
映画「アバター」といえば、世界中でメガ・ヒットを記録した映画です。
製作費は、史上最高の300億円。
3DのCGを駆使し、映画を「観る」ものから「体験する」ものに変えた初の映画とも言われています。
監督のジェームス・キャメロンは、この映画を「映画史の革命」と銘打ち、なんと興業開始からわずか39日で約1700億円を稼ぎ出すという世界新記録も樹立しています。
「アバター」は、全編CG(コンピューターグラフィック)を駆使した映画です。人間以外は、ほぼすべてがリアルなCGで描かれている。しかも3Dです。
ここで描かれる世界は、もちろんジェームズ・キャメロン監督のオリジナルなのだけど、その世界観は、かなりの部分、日本アニメの影響を受けているといいます。
六本木ヒルズで行われたジャパンプレミア出席のため来日したキャメロン監督は、短い舞台挨拶の中で「僕は宮崎駿の大ファンだから」と語っています。
実際、光る芝生のような糸は、「風の谷のナウシカ」のオームの髭だし、ドラゴンに乗る姿も、ナウシカの飛行機に乗った姿。
空中に浮かぶ島は、「ラピュタ」そのものです。

もしかすると人間が乗るニューマン型戦闘マシンは、「エヴァンゲリオン」かもしれない。
また欧米的な収奪目的で圧倒的火力を誇る武闘民族と、森や自然に神が宿るとして木々や自然と調和して生きようとする誇り高き民族の戦いは、いっけんすると白人とインデアンの戦いであり、日米の大東亜戦争のようでもあります。
よくよく考えてみると、昔の60年代のたとえばインデアンものの映画などでは、常に、白人の側が正義として描かれた。
しかし、昨今の潮流を見ると、たとえば日本アニメが全世界に受け入れられ、また、今般の「アバター」のような映画が大ヒットするという風潮の背後に、もしかすると世界的に、大きな価値観の変動(パラダイム・シフト」が起こっているのではないかと思わされます。
このことについて、≪ゆるちょの「海の上の入道雲」≫というブログに、非常に面白い記述がありましたので、ご紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~
「アバター」大成功に見る「日本人的美意識」の雄飛
欧米的価値観から、民族的価値観へ価値観がシフトしているんです。
特に日本的価値観というものが、これだけ世界中から注目され、ファンを獲得している背景には、日本的価値観により創作された漫画やアニメが世界中で注目され、売られ、放送されている事実がまずあります。
アメリカンコミックのような単純な世界観ではなく、日本のアニメや漫画に見られる日本人的美意識に裏打ちされたサムライ的構図、「大切なモノに殉じたり、そのために死をも恐れずに戦う。どんな状況にも絶望せず、誇り高く戦う!」、といった姿勢が、人間の根源に訴えるのではないでしょうか。
自分は日本人で、日本人的美意識旺盛な人間なので、それ以外のひとが、どういう意識で日本人的な美意識にあこがれていくのか、よくわかりませんが、本能的に惹かれていると見ていいでしょう。
そういう日本的美意識に惹かれる素地というものは、欧州にはあったということでしょう。
そして、ほぼ日本的価値観や美意識を下敷きにして、作られたこの「アバター」の大成功はそれだけ、日本的価値観や美意識が世界的に受け入れられ、主流にさえ、なりつつあるということを表現していると見るべきでしょう。
近年、世界各国で、ジャパニメーションのイベントが行われ、日本の漫画が普通に売られています。日本食は大ブーム、日本人のアイドルが欧米で活躍し、ツール・ド・フランスに日本人が久しぶりに出場すると、各国の報道陣が先を争って報道する。
そういう事実を鑑みれば、日本人的価値観や美意識というものが、世界の潮流の中で、大きな位置を示し始めているということが、納得できると思います。
そういうことから言えば、この「アバター」という作品は、「日本人的価値観や美意識は非常にすばらしいものなのだ」、と全世界の人間に認めさせた、日本人にとって記念碑的作品ということになるのです。
我々は、そういう世界に今、日本人として生きているのです。
それは、大きな誇りでもあります。
我々は今や、日本人であることを大いに誇りにすべきなのです。
今が大きなチャンスじゃないですか。
世界に打って出るのは、今が最高にいいときです。
日本人的価値観や美意識が今、大きく世界に羽ばたき始めているのです。
~~~~~~~~~~~~~~~
そして今度公開されるのが、「ザ・パシフィック」です。
こちらは、ジェームズ・キャメロンと並ぶ、ハリウッドの巨匠スピルバーグ監督と、トム・ハンクス、ゲーリー・ゴーツマンが総指揮を執ったテレビシリーズです。
この映画は、大東亜戦争をテーマに扱ったものですが、従来のアメリカ映画の第二次大戦ものにありがちな、米軍礼賛や、日本=悪の枢軸という図式ではなく、「我々は、日米の戦争ではなく、戦争そのものを描きたかったのだ」というスピルバーグ監督の話にあるように、米軍の犯した様々な日本兵等に対する残虐シーンも出ているのだそうです。
戦記そのものとしては、ガダルカナル島の戦い、ニューギニアの戦い、パラオ・ペリリューの戦い、硫黄島の戦い、沖縄戦と、まさに激戦の地について、史実にできるだけ忠実に描いたとしている。
実際に予告を観ると、米軍が機銃を乱射するのに対し、日本人がまさに軍服一枚で突撃するシーンや、無抵抗の日本人少年を、銃で撃ち殺すシーンなども出ている。
日米どちらが正しいかではなく、戦争そのものを忠実に描くことで、戦争とは何かそのものを、両軍のどちらをひいきするとか抜きに、描写する映画になっているのだそうです。
楽しみにしたいと思います。

それにしても、日本の軍部は、戦後65年もの長い間、反日左翼や特ア三国から、ひどい誹謗中傷を受け続けてきました。
日本の軍人さんたちは、最後まで立派に戦い散華されたのに、国のため、私たち子孫のために、苦しい戦いを命がけで戦って来られたのに、濡れ衣を着せられても、言い訳ひとつしないで、じっと耐えてこられた。
すこし考えれば、誰でもわかることなのです。
軍は、国家の命令がなければ、動きません。
「腰の軍刀は竹光か!」とまで謗(そし)られても、命令がない以上、じっと我慢するしかなかった。
China事変の前、多くの日本の軍人さんや民間人が、Chinaの国民党兵に酷い殺され方をしています。
仲間を、家族を殺されたのです。
それらすべてに対し、じっとこらえ、耐え忍んできた。
そして日本が国家として、これ以上はもはや耐えきれないとなったとき、はじめて国家の命令によって軍は動いたのです。
すこし考えれば、誰だってわかることです。
軍が勝手に兵を動かし、国家規模の戦争などできることではない。
にもかかわらず、命令があったから動いた兵隊さんたちに、戦争の罪を全部きせて、過去を他人事として目をそむける。
それは、人間として、ボクは恥ずべきことだと思います。
その恥ずべきことを、戦後の日本人は、国をあげてやってきた。
そしていま、日本アニメやマンガというまったく武力とは異なる分野から、日本的美学が世界に普及し、その精神を受け継いだ「アバター」が世界的ヒットとなり、スピルバーグ監督が、大東亜戦争の真実の姿を描いた映画のメガホンをとった。
以前、ボクは、大東亜戦争で、日本が玉砕を伴う苦しい戦いを行い、戦艦大和すら、戦艦として玉砕させるという行動に出たのは、死して名を残す日本武士道の精神からきたものだ、と書きました。
アメリカインデアンは、かつて北米に800万人いたとされます。
それが白人の入植によって、次々に殺され、いまやわずかに35万人が残るのみです。
しかも、遺伝子レベルでは、そのほぼ全員が、白人種のDNAを持っている。
(これが何を意味しているかは、わかりますよね)
インカ帝国は滅びました。
いまでは、当時の言語、風俗、習慣、社会システム等のすべてが、わからなくなっている。
アメリカインデアンは、それぞれの地域ごとにいろいろな部族がいて、部族毎に言語・習慣等がまるで異なっていたであろうけれど、いまではほとんどわからなくなっている。
ただ、その文化や伝統の破壊がインカほどではなく、ある程度でもインデアンの生活様式がいまでもわかるのは、アパッチ族が最後まで白人に抵抗して勇敢に戦ったからです。
インデアンの習俗・習慣等は、インデアンの側というより、むしろ白人の側に、アパッチ族への強力な印象とともに残っている。
戦争というのは、民族の存亡を賭けた国家規模の一大賭博である、と書いたのは司馬遼太郎ですが、その賭けに敗れ、まさに民族自戒、民族滅亡の危機に瀕したとき、日本が行ったのが、もしかすると玉砕戦だったといえるのではないか。
激しく、勇敢に、最後の最後まで戦いきることによって、日本側だけでなく、米軍の側にも、日米戦の激しさの記録が残る。
もし仮に日本民族が、滅亡の危機に瀕したとしても、昨日の敵が、まさに日本民族の凄みを、思い返し、訴えてくれる。
そういう時期が、やってきたのではないのでしょうか。
日本が、日本人が、日本人としての誇りと自信を取り戻すべき時、それが戦後65年という時を経由して、いま再び、めぐってきた。
そのことを「アバター」のヒットや、「ザ・パシフィック」が、いまあらためて、われわれ後世を生きる日本人に教えてくれようとしているのではないか。
よく、潮目が変わる、という言い方をします。
これまで封印されてきた日本の近代史、辱められ中傷され続けてきた日本の名誉が、いま再び回復されようとしている。
まさにいま、その潮目にある。ボクにはそんな風に思えるのです。
↓クリックを↓


