
あさって、4月3日は、推古12(604)年に、聖徳太子が十七条憲法を制定した日です。
その聖徳太子ですが、最近の歴史教科書では「聖徳太子」の名前が消えているのをご存知でしょうか。
聖徳太子ではなくて、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と記載しているのです。
なぜかというと、聖徳太子という名は平安時代から広く用いられた一般的な呼称であって、要するに「後世につけられた尊称(追号)」であるという理由から。
なるほど古事記には聖徳太子は「上宮之厩戸豊聡耳命」と書かれているし、日本書紀では厩戸皇子、豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王などと書かれている。
しかし平安時代に書かれた日本三代実録、大鏡、東大寺要録、水鏡などの史書には、いずれも「聖徳太子」と記載されていて、厩戸、豐聰耳などの記載はなく、すくなくとも平安期以降は、聖徳太子は「聖徳太子」と呼ばれていたことが、文献等でちゃんと確認できている。
一方で、厩戸皇子という記述は、こちらも太子の没後長い年月を経過してから付けられた名であり、聖徳太子生存中に、いかなる名であったかというのは、現時点でははっきりとわかっていないというのが実際のところです。
厩戸皇子も、馬小屋出産説、蘇我馬子の家で出産したから馬子屋敷転じて厩戸(うまやど)と付けられたという説、生誕地とされるあたりに厩戸(うまやと)という地名があからという説等、近代以降の学者たちが喧々諤々論争している諸説の中のひとつであって、現時点ではこれが「正しい」とされるものは何もない。
実際のところ聖徳太子のご存命中のお名前ははっきりとはわかっていないわけで、厩戸皇子にしても、聖徳太子にしても、それは後世に付けられた呼び名です。
であるならば、平安時代以降、ずっと用いられ続けてきた「聖徳太子」と呼ぶのが普通で、平安前期には、最早使用されなくなった厩戸皇子という名に、いまの私たちがあえて呼び変える理由はどこにもない。
それなのにどうして教科書の記述をあえて「厩戸皇子」に変えたのか、誰がどう考えても疑問といえるのではないでしょうか。
加えて、聖徳太子に関して、後世の我々がもっとも学ばなければならないことは、太子の名前がどうだったとかいうことではない。
摂政に就任した聖徳太子が、小野妹子に持たせた国書で、正々堂々「日出るところの天子、日没するところの天子に告ぐ」と、我が国を主張したこと。
あるいは十七条憲法を制定したこと。
そしてその両方に、我が国国体に関する精神の非常に大きな要素がしっかりと息づいているいることのほうが、はるかに大切な事柄なのだと思います。
十七条憲法についても、これを太子が制定したとすることには、諸説あります。
なかには、十七条憲法は、聖徳太子の制定ではない、などという説もある。
しかし、推古12年に、なんらかの「憲法」が公布されたことは、史書に残る史実です。約100年後の養老4(720)年には、日本書紀で、その十七カ条憲法の全文が公開されている。
歴史を学ぶというのは、たとえば「ビクトリア王朝が、<正しく>はヴィクトリア王朝である」なんてことは、はっきりいって、「どうでもいいこと」で、正しくはVictorian era であり、それをカタカナでどう書くかが問題なのではない。
少なくともそれが「書かれた」という事実は、誰も否定はできない事実です。
否定のしようがない。
なにせ、ちゃんと文字になって残っている。
ならば、なぜその文字になって残っている(明確な証拠のある)十七条憲法の全文を教えようとしないのか。
たとえば、十七条憲法の一には、「和をもって貴(とうと)しとなす」という一文があります。
しかし、相当詳しい本をあたっても、「一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たふと)しと為し(なし)、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、(略)」などというように、後半を「略」としている。
大切なのは、実は、この後半なのです。
原文は、こうです。
一曰 以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成
【口語訳】
第一条 和をもって貴(とうと)しと成し、忤(さから)う事なきを宗(むね)とせよ。
(※「忤」という漢字は<さからう>と読みます。語源は「呪道具の“杵(きね)”で、これをつかって悪霊から身を護る。転じて邪悪なものに拮抗し抵抗することから、“逆らう”という意味の言葉になっています)
人みな党あり。
また、達(さと)れる者少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に従わず。
また隣里に違(たが)う。
しかれども、上和(かみやわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざん。
要するに後半にあるのは、
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人は派閥やグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。
だから君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかなくなったりする。
上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議しなさい。
そうるれば、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)する。
~~~~~~~~~~~~
と書いてある。
つまり、要約すれば、議論というものは、偏狭なドグマにとらわれるのではなく、陛下を尊崇し、父祖を敬い、互譲と感謝の心をもってするものです、と書いている。
単に「和をもって」仲良くしなさいではないのです。
ここが大事なところなのだろうと思うのです。
しつこいようですが、前段だけだと、「和が大事だ、逆らうな」とも読める。
しかし最後まで読めば、「君主や父祖を敬い」、「感謝と互いの信頼の心を大切にせよ」と書いてある。
だから「忤(さから)う事なかれ」なんです。
「逆らう」ではない。
「忤う」は、呪詛し、抵抗することです。互いを呪い、抗戦する。
まるで、おとなりの国の民族です。
「恨」こそが文化だと自慢している。
おとなりの国は、まさにそこからしてダメなんです。
そしてこういうことのほうが、聖徳太子か厩戸皇子か、十七条憲法は誰が書いたかなんていうマニアックな議論よりもはるかに、大切なことです。
教科書を書くということは、書く学者たちの学説の「対立」を子供たちに押し付けることではありません。
子供たちに明るい未来の建設と、それができる能力を身につけさせることが大事です。
その意味で、いまどきの教科書は、目的と手段を取り違えている。
せっかくなので、十七条憲法の前文を以下に記します。
まさに十七条憲法は、日本の心の原点です。
現代語訳のところだけでも、さらっと目を通していただいたらわかるけれど、1300年以上も前に書かれたものでありながら、現代にもそのまま通用することばかりです。
ちなみに、十七条憲法は、現在にいたるまで、日本史上、執行の停止を決議されたことはありません。
つまり、日本国憲法以前の日本の成文憲法として、いまも立派に生きているといえる。
そしてそこには、「三に曰わく、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め」と書かれています。
日本は、「君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす」民族なのです。
【十七条憲法】(下線は、ねずきちです。)
原文、読み下し、現代語訳は、↓を転載させていただきました。
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第一条
【原文】
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
【読み下し】
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
【現代語訳】
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。
だから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。
しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
第二条
【原文】
二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
【読み下し】
二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。
三宝とは仏と法と僧となり。
則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。
何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。
人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。
【現代語訳】
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。
3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。
それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。
どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。
人で、はなはだしくわるい者は少ない。
よく教えるならば正道にしたがうものだ。
ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。
第三条
【原文】
三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
【読み下し】
三に曰わく、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。
君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす。
天覆(おお)い地載せて四時(しじ)順行し、万気(ばんき)通うことを得(う)。
地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。
ここをもって、君言(のたま)えば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。
ゆえに、詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。
【現代語訳】
三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。
かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。
それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。
そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。
上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。
ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。
謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。
第四条
【原文】
四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
【読み下し】
四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。
それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。
ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。
【現代語訳】
四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。
人民をおさめる基本は、かならず礼にある。
上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。
それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。
(上の下線のところなど、ポッポや汚沢に読み聞かせてあげたいところです)
第五条
【原文】
五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
【読み下し】
五に曰わく、餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。
それ百姓の訟(うったえ)、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)り、況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。
頃(このごろ)、訟を治むる者、利を得るを常となし、賄(まいない)を見て?(ことわり)を聴く。
すなわち、財あるものの訟は、石を水に投ぐるがごとく、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり。
ここをもって、貧しき民は則ち由(よ)る所を知らず。
臣の道またここに闕(か)く。
【現代語訳】
五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。
庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。
このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。
すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。
このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。
そうしたことは官吏としての道にそむくことである。
第六条
【原文】
六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
【読み下し】
六に曰わく、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。
ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。
それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則ち国家を覆(くつがえ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。
また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好んで下(しも)の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。
それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠なく、民(たみ)に仁(じん)なし。
これ大乱の本(もと)なり。
【現代語訳】
六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。
人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。
へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。
こびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。
これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。
これは国家の大きな乱れのもととなる。
第七条
【原文】
七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。奸者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
【読み下し】
七に曰わく、人各(おのおの)任有り。掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。
それ賢哲(けんてつ)官に任ずるときは、頌音(ほむるこえ)すなわち起こり、奸者(かんじゃ)官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。
世に生れながら知るもの少なし。
剋(よ)く念(おも)いて聖(ひじり)と作(な)る。
事(こと)大少となく、人を得て必ず治まり、時(とき)に急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。
これに因(よ)って、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危(あや)うきことなし。
故(ゆえ)に古(いにしえ)の聖王(せいおう)は、官のために人を求め、人のために官を求めず。
【現代語訳】
七にいう。人にはそれぞれの任務がある。
職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。
賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。
よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。
世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。
事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。
時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。
これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。
だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。
第八条
【原文】
八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
【読み下し】
八に曰わく、群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退け。公事?(もろ)きことなし、終日にも尽しがたし。
ここをもって、遅く朝れば急なるに逮(およ)ばず。早く退けば事(こと)尽さず。
【現代語訳】
八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。
公務はうかうかできないものだ。
一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。
したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。
第九条
【原文】
九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
【読み下し】
九に曰わく、信はこれ義の本(もと)なり。
事毎(ことごと)に信あれ。
それ善悪成敗はかならず信にあり。
群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。
【現代語訳】
九にいう。真心は人の道の根本である。
何事にも真心がなければいけない。
事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。
官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。
群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。
第十条
【原文】
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
【読み下し】
十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。
彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。
われ是とすれば則ち彼は非とす。
われ必ず聖なるにあらず。
彼必ず愚なるにあらず。
共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。
是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。
相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。
ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。
【現代語訳】
十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。
相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。
自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。
皆ともに凡人なのだ。
そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。
おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは耳輪には端がないようなものだ。
こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。
自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。
第十一条
【原文】
十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
【読み下し】
十一に曰わく、功過(こうか)を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。
このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず、事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。
【現代語訳】
十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。
近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。
指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。
第十二条
【原文】
十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
【読み下し】
十二に曰わく、国司(こくし)国造(こくぞう)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。
国に二君なく、民(たみ)に両主なし。
率土(そつど)の兆民(ちょうみん)は、王をもって主(あるじ)となす。
任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。
何ぞ公(おおやけ)とともに百姓に賦斂(ふれん)せんや。
【現代語訳】
十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。
国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。
国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。
役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。
どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。
第十三条
【原文】
十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
【読み下し】
十三に曰わく、もろもろの官に任ずる者同じく職掌(しょくしょう)を知れ。
あるいは病(やまい)し、あるいは使(つかい)して、事を闕(か)くことあらん。
しかれども、知ること得(う)るの日には、和すること曽(かつ)てより識(し)れるが如くせよ。
それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐることなかれ。
【現代語訳】
十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。
病気や出張などで職務にいない場合もあろう。
しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。
第十四条
【原文】
十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
【読み下し】
十四に曰わく、群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。
嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。
ゆえに、智(ち)おのれに勝(まさ)るときは則ち悦(よろこ)ばず、才おのれに優(まさ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。
ここをもって、五百(いおとせ)にしていまし賢に遇うとも、千載(せんざい)にしてもってひとりの聖(ひじり)を待つこと難(かた)し。
それ賢聖を得ざれば、何をもってか国を治めん。
【現代語訳】
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。
自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。
嫉妬の憂いははてしない。
それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。
それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。
聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。
第十五条
【原文】
十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
【読み下し】
十五に曰わく、私に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。
およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。同らざれば則ち私をもって公を妨ぐ。
憾(うらみ)起こるときは則ち制に違(たが)い法を害(そこな)う。
故に、初めの章に云(い)わく、上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。
【現代語訳】
十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。
およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。
恨みがあれば、かならず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。
恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。
第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。
第十六条
【原文】
十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
【読み下し】
十六に曰わく、民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。
故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節(とき)なり。
民を使うべからず。
それ農(たつく)らざれば何をか食(くら)わん。
桑(くわ)とらざれば何をか服(き)ん。
【現代語訳】
十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。
だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。
春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。
人民を使役してはいけない。
人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。
養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。
第十七条
【原文】
十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
【読み下し】
十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。
必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。
必ずしも衆とすべからず。
ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。
【現代語訳】
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。
かならずみんなで論議して判断しなさい。
ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。
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歴史学者は、学者というだけに、きっと頭の良い知識の豊富な人たちなのだろうと思います。
しかし、学者とは「学ぶ」「者」と書きます。
学ぶ者である以上、歴史から謙虚にいろいろなことを教えていただくという感謝の心がないなら、最早「学者」としての値打ちはない。
「保守」の対語は「革新」だそうだけれど、父祖先祖に対する感謝の心を忘れた「革新」は、最早「革新」の名に値しません。
名に値しない自称「革新系学者」が、偏狭な政治的イデオロギーで故意に歴史をねじまげて、生徒たちに伝えるべきことを伝えないのであれば、それは最早教育ですらない。単なる洗脳工作であり、我が国の歴史と伝統と文化に対する破壊活動です。
とするならば、反日左翼系の学者や、そうした者たちの書いた教科書をありがたがる日教組などの反日組織は、日本社会を破壊に導こうとする破壊工作員です。
破壊工作員なら、反日系学者や日教組などは、教員免許剥奪のうえ、破壊活動防止法によって逮捕、拘留、公職追放にすべきです。
最早日本は、大手術を要するところまできていると思います。
日本人は、聖徳太子の十七条憲法の精神を思い返せと思った方、
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