
日心会MLに、非常に大切と思われる投稿がありましたので、ご紹介します。
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【元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心】
2010/04/01 19:41 MLNo.11543
元来日本の文化とは窮屈なものです。
常に人目を気にして、人目が無くとも「お天道様」を気にして、草葉の陰で見守ってくれてるご先祖様を気にして、自分で自身を律することを求められるのが日本の文化です。
また、単に自身の基準で自身を律するだけでなく、周りの人への配慮という形で、周りの人の基準でも自身を律することが求められるのが日本の文化です。
更には場に拠っての基準というものもあります。
それにも合わせねばなりません。
自分の思うように自由気ままに振舞うことは許されません。
かなり窮屈です。
日本の文化とはそういう窮屈なものです。
ですが、そうして個々が自身を律するようにすると、その社会の中の個々人には平穏がもたらされます。
傍若無人に振舞う者に煩わされずに済みます。
迷惑をこうむることもないし、揉めてしまうリスクを犯して注意したりもせずに済みます。
それぞれが自分で自身を律してるのですから、その人達が悪いことをする心配は少なく、つまりは信用出来ます。
結果、余計な事に煩わされず、自分の仕事に専念出来ます。
気を抜いて遊んだり休めたりします。
安心して日々を過すことが出来ます。
そういう社会になります。
窮屈な日本の文化で作られた日本の社会は、安心して暮らせる相互信頼社会となるのです。
窮屈だけど安心。それが本来の日本の社会です。
この“窮屈”ですが、ここで求められてるのは基本的には「悪いことをしない」です。
盗まない・騙さない・暴力振るわない等々。
日本文化の場合、これにプラスして「身勝手な振舞いをしない」が入ります。
「自分勝手なことをしない」です。
「周りのことを考えろ」です。
これを当然と感じる人は、日本文化を窮屈と感じない人です。
この人にとって窮屈だけど安心な日本の社会は、単なる安心な社会です。
人に合わせるのは嫌だと言ってこれを鬱陶しく感じる人は、日本文化を窮屈と感じる人です。
この人にとって窮屈だけど安心な日本の社会は、窮屈で面白くない社会です。
あと、合わせ方がわからないという人も日本文化を窮屈と感じる人です。
どうしていいかわからず、何やっても怒られるような気がして、何も出来なくて、窮屈だと感じます。
この人にとっても日本の社会は、窮屈で面白くない社会です。
「窮屈だけど安心」の“窮屈”とはこういうものです。
私はこの程度の窮屈さは当然と考えます。
そして、窮屈だけど安心な社会をもたらす日本文化を復権させたいと考えています。
求められてる自制は「悪いことをしない」と「自分勝手なことをしない」です。
それ以外の事柄まで抑え込むことを求めてるわけではありません。
一風変わった趣味を持ってるとか風変わりなことに熱中してるとかなんてのは全然構いません。
誰もそんなもんの自制求めません。
親が勉強しろと言ったり、家族が父ちゃん仕事してとか言うのは別ですが。
MLNo.11546 2010/04/01 20:40
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私の中では「空気読めない子供」=「他人に思いやりを向けられない子供」という図式が成り立っています。
10年前よりも、本当に空気が読めない子供が多くなっています。
自分勝手に何でもふるまう「わがまま」ではなく、他人に思いやりを向けようとしない子供(相手に配慮する事が分かっていない子供)が増えています。
これは実感としてあります。
原因は色々とあるとは思いますが、大きな要素として「親が絵本を読んであげる。」が「ビデオやDVDを見せる。」に代わってしまったからだと考えています。
幼少期、私は絵本を読んでもらうのが楽しみでした。ですが、親は仕事や家事があり、いつでも読んでくれる訳ではありません。
忙しいからと断られる事もあります。
ですから、私は知らず知らずのうちに、親の顔色をうかがいながら、「今なら大丈夫。」というタイミングを待っていました。
それに対して、今の時代であれば、ビデオやDVDが絵本の代わりとなっています。
楽しむ子供からすれば同じなのですが、このビデオやDVDは教育と言う観点から言うと、少し恐ろしいものです。
なぜなら、子供は楽しみをいつでも得る事ができます。
親の顔色をうかがう必要もなければ、タイミングを待つ必要もありません。
幼少期に、他の人(親)の様子を見る事を覚え、我慢につながる「待つ」を訓練された子供と、親の動向を考える事もなく楽しみを得て、好きな事をすぐに実施できる子供のどちらの方が、空気を読み、周囲に対して思いやりを発揮できるのかは、簡単に想像できると思います。
決して悪い子ではないのですが、空気が読めない(他人を思いやれない)子供が増えています。
私は空気を読んだ上で、それでも自分の信念を貫こうとする子供が増えていってもらいたいと思います。
思いやりを無くさない強さを持つ事が重要だと思います。
そういった点で、空気を読むというフレーズはあまり好きではありませんが、空気を読む力は大切なものだと感じます。
MLNo.11547 2010/04/01 20:43
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私もそう思います。
日本人はそうやって暮らしやすい、安全な社会を築き上げてきました。
MLNo.11553 2010/04/01 22:19
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大筋賛成です。
日本の伝統的社会の分析と現在の問題点の分析に関して正しいと思います。
そして、向き合う姿勢としても賛成です。
その、「悪いことをしない」と「自分勝手なことをしない」、の、『悪いこと』と『自分勝手なこと』の基準に多少の個人差は認めるべきだと思います。
何が言いたいかと言うと、例えば盗みや暴力などはわかりやすいのですが、この場のようにネット上での発言などでは『悪い』と『自分勝手』の基準に多少の個人差があると思うからです。
その線引きは難しいのですが、明らかに問題だと思われる発言に対しては放任せず注意が必要だと思いますし、悪質なものに対しては毅然と戦うことも必要だと思います。
そして常に我が身に鑑みて見直す姿勢が必要だとも思います。
これは自分自身に言ってる言葉でもあります。
日本の伝統的社会の分析と現在の問題の考察、正しいと思います。
大事なところだと思います。
MLNo.11554 Segoさん 2010/04/01 22:35 [削除する][メール表示する]
こんにちは
私が一番共感したのは、ミリアさんの意見の中の↓の部分です
>空気を読んだ上で、それでも自分の信念を貫こうとする
「敢えて空気を読まない」・・・という、勇気というか意志の強さを合わせ持つことも、場合によっては、一番大切なことだと思っています
空気を読むことも大切
敢えて空気を読まず、信念を貫くことの方が大切な場合もある
その判断をしっかりと出来るかが、とても難しいですね^^
MLNo.11555 2010/04/02 00:35
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日本の文化において基準は人々の意識の変化で揺れ動くものだと考えています。
皆が、これぐらいなら良いと言えばその方向に基準は動きます。
皆が、これは良くないと言えばその方向に基準は動きます。
少数が、これぐらいは良いだろうと言っても、大多数がそれに反対すれば基準は動きません。
でも反対してる大多数から寝返る者が出てくればその分だけ基準は動きます。
大勢が少数の意見を聞いて少し基準を修正すれば、少しそちらに基準が動きます。
大勢とまったく相反する意見を少数が訴えたとして、皆から叩かれ続けた少数が挫けず訴え、それに賛同する者が徐々に増え、最終的に多くがそれを支持するようになると、基準が真反対に覆ったりもします。これが絶対的な価値基準を持たない日本の基準です。
常に微調整がされ、時に大きく動きもする、どの方向にも極端でない中間部分での微妙な基準。
それが日本文化における基準のあり方。そう私は考えています。
そして、絶対的な価値基準を持たないからこそ可能なこの基準の調整に日本文化の価値を見出しています。
より良い基準を求めて試行錯誤し続け、変わり続けた二千有余年の日本文化の今を引き継ぎ、調整を行い、次の世代に更なる改善を委ねる。私が日本文化に感じてるロマンです。
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わたしたち日本人は、戦後ずっと「戦前の否定」をしてきたような気がします。
戦前=軍国主義=しがらみ等々
しかし、それらの対極として示された平和、自由、平等という戦後の概念は、結果として売国、反日、自己中、利益供与のいきすぎとなって表れているような気がします。
すくなくとも、ひとりひとりの日本人が、自らを律し、清く正しく生きることが普通であった戦前の方が、日本人は、現代日本人よりもはるかに礼儀正しく、凛々しかった。
これは否定できない事実であろうかと思います。
もっといえば、昨今の日本人のコリアン化、Chinese化は著しい。
これは恥ずべき事態です。
考えてみると、戦後の日本が高度成長を遂げ、戦後の焼け野原から、わずか40年で、世界第二位の経済大国にまでなった。
そういう世の中を築いてくれたのは、戦前の教育を受けた人たちではなかったのか。
戦後生まれのわたしたちの世代は、若い頃は駆け出しのビジネスマンとして、そうした戦前の教育を受けてきた人たちの下働きをし、年月がたって、戦後生まれ世代が、はじめて世の中の中心となったときにやったのは、バブル経済です。
戦前生まれの人たちが、汗を流して築いた日本の富を、ひたすらマネーゲームに興じたあげく、バブルを崩壊させ、日本経済を窮地に追いやった。
そして、戦後教育を受けた世代が、完全に世の中の本流、中心となって以降、日本の経済は、まったく発展せず、平成以降、世界各国が経済を成長させる中で、日本経済は、ずっと横這い・・・どころか昨今では低下をはじめています。
ひとりあたりのGDPでは、
IMFの計算では、日本は23位。
CIAの計算では、日本は25位。
マカオにさえ及びません。
より生活実感に近い購買力平価に基づくひとりあたりGDPでは、
IMFの計算では、日本は24位。
CIAの計算では、日本は27位。
(出典:
ものの見事な凋落ぶりです。
現代人の戦前の日本のイメージといえば、戦争、軍国主義、天皇礼賛、貧困、因習などなど、ろくなものはないというのが通り相場ですが、そのふるい日本が、わずか13年で満洲を東洋のパリと呼ばれるほどの街にし、台湾や朝鮮の見事な近代化を実現しています。
戦後日本は、周辺国への投資負担がない分、国力のすべてを国内投資に向けることができ、おかげで、昭和27年にGHQの支配から抜け出た日本は、昭和31年には、「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれるほどの復興を遂げ、昭和39年には東京オリンピックを招へいしています。
いまにしておもえば、すさまじいとしかいいようのない復興力です。
そしてそういう力の源泉は、もとをたどせば、戦前の教育にあり、また、日本的大家族主義にあったといえるのではないか。
わたしたちは、戦前の価値観や教育、体制を、いまあらためて再認識しなおすべきときにきている。そんなふうに思います。
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