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政府認定17名
政府認定17名

みなさん、いつもご訪問、ありがとうございます。
皆様からのコメントも、毎日楽しく拝見させていただいています。
その中で、昨日19時35分に「きちん」さんからご投稿いただいたデビ夫人の北朝鮮探訪記は、まさに驚天動地、吃驚仰天、抱腹絶倒、奇想天外、開いた口がふさがらないというか、あきれ果ててものも言えなくなりました。
件の記事は、デビ夫人自身のブログ「デヴィの独り言、独断と偏見」の、4月18日の記事です。
題名は「北朝鮮の旅、 大いなる収穫」
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10511006071.html
要するに、ブログに本人が書いた「デビ夫人の北朝鮮探訪記」です。
いやはや、その内容たるや、呆れ果ててものも言えない。
内容は、↑のURLをクリックいただいたら読めますので、ご自身でご確認になってください。
まさに、呆れる内容です。
中学一年生(13歳)で拉致された横田めぐみさんは、昭和52(1977)年11月15日の夕方、新潟市内の中学からバドミントンの部活を終えて帰宅する途中で拉致されました。
お母さんの早紀江さんは、突然帰ってこなくなっためぐみさんについて、警察へも通報した。
そして、約20年間、ずっと拉致と知らず、行方不明になった娘を探して、全国の警察から身元不明の遺体の連絡があるたびに、もしかしたら、と現地の警察まで出かけたりされていたそうです。
北朝鮮による拉致だとわかったのが、平成9年1月。
元北朝鮮の亡命工作員が、「中学校一年生の少女拉致」があったと証言したことから、ようやく、その少女が横田めぐみさんだと判明したのです。
20年です。
その間、ずっと「行方不明」と思わされてきた。
判明した月の23日、この問題について、西村真悟先生が政府に質問書を提出し、さらに2月3日の予算委員会で、当時の橋本内閣総理大臣を厳しく追及。
政府に、事実関係の調査を迫ります。
この結果、平成9年5月1日の参議院決算委員会で、政府は、北朝鮮による拉致事件としての認定を明らかにする。
当初、横田早紀江さんが、外務省にめぐみさんの連れ戻しを依頼にいったとき、時の外相のお役人は、「横田さん、いまの日本には、北朝鮮との国交がないのです。連れ戻すのには、あと10年はかかりますよ」と言われた。
あれから、13年。いまだ拉致問題は霧の中です。
そもそも、北朝鮮による組織的な拉致というのは、昭和51(1976)年に金正日が出した「工作員現地化教育のための教官拉致」指令にはじまります。
この指令によって、日本、韓国をはじめ、諸外国から大量な拉致が組織的に行なわれました。
金正日は、父親である金日成の亡き後も、対南工作として、「工作員の現地化教育を徹底して行え、そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」と拉致指令を下しました。
そしてめぐみさんが拉致された年である昭和52(1977)年から昭和53(1978)年にかけて、工作員の教官にするための外国人拉致が、世界規模で集中して行われています。
北朝鮮によるこのときの拉致は、日本、韓国だけでなく、China、(マカオ)、タイ、レバノン、ルーマニア、シンガポール、マレーシア、ヨルダン、フランス、イタリア、オランダなど、はっきりわかっているだけでも12か国にのぼる。
そのうち、日本人拉致被害者については、北朝鮮も拉致を認めているのが、横田めぐみさん、市川修一さん、増元るみ子さん、田口八重子さん、有本恵子さん、石岡亨さん、松本薫さん、蓮池薫さん、奥土祐木子さん、地村保志さん、浜本冨貴恵さん、曽我ひとみさんの、計13名。
日本政府が拉致と認定し、北朝鮮がそれと認めていない者が、2名。
他に明らかに拉致と思われる被害者が、6名。
さらに、平成15(2003)年に公表された拉致と思われる特定失踪者が190名。
悪いけれど、そのひとりひとりに、横田めぐみさん親子のような長年にわたる苦しみがあるのです。
それを、いかなる理由があるかはわからないけれど、嘘八百を並べ立て、北朝鮮をむしろ正当化し、返す刀で日本を貶める発言を、たとえブログ上とはいえ、行うとは。
まったくもって、許されざる蛮行といわざるを得ないと思います。
これは、大罪にあたる所業だと思うのですが、みなさん、いかがでしょうか。
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めぐみ 1/3

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