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国会議事堂

国会報道というのは、それが大手メディアであれば絶対に避けて通れない事柄です。
ところが日本における国会報道というのは、それが新聞、テレビ、ラジオであるを問わず、すべて記者クラブを経由して報道されます。


国会議事堂に行きますと、そこには2階席があって、たとえば衆参両院の本会議ともなると、2階席には各メディアのカメラやテレビカメラが、それこそ砲列といっていいほど、いっぱいに並びます。
どうみつくろっても、そのカメラの数は国会内に出入りしている報道各社の数よりも多い。
そして会議の模様は、すべて細大漏らさず撮影されています。
その後ろには、これも出入りを許可されている各社の数を数倍する記者たちが陣取り、国会の模様をその場で次々に文字にしていきます。
で、そこで撮影されたフイルムや写真、あるいは記事が、そのまま報道各社を経由してわれわれ視聴者ないし購読者の手元に届くかというと、決してそんなことはありません。
どういうことかというと、報道陣によって取材された映像や写真、記事は、いったん記者クラブに全部集められます。
そこには、記者クラブの“デスク”が陣取っていて、その“デスク”が、記事や写真を題材にして組合せをし、報道用記事、または報道用映像に編集します。
各社は、それを自分の会社に持ち帰って、記事にする。あるいはテレビで流す。
もうすこしくだいていうと、実際の本会議等の模様を観ていない人物が、「自分が報道したい」と思った部分、思った写真や映像だけが、「報道用」に配信される、ということです。
つまり、たとえばある議員が質疑で、こんなことを言ったとします。
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宮崎では、毎日毎日必死に消毒した。
なんとか助けたかった。
だけど、ごめんね、本当にごめんね。
感染したみたいだ。
牛さん、豚さん、いまま本当にありがとう。
毎日一緒に過ごしたね。
つらくてたいへんなときもあったけど、
とても楽しい日々だった。
風邪、ひいてないかい?
おなかはすいてないかい?
心配ないよ。さいごまで一緒だから。
そんなに悲しい顔すんなって。
つらいなぁ。
悲しくて悲しくてたまらんよ。
こんなに元気なのに、なぜ殺さにゃならん。
牛さんと一緒に、俺も一緒に埋めてくれ。
どうしてこんなことになったんだ。
~~~~~~~~~~~~
これは、去る5月20日の衆議院本会議における地元宮崎県出身の江藤拓議員の議会での質問の中にあった言葉です。
それを聞いた民主党の議員から浴びせられたヤジは、
「カネがほしいのかぁ~!」
「勝手に言ってろ~~!」
こうした事実も、記者クラブの“デスク”が、記事として採用しなければ、その事実は「なかったこと」になります。
現総理は、イラカンと言われるほど、常に不機嫌そうな顔をし、会議中はほとんどスヤスヤと気持ちよく寝ていても、報道で使われる写真が、にこやかにほほ笑んでいる写真だと、視聴者や新聞購読者は、いい顔をした笑顔の総理という印象になる。
本来、事実というものは、いろいろな側面を持つものです。
たとえば、いまこれを書いているボクが、パソコンのキーボードへの入力をしながら、PCの横にあるお茶を飲み、ぷぅと屁をしたとする(しませんがw)
その様子を仮に報道する(してもらいたくありませんが)に際して、真剣な表情で文章を作る姿を絵にすれば、真剣そうな記事になるし、ぷぅと屁をしてニヤニヤ笑ったところを記事にすれば、不謹慎極まりないという報道になる。
たいせつなことは、何を主張し、何を書いているかなのだけれど、報道の姿勢次第で、事実はいかようにも、ゆがんだ印象操作が可能だ、ということです。
残念なことに日本では「記者クラブ」のたったひとりの反日“デスク”によって、そういう印象操作が日夜平然と行われている。
メディアというものは、事実を伝えるのが役目とされています。
しかし事実というものは、その「斬り口」によって、いくらでも異なった印象操作をすることができるというのが、真実です。
早い話が、共産党の機関紙「赤旗」と、自民党の機関紙「自由民主」では、同じ事実に対して、報道の姿勢がまるで違う。
そりゃあそうです。
それぞれの立ち位置が異なるのです。
だからこそ、戦前の日本のメディアは、各紙それぞれに大きな特徴を持ち、各紙とも、自らの立ち位置を明確にし、自らの見識のもとに、是非善悪を高い次元、高い道義をもって判断し、善いものはこれを宣揚し、悪いものはこれを糾弾して世論を喚起した。
報道が、それぞれ国家意識をもち、高い使命感を持っていた。
メディアの歴史は、日本では、ヨーロッパよりも古いのです。
なにせ、紙と筆が発達し、識字率が世界最高水準にあった日本です。
大阪夏の陣の号外さえ現存している。
西南戦争では、従軍記者が現地の模様を取材し、全国に向けて新聞で報道していた。
ところが、戦後の日本では、とくに国家意思の中枢となる政治に関しては、各社それぞれの立ち位置での報道が、まったくできません。
これは戦後GHQによってひかれた情報統制によるもので、各メディアの報道班は、全員が「記者クラブ」に所属し、「記者クラブ」の許可証をつけなければ、国会議事堂にはいれない。
そして取材した記事も、写真も、記者クラブの「検閲」を経たものでなければ、テレビでも新聞でも一切報道されることはないし、つまらない漢字の読み間違えのようなとるにたらない事柄が、各社一斉に報道されることになる。
GHQが行ったこの報道規制のシステムは、日本がサンフランシスコ平和条約に調印し、主権を回復した後も、そのまま、あれから58年経ったいまでもなお続いています。
昨日の総理演説に対する野党各党の質問についても、実際にその実況中継をご覧になった方はわかると思うけれど、自民、公明両党が、政治課題、経済運営、口蹄疫、その他諸々の現下の政治課題について、実に具体的な質問をぶつけています。
ひとつひとつの質問内容は実に筋が通っており、かつ多岐にわたるものです。
ところが、これに対する菅総理の回答は、ヌカに釘、のれんに腕押しのような、まるで具体性のない回答です。
しかも実際には、ほとんど側近の書いた原稿を、老眼鏡をかけてただうつむいて棒読みしていただけです。
そして、報道は。。。まるでそんな質疑そのものがなかったことであるかのように、まるで報道しない。
報道されたのは、W杯で菅首相「はやぶさに続き、2連勝」、前原国交省は「ガッツポーズ1分」であり、そこで使われた写真が、↓のものです。

菅直人総理0614

http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100615/scr1006151233082-n1.htm
MSNにも載ったこの写真には、ご丁寧に「自民党の林芳正政調会長代理の質問に答える菅直人首相=15日午前、国会・参院本会議場」という解説まで付けれられているけれど、この写真は、代表質問の際の写真であって、はやぶさ帰還のときの写真ではない。
上の写真を観たら、なんだか、菅総理が代表質問で熱弁をふるっているようにみえるけれど、こういうふうに、老眼鏡をはずして、背筋を伸ばし、いかにも堂々と発言していたときは、ほんの一瞬、質問の答えとはまるで異なる個人の「思い」を語っていたときだけです。この姿のときの発言には、なんの意味もない。
ようするに、この記事ひとつにも象徴されるように、記事になることと、使われる写真は、ぜんぜん別のものが組み合わされている。記事と、写真、動画のすべてが、現場を観ていない記者クラブのいちデスクによって、いいように印象操作されている。
およそ政治に関しては、戦後日本では、ずっと反日思想の記者クラブが、ずっとインチキ捏造といっていい報道を重ねてきた。
善なるものはこれを隠ぺいし、悪なるものは、これをあたかもいいことのように情報操作する不法行為が、戦後日本ではずっとまかり通ってきた。
いま、保守の戦いというものは、こうした戦後の反日体制のすべて、それはもしかしたら日本の社会構造全部、それを敵に回して戦うということなのかもしれません。
「記者クラブ」を解散せよ!
それが今日いいたいことです。
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「記者クラブを廃止しろ!!」

日本の心を伝える会 日心会

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