとまります。
古びた、たまやです。
よくみるとそこには、飯島平左衛門の娘お露と書いてある。
棺のわきには、子供くらいの大きさの人形が掛けてあります。
そして、その隣には、毎夜、女が手にしていた牡丹(ぼたん)の花をあしらった灯篭が架けてあった。
新「おお、間違いなくこの行燈にございます。それに隣の人形の髪型と着物、まさに毎夜、ウチに来る伴の娘です。」
怖くなった新助は、爺と二人で、万寿寺の良石和尚に会い、事情を話します。
新「私はどうしたらよいのでしょうか。」
和尚「間違いなく、貴殿は化け物に精を吸い取られておられますな。あと十日もしたら、命もなくなりましょう」
和尚は新助に、魔除けのお札と、金無垢の観音如来を渡します。
「この観音像を部屋に置き、入口にお札を張るのじゃ。よいな。金輪際、おなごに会ってはなりませぬぞ」
その日の夜、新助が一生懸命一心不乱にお経を読んでいると、いつものように女の下駄の音がカランコロンと近づいてきます。
新助は、よせばいいのに経を唱えながら蚊帳(かや)を出て、そっと戸の節穴から表を覗(のぞ)き見ます。
そこには、いつもの通り牡丹の花の灯籠を下げた少女が先に立ち、女が後ろに立っている。
髪は文金の高髷(たかまげ)に結い上げ、秋草色に染めた振袖に、燃えるような緋縮緬(ひちりめん)の長襦袢姿です。
その美しさたるや、言葉に尽くせない。
彼女がまさか幽霊だなんて。新助の恋心も激しく燃え上がります。
しかし、四方八方に貼ってあるお札が怖くて、二人の幽霊は、憶して後ろに下がります。
女「あれほどまで今宵もまたお会いするとお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするとは情けなや。男の心と秋の空、変り果てたる新助様のお心が情けない」
そういうと、女は振袖を顔に当て、さめざめと泣きだす。
その姿は、新助の目には、美しくもあり、哀しくもあり。
新助は、何も云わず、ただ口の中で、経を唱え続けます。
明け方近くまで、表で泣いていた女は、夜明け前には去ってゆき、翌日からはバッタリと姿を見せなくなります。
それから、五十日ほどが過ぎます。
新助は、寺へ出かけ、和尚に今日まで無事のお礼を申し上げます。
そして帰りしな、途中の酒屋にはいり、それまで禁じていた酒をひとりで飲み始めます。
飲めば飲むほど、彼女が恋しくなる。
店が閉店の時間となり、新助は、酔った足で、ふたたび寺に向かいます。
寺に着くと、あの女が現れる。
女「毎晩、お会いしましょうと、あれほど固くお約束をしましたのに、あなたさまのお気持ちが変わってしまい、本当にさみしゅうございました。
でも、あなたさまは来てくだされた。
お目にかかれて、本当にうれしゅうございます。
さあ、どうぞこちらへ」
新「そなたにつらい思いをさせるとは、まことにすまぬ。もはやそなたが何者でも構わぬ。これからは、二度と離れまい」
女「うれしい」
新助は、女に手を取られて、そのまま奥の院に入って行きます。
翌日、
寺の小僧が墓所の掃除をしていると、そこには、棺に引き込まれて、白骨の上へ重なるようにして死んでいる新助がいた。
ほどなくして、江戸の町には、新助と若い女が、牡丹の花の灯籠を持った娘とともに夜の街をさまよう姿が見られ、それを見た者は重い病気にかかるとうわさが立ったとか。
~~~~~~~~~~~~~~
すでにお気付きの方もおいでになろうかと思いますが、この物語は「怪談・牡丹灯篭」です。
原作はものすごく長いので、かなりアレンジしてご紹介させていただきました。
アレンジしすぎてて、コワクナイ!@@;
いやはや、どーもすみません><;;
性格なのかなんなのか、たとえばカラオケなんかでも、ねずきちがロマンチックな歌が歌えなかったりします。
どの曲を歌っても、元気の良い歌・・・ラジオ体操のような感じになるのだそうです^^;
文章も、重厚感のある文章は苦手で、どちらかというと元気な分になる。
書いたものって、いくら気取ったところで、けっこう、その人の性格とか特徴がでてしまいます。
気取ったって仕方がないので、そのまま自然体で書いています^^;
さてさて、文中の新助は、本当の牡丹灯篭では、萩原新三郎というちゃんとした武士らしい名前で登場します。
女は、旗本飯島平左衛門の娘、お露(つゆ)です。
牡丹灯篭の物語は、もともとはChinaから伝えられた怪談話で、江戸中期に翻訳されて我が国に紹介されました。
「四谷怪談」や「番町皿屋敷」と並び、日本三大怪談といわれている「牡丹灯篭」ですが、明治の初めごろ、三遊亭圓朝が落語でこれをやって、大人気となり、その口述筆記されたものが新聞に連載されました。
三遊亭圓朝の語った牡丹灯篭は、実際には、上に書いたものなどとは比べ物にならない、複雑で厚みのあるお話で、お露の父親が、まだ22歳の若侍だったころの刃傷沙汰・・・これがまた実にかっこいい・・・からはじまり、複雑に人間関係がからまって、新三郎に恋したお露が、恋煩いで死んでしまう。
さらに、お露の家に住みこみとなった小者が、実はお露の父に殺害された男で・・・と、複雑な人間関係が重なりながら、人間の「業」のようなものが、おりなす怪談を形作っています。
円朝の牡丹灯篭は、まさに名調子として、明治初期の日本で大評判になり、この落語を、そのまま口述筆記したものが、当時の新聞に連載され、これまた大評判になります。
当時の文章というのは、文語体で書くのが常識です。
ところが、この牡丹灯篭の物語が、口語体(口述筆記)で書かれ、これが大評判となったことから、二葉亭四迷が口語体で書いた小説を出版。
その読みやすさが大衆に受けて一般化し、現代では、文章は口語体で筆記するのが、一般化しました。
つまり、いまこうして私たちが口語体で文章を書いているのも、もとをたどせば、牡丹灯篭がモト、というわけです。
また、日本の幽霊は、実は江戸初期までは、ちゃんと足があったのですが、江戸中期に絵師の円山応挙(まるやまおうきょ)が「足のない幽霊」を描いたことで、幽霊に足がなくなりました。
一度は足がなくなった幽霊に、ふたたび足を生やしたのが、これまた円朝の「牡丹灯篭」でした。
女の幽霊である「お露」が、下駄をはいて、カランコロンと夜道をやってきたのです。
この下駄とカランコロンという足音が、戦後、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に採用され、
♪カランコロン カランカランコロン
 カランコロン カランカランコロン
 おばけのポストに手紙を入れりゃ
 どこかで鬼太郎の下駄の音~♪
と、いまも多くの人々に親しまれるお化けの定番となっています。
ちなみに水木しげるは、ラバウルの陸戦隊の生き残りです。
当時、ラバウルには、10万の日本兵がいましたが、陸軍大将今村均氏の英断で、ほぼ全員が生きて日本に生還しています。
いかえれば、今村均がいなかったら、ゲゲゲの鬼太郎も誕生しなかった。
≪参考:マッカーサーが称賛した武士道の人≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-573.html
そしてまた、水木しげるは、日本海軍の誇るラッキー駆逐艦「雪風」で日本本土に復員しています。
「雪風」の物語も、実にすごいお話なので、お時間のある方は、是非ご一読ください。
≪参考:駆逐艦「雪風」の幸運≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-884.html
三遊亭圓朝がいて、牡丹灯篭の物語があって、二葉亭四迷がいて、いまの私たちの口語体の文章がある。
今村均氏がいて、水木しげる氏が生きて、ゲゲゲの鬼太郎がいる。
いま、平和でいる日本という国は、忽然とこの世に登場したわけではありません。
いまの平和も自由も、若者たちのファッションも、私たちの先人達が、伝え、育んできたその先に生まれたものです。たくさんの先人達が、夢見た未来の結晶として、いまの日本がある。
このことは、いいかえれば、いまの私たちがこの国を粗末にしたら、そのツケは、こんどは私たちの子や孫の時代に大きな厄災となって返ってくるということでもあります。
この国を大切にし、この国を護るということは、私たちの先人たちの志を護るということでもあり、私たちの子や孫の時代を創ることでもあると思うのです。
そのために、私たちにできることを、ほんの少しずつでもいい。日々積み重ねていきたいと思うのです。
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

怪談・牡丹灯篭


日本の心を伝える会 日心会

やまと新聞会員お申込みページ

コメントは受け付けていません。