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インカ帝国
インカ帝国

先日、日心会メルマガに、以下のお話を書きました。
インカ帝国のお話です。
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インカ帝国というのは、いまは南アメリカのペルーのあたりにあった、一大文明国でした。
最盛期には、80の民族と1600万人の人口をかかえていた。
巨大な石の建築物、
カミソリの刃も通さないほど精巧に重ねられた石の加工技術、
黄金の仮面
水晶のドクロ、
土器や織物
謎の高原都市
インカの遺跡は、ものすごく高度な統治システムと、進化した技術に彩られています。
ところが、それだけの巨大文明でありながら、いまでは、その歴史、伝統、文化の一切は失われ、遺跡もただ「謎」です。
このインカ文明のおおもとにあたるアンデス文明は、紀元前7500年ころまでに始まったとされています。
紀元前7500年といえば、日本では鹿児島沖でカルデラ大爆発が起こり、遠洋漁業が始まった頃です。
アンデス文明を形成したインカの民は、男性の身長が平均1m57cm、女性が1m45cmくらいのモンゴロイドです。
遺伝子的には、いまから1万8千年ほど前に、地球気温が急速に低下し、北極圏、南極圏の氷が発達(年間平均気温で▲8度くらいだったそうです)。
これにより、海面がいまより140メートルほど下がり、シベリア、アリューシャン列島、樺太、北海道、本州などがみんな陸続きになった。
このとき、バイカル湖のあたりにいたモンゴロイドが、一部は、中央アジアへ、一部が太平洋を南下して日本へ、一部がアラスカを経由して北米へと流れ、長い時間をかけて、南米にまで南下したといわれています。
この民族の特徴は、遺跡から武器が出土しないことです。
つまり、武器を持って人と争い、力で敵を征服するのではなく、自然と共存し、武器を持たず、争いを避けて技術の進歩によって人々の幸せを図ろうとし、太陽を信仰するという共通の特徴を持っている。
おそらく、こうしたことは、DNAのなせるわざなのではないかと思います。
しょせんは、ヒトも動物も哺乳類です。
犬が犬種ごとに、性格がまったく違うのと同様、人間も、人種ごとにその性格的特徴、非常時の行動パターンなどがまるで異なる。
インカの民も、太陽を崇拝し、灌漑と台地栽培によって、農業生産しています。
そして、インカの遺跡からは、不思議なほど、武器が出てこない。
日本も、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、現在に至るまでただの一度も対人用の武器が出土したことがないです。
さらに、ものの本によると、インカでは、灌漑農業のために貴族が労働力を搾取していたなどと書かれているけれど、これなど共産主義に洗脳されたプロパガンタです。
インカの遺跡をみると、神殿、民家、要塞、道路など、きわめてすぐれた技術によって建設されていますが、こういうことは、古来、上からの命令と奴隷のような隷従のもとでは、なかなかできるものではない。
人々が、むしろ喜びと未来への希望を持って力を合わせたときに、はじめて高度な技術が誕生するし、それが民生用であれば、なおのこと大きな力となる。
インカの石造りの幹線道路など、北部のキトからチリ中部のタルカまで、5230kmにも達しています。
その道路が、王侯貴族の栄華のためだけに築かれたとするのは、どうみても無理がある。
みんなが使い、みんなが大事にするから、道路が伸び、補修され、大事にされるのです。
それを言うと、だって万里の長城は、皇帝の権力で完成したのだ、などという人もいます。しかし万里の長城が立派な城砦のような形状をしているのは、ごく一部分でしかない。ほとんどは、単なる盛土が延々と伸びているだけです。
さらにいえば、馬族の侵入を防ぎ、農地を守ろうとすれば、人々は長城を作ろうとする国家の指針に、進んで協力する。
その協力が、自らの家族や生命、財産を守るのに「必要な」行動だからです。
同様に、インカの道路も、王侯貴族が、彼女を連れて馬車で、チョロチョロする程度なら、ほんの数キロの道で構いません。
5000キロもの長い距離の道路が完成し、かつ保持されたのには、そこに一般の庶民の期待と協力とニーズがあったからと考えるのが自然です。
実際、この道路には、1トポ(約7km)毎に里程、約19km毎にタンボ(宿駅)が、設置されているのです。
そこには、チャスキと呼ばれる飛脚が約8km毎に設置されていた。
どういうことかというと、タンボ間のリレー方式で、1日に、なんと約240kmの情報伝達能力を持っていたのです。
こうした情報伝達を、軍事利用と想像するのは、結構なことです。
しかし、インカでは武器らしい武器が出土していない。
あることはあるけれど、それはオンダと呼ばれる携帯用の投石機です。
これは大型獣を倒す狩猟用のものであり、対人用の武器を目的としたものではない。
そうしてみると、オンダが生まれたのは、多くの人々の情報伝達のため、つまり民生用と考えた方が自然です。
そもそも、なんでもかんでも古代は王侯貴族が大きな顔をし、労働は奴隷にやらせていた社会などというのは、そういう社会体制を基礎とする西洋か、日韓併合前の朝鮮くらいなものです。
一部の貴族だけが贅沢の限りを尽くし、一般の民衆が搾取され(中世ヨーロッパや、李氏朝鮮では、平均寿命が24歳くらいだった)る社会では、文明はかならず停滞し、退廃する。
してみれば、インカは、すぐれた統治と豊かな民生のある武器を持たない文化が、そこにあったと考えるのが自然です。
ところがインカは、それだけ発達した交通網や文化を持っていたことが、結果として、文明を滅ぼしています。
どういうことかというと、スペインの掠奪者、フランシスコ・ピサロの一行がやってきたのです。
武器を持たないインカの民に対し、ピサロは情け容赦なく銃をぶっ放し、女を強姦し、黄金や貴金属、宝石などの富への略奪を重ねた。
そして和平を願って交渉にきたインカの王、アタワルパを逮捕し、まる裸にして辱め、殺害し、ついには、わずか180名、たった180名です。ただの180名の銃で、1600万人の人口を持つインカの大帝国を滅ぼし、その文明の痕跡さえも失うまでに、略奪の限りを尽くした。
人口のわずか0.001%です。
たったそれだけの数のスペインの乱暴者が、1600万人の人口を持つ一国の文明を滅ぼし、富も、政治体制も、歴史も文化も、そして言語までも破壊し、失わせた。申し上げにくいことだけれど、いま、ペルーのインディオたちのDNAは、100%インディオの純潔種というのは、いないそうです。
ほぼ100%の人が、スペイン人のDNAを持っている。
これがどういうことか、何を意味しているかは、ご想像におまかせします。
「武器を持たない文化」は、戦後の日本がそうであったように、内政面で人々の平和をもたらし、話し合いと共存、民生技術の進歩等、人々の生活を豊かにします。
なぜなら、対立したときの問題の解決に武器を用いることができない分、発達した内政用の統治システムが必要となるからです。
インカの滅亡は、大切な事実を、私たちに語りかけてくれます。
それは、すぐれた内政統治システムも、歴史も伝統も文化も、それを、ハナから相手にしない「武器を持った暴力的な外国人が来襲」には、まったく無力である、ということです。
日本は、ポルトガル人が同じ時期に来ました。
ポルトガル人も、銃を持ってきた。
それを見た種子島の領主は、なんと現在のお金で銃一丁を5000万円という高値で、二丁、買い取ります。
ポルトガル人にしてみれば、これは大儲けです。
彼らは、これはすごい商売になる!と、さっそく本国に帰って大量の銃を仕入れ、船に積んでふたたび種子島に運び込みます。
ところが、船がやってきたときには、種子島では買い取った銃を分解し、なんとポルトガル人の数十倍の火縄銃を、量産していた。
しかも、ポルトガル人の所持する銃よりもはるかに性能がいい。
だからポルトガル人は、日本を植民地にできなかったし、日本文明を滅ぼすこともできなかったのです。
幕末も同じです。
黒船来航の何年かのちには、日本では、各藩が、それぞれに蒸気機関を開発。
軍艦まで買い取っていたし、日本中の武士たちが、攘夷と称して刀を持って暴れまわっていた。
これでは欧米列強は容易に日本に上陸できません。
そうやって時間稼ぎが行われている間に、日本はどんどん国力をつけ、明治政府が誕生する頃には、日本の保有する軍艦の数は、欧米から渡航してきている黒船を、少なくとも数の上では圧倒するレベルにまで達していた。
何日か前に、広島と長崎に原爆が落とされたのは、日本がその時点で核による反撃ができる可能性が皆無だったからだ、と書かせていただきました。
現在でも、世界には、話し合いや和の心だけで平和的に物事を解決できるだけの高度な世界的統治システムは完成していません。
誤解を恐れずに言うならば、世界は、いまだに法のない群雄割拠の時代にあるのです。
世界に向けて正義を実現できるのは、話し合いだけでなく、武力が背景にあるときだけです。
弱虫は、どんなに正しい理屈を垂れても馬鹿にされ、蹂躙されるだけなのです。
そしていまの日本は、あきらかにChinaや朝鮮に馬鹿にされ、蹂躙されている。
この日本の現状を救い、本来の日本の歴史、伝統、文化を取り戻すためには、私たち自身が、武力行使も辞せずという強い信念を持たなければならないといえるのかもしれません。
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