
この素晴らしき共産主義社会
日本ではいま民主党が政権をとり、反日的なもの、旧来の日本=悪と断定し、まさに日本をChinaに売り飛ばすため、と思えるような反日政策のオンパレードの様相となっています。
これだけ世界中のおいしいものを食べることができ、夜中に若い女性が一人歩きしても安全・・・最近はちょっと怪しくなってきているけれど・・・で、不快な満員電車でも、みんなが大人しく乗車し、信号が赤になれば、誰も見ていない夜中でも、きちんと車が止まるという日本社会を、「よからぬ社会」と否定するのだから、わけがわかりません。
古い日本の伝統文化を大切にしながら、現実に即していろいろなものを改善する、ということには大賛成です。
その意味で、保守は、革新派そのものといえます。
つまり保守は、伝統を重んじながら現状を憂い未来を革新的に創造する。
しかし、現状の民主党や、社民党などのやり方は、どうみても左翼的であり、反日です。
反日というのは日本の全否定です。
日本の過去も現在も未来も、全部否定する。
でなにをしたいのかというと、偏狭なドグマに基づいて、単に自己の利益とに走る。
唯我独尊、我儘勝手、夜郎事大。
そしてその偏狭なドグマのバイブルとされているのが、社会主義、共産主義です。
では実際に社会主義者、共産主義者たちが政権を担うとどうなるのか。
このブログではこれまで、China共産党の非道や、ウイグルやチベット問題をいろいろとご紹介させていただきましたが、今日は、旧ソ連について書いていみたいと思います。
場所は、ウクライナです。
ソビエト連邦という国は、大正八(1919)年にできた「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」、大正十一(1922)年に誕生したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国等が合併して出来上がった連邦国家です。
満洲でもそうなのだけれど、新国家の誕生というものは、いまの日本でいったら、まず「都道府県」単位で、主権の独立を図る。
現在の政府を否定し、都道府県単位で次々と主権独立を図り、その後に独立主権単位で結束して別な新国家を誕生させる、というプロセスをたどります。
いま、地方分権を、さらに一歩進めて「地方主権」だなどと言っているのは、要するに日本国家を解体して、別な国家にしようとする布石、すくなくとも過去の歴史を振り返る限り、そういう動きということになります。
その地方主権、県単位の独立、新国家誕生が、日本の歴史と伝統と文化を尊重し、新たに陛下を中心とした道義国家日本の建設に向けての動きなら良いのですが、すくなくとも民主党の標榜する地方主権なるものは、単に中共への売国にすぎない。
脱線しましたが、では実際にコミュニストに取り込まれた国が、どういうことになったのか。
「歴史は学ぶためにある」という言葉をかみしめながら、お話を先に進めたいと思います。
ウクライナは、大正八(1919)年に、社会主義国家として「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」が成立しました。
そしてその三年後に、ソビエト連邦に取り込まれています。
ロシアのウクライナ地方というのは、いわゆる穀倉地帯です。
豊かな土地であり、農作物の宝庫だった。
決してロシア皇帝一族のような王侯貴族の暮らしはできなかったけれど、それなりに人々は豊かな暮らしをしていました。
下の写真は、帝政ロシア時代のウクライナ地方の絵葉書です。
おそらく1921年頃のものであろうといわれています。
つまり、ウクライナが、まだ共産圏に取り込まれて間もないころのものです。
二人の女性の表情は暗いですが、それでもお二人とも、まるまると太っている様子が見て取れようかと思います。

この頃、新たにソビエト連邦となった旧ソ連にとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は、貴重な外貨獲得手段でした。
しかし農作物というものは、年によって収穫高に差が出るものです。
ソ連は、武力を背景に、ウクライナ地方の農作物の出来、不出来にかかわらず、ウクライナの小麦を徴発し、輸出に回し続けます。
1930年代初め頃から、ソ連はウクライナ地方からの農作物の摘発をさらに厳しいものにしていきます。
農民の都合や天候など一切関係ありません。
政治が、これだけの収量を徴発せよと決めれば、その通りに徴発がなされる。最近の日本でも、民主党あたりから政治主導なる言葉がよく飛び出しますが、実態経済や農作物の出来高とは一切関係なく、政治の≪都合≫で、徴発が決まる。政治主導というのは、そういう恐怖の一面を持っています。
しかしソ連の社会主義者たちによる政府による過酷な税の取り立てに対して、ウクライナの民族主義者や、知識人、民主化政策の指導者などによる政府批判が顕著になると、ソ連の社会共産主義政権は、彼らを自分たちの政治に対する「脅威」とみなし、容赦なく処罰を開始します。
あたりまえのことですが、知識人や民族主義者を処罰したからといって、農業生産高があがるわけではありません。
加えていくら豊かな土壌に恵まれたウクライナでも、あまりに過度な収穫高目標は、現実論として達成は不可能です。
実態に即さずに、「計画」と称して達成不可能な過大な食糧生産ノルマを課すのです。
そしてはなから達成できっこないような過大な(政治的)生産ノルマを課して、その(政治的)ノルマに基づいて、徴発量があらかじめ決められる。
実際の出来高は関係ない。
無茶な話です。
結果として、あちこちの農村で、当局による厳しい食料徴発に耐えられず、ようやく多くの農民が、社会主義革命、共産主義革命なるもののいかがわしさに気がつきはじめます。ようやく民族主義にめざめ出したのです。
スタニッツァ・ボルタフスカヤという村があります。
人口四万人の小さな村です。
武力を持つ政府にとって、民衆が団結し集団化すれば、それは脅威になります。
ですから、ソ連当局は、まだ村々が個別に民族主義化している、つまり分散している状況下で、村の弾圧にはいります。
こうしてスタニッツァ・ボルタフスカヤ村では、定められた食料徴発に応じれなかったことを理由に、ソ連当局の軍隊が介入し、武器を持たず無抵抗な村の住民が丸ごと追い立てられます。
そして、男性はバルト海の運河建設の現場へ、女性はウラルのステップ地帯に送られました。
それまで支え合ってきた家族は、完全に離散です。
そして運河建設で、男たちは年齢や体力、栄養状態に一切かかわりなく、休みのない重労働を強いられ、ほぼ全員が死亡。
女性が送られたウラルのステップ地帯というのは、要するに、中央アジアの砂漠地帯です。
農作物どころか、草木一本生えてない。
そこで女たちだけで農業を営み、税を納めろと、やられた。
全員死んでしまったので、記録には何も残っていないけれど、女たちが逃げないよう、そこには軍が派遣されています。
大東亜戦争の末期、いきなり参戦してきたソ連兵が、満洲の日本人女性たちに何をしたのかを思い返すまでもなく、そこで女たちがどのような目に遭い、どのように殺されていったか、誰もが簡単に想像がつくことだろうと思います。
民衆への達成不可能な過度で強硬なノルマは、結果としてウクライナの多くの農民たちの労働意欲を削ぎ、減産を招きます。
そしてその結果、徴発分を提出すると、農民たちには何も食料が残らくなります。
さらに現場を知らないソビエト政府当局によって、数々の条例が制定されます。
農産物は全て人民に属するものとされ、農作物の換金や、(政治的)ノルマの不達成、落ち穂拾ったり、穂を刈るという農民としては「あたりまえ」の行為さえも、「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑を課せられるようになります。
さらに農民の逃散を防ぐため、ソ連政府は、昭和7年末には、国内パスポート制を施行します。
農民達は土地に完全にしばりつけられ、ついにはウクライナの国境も封鎖される。
都市から派遣された党メンバーであるオルグ団は、空中パトロールと称して空から農民たちを監視し、農場にはコムソモールのメンバーが見張りに送り込まれる。
肉親を告発すれば、子供にも食物や衣類やメダルが与えられる。
党の活動家が各家を回り、食卓から焼いたパンやおかずの食べ物を勝手に持っていく。
食料を没収された農民たちはジャガイモで飢えをしのぎ、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサまで食べて余命をつなぎます。
そして遂には、病死した馬や人間の死体までも掘り起こして食べるようになり、その結果多くの人が病死する。
食べるものがなく、小さな赤ん坊を食べたともいわれています。
通りには死体が転がり、その死体がそこここに山積みされ、村には死臭が漂った。

この惨状に、都市部から送り込まれた共産党員さえも、なんだかんだと理屈をつけて、逃げ帰る者も多かったといいます。
そして子を持つ親は、誘拐を恐れて子供達を戸外へ出さなくなった。
なぜかというと、誘拐された子は、殺されて食べられてしまうからです。
この頃のソビエトは、5ヵ年計画の大成功を世界中に宣伝していた頃です。
これは以前書いたことだけれど、当時のソ連は、社会・共産主義革命により、すべての財産が国営化され、人々は、最小の労働力で最大の経済的成果をあげ、人民はみな幸福な理想国家が建設されていると世界中に宣伝していました。
なるほど都市部のインフラは次々整備され、豪奢で立派な建築物が立ち並んだ。
けれども、そうした建築物は、満洲から摘発した日本人抑留者と日本が満洲で建設した工場や建造物を、日本人労働力ごとまるごとソ連に持ち帰ってそこで無給と過酷な条件での強制労働によって築造したものにほかならなかったし、国家繁栄の根本たる農業は、ウクライナの農民から、絞れるだけ絞り取った結果のものでしかなかったのです。
そして世界から外交的承認を得ようとしていたソ連は、ウクライナの飢饉を、世界に見せるわけにはいかなかった。つまり、実際に起こっている事実を、政治的に「なかった」ことにしていた。
当時ソ連に招かれていたバーナード・ショウやH・G・ウェルズ、ニューヨーク・タイムズ記者のウォルター・デュランティ等は、「模範的な運営が成されている農村」だけを見せられ、当局の望み通りの視察報告を行っただけで、素晴らしいソ連の成果を信じこまされていた。
洩れ伝わるウクライナの惨状に対し、国際連盟や国際赤十字は、ウクライナ飢饉に手を打つようソ連政府に何度も要請を行うけれど、ソ連政府は頑として「飢饉は存在しない」とこれを突っぱね、「存在しない飢饉への救済は不要」という一点張りだったのです。
結局、昭和7(1932)年から翌年にかけて、ウクライナでは六百~七百万人の餓死者が出ます。
左にやせ衰えて生気の失せた子供が見えます

この時期のソ連は、ちょうどレーニンからスターリンに書記長が変わったばかりの頃です。
この頃のスターリンは、ソ連の工業化を強硬に推進していますが、そのためには、西側から重工業機械や専門知識を次々と導入しています。
そしてそうした設備や人材投資のための資金は、穀物輸出に頼るしかなかった。
ソ連の食料の輸出高は、1928年に5万トン、1929年には65万トン、1930年には242万トン、飢饉に入った1931年には259万トンと増え続けています。
そしてこの間に、ソ連国内の食糧生産高は、ほぼ12%下がっている。
生産高が下っているのに、輸出高が50倍以上に膨れ上がっているのです。
要するにスターリンは、重工業化の推進のために、ウクライナの農民700万人が餓死するのを、政治的に見殺しにした。
それが、政治主導、政治大国の社会主義、共産主義の正体そのものなのです。
ちなみに、ソ連の食糧輸出は、ソ連が所期の目的を達成した1932年には90万トンに減っている。いっきに7割も輸出が減っている。
ソ連から食料を買い付けしていた各国の企業は、いきなり食料を売ってくれなくなったソ連に、目を丸くします。
しかし、そもそもそういう企業は、ソ連などという社会・共産主義国家と、まっとうな取引ができると思ったこと自体が、大きな間違いなのです。
ちなみにソ連は、1931年から1933年にかけて、700万人もの餓死者を見殺しにしながら、同地区の政府管轄の倉庫の中には供給可能な在庫食料が眠っていました。
その量はもちろん充分とはいえかもしれないけれど、計算してみればわかることだけれど、わずか十万トンの穀物さえあれば年頭から7月末まで100万人が死なずにすんだのです。
東欧の農場というものは、もともとは富農(クラーク)と、農奴によって構成されています。
これは日本の農家も同じで、江戸時代に年貢の納税義務を負っていたのは、土地持ちの自営農家です。
そして多くの小作農たちは、農家から土地を借りて農業をしていた。
おもしろいことに、土地を持たない小作農は、結構武家がやっていたりしています。
つまり江戸日本における年貢を納める農民というのは、今風にいえば、農場の経営者です。
このことは宮崎県川南町の畜産農家も同じで、川南では、岩手県に本社のある安愚楽牧場というところが、牛や豚を飼っている。
そして近隣の畜産農家は、安愚楽牧場から牛や豚を借りて育成しています。
スターリンは、こうした農場を経営する農民(クラーク)を、ブルジョアとして抹殺にかかります。
つまり、農場の経営をしている農民を抹殺し、農地は小作農たちのものだよ、この土地は君達のものだよ、とおいしいことを言った。
そして農場主であるクラークと、ウクライナの民族主義者、インテリ、共産主義への反対者など、スターリンの権力にとって邪魔だと思われる人々を、誰でもクラークである(ブルジョア主義者である)として抹殺にかかります。
おかげで、教養あるエリート、何百人もの作家、学者、政治闘争を行う民族主義者たちが、暴行され、収容され、殺された。
独立ウクライナ教会の関係者も弾圧した。
結果、百万人のウクライナ人が粛清され、1千万人がシベリアのタイガでの森林伐採、極寒地での白海運河建設の為に連れ去られています。
いままで土地を持たなかった農奴にしてみれば、自分たちの親方が逮捕され、親方の土地が自分たちのモノとして分配されれば・・・・つまりばら撒き政治に、はじめのうちは大喜びします。子ども手当みたいなものです。
しかし、その農場主がいなくなったあとどうなったかといえば、絶対に達成できない(政治的)ノルマを課せられ、結局は、はじめに協力的だった農奴自身が、飢え死にする被害を招いている。
一方この頃のアメリカがどうだったかというと、1929年の大恐慌の勅語です。国内は不況にあえぎ、町には失業者があふれていた。
そしてその不況を打破するために、新しく生まれたソ連という巨大な人口を擁する大国に、巨大市場の夢を抱きます。
日本は古来、人々の幸せこそ国家の幸せであると願い、人種の平等と人々の幸せを念じ、正義と公正を図る国家です。
しかし、日本は所詮はイエローでしかない。
しかも正義と道義を重んじるとはいっても、所詮日本は小国であり、人口も少ない。
アメリカは、自国の経済を復活させるためには、ソ連と結び、協調する他ない、という判断にたった。
イエローはヒトではないのです。
いまにしてみれば、これは大きな間違いであったことは誰にでもわかります。
戦争でもなく、備蓄食料がありながら、自国民を700万人も餓死させ、1千万人を強制収容して過酷なただ働きを強要するような非人道的国家こそ、牽制すべき対象であり、道義国家日本をこそ、味方にすべきなのは、現代人からみれば、自明の理です。
しかし、目先の欲の前には、人はアキメクラになる。
いまでもそうです。
中共という悪徳ウソツキ国家に、大国アメリカが媚びへつらう。
時代が下って、1980年代。ウクライナの飢饉から50年後です。
飢饉の頃、西側諸国に在住していた300万のウクライナ人たちは、かつての民族虐殺を忘れまいと、行動を起こします。
これに対して、当時まだ健在だったソ連当局が示した回答は、
「ヒトラーの手先となって、戦後西側へ亡命したウクライナ人達による100%偽証言である」という全面否認でした。
そしてソ連解体後のロシア政府も、この問題については、前の政権のしたこと、として何も謝罪していません。
多数の人に地獄の苦しみを味あわせ、多くの人命を、この世の地獄のような姿で奪っても、口を拭って知らん顔をする。それが政治主導であり、社会主義者、共産主義者の、真実の姿です。
それは、中共のウイグルやチベット、法輪功弾圧、昨今の日本における口蹄疫でも、まったく同じです。
極道よりも性質が悪い。
どんな政治であれ、どんな人であれ、何を言っているかではなく、何をやっているかが重要です。
そしてオオカミは、手におしろいをつけてやってくる(赤ずきんちゃん)のです。
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