
中国といえば、四千年の歴史という言葉がすぐに修飾語として浮かんでくるほど、いまどきの日本人は洗脳されているといえます。
しかし、中国は、四千年どころか、かなりその歴史は疑わしいものと断じざるを得ない、というのが今日のお話です。
平成12(2000)年のことです。
東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。
調査の対象となったのは、
1、約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨
3 現代の臨シ住民
です。
これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。
どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い。
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。
現代の臨シ住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらない。
つまり、2500年前のChina大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった、すなわり、いまのChineseたちとは、まるで異なる集団であったということです。
言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、Chinaでは大きな遺伝的変化が生じた、つまり、China大陸では、大規模な人類の移動があったということです。
そもそも中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っています。
たまたま文字が漢字であるため、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえるけれど、語族として考えたら、日本語と中国語よりもはるかにChina語は、ヨーロッパ系言語に近い。
しかも、ひとくちに中国語といっても、Chinaは広大な大陸です。
さまざまな方言があり、外国語並みにたがいに言葉が通じない。
文法や語順、あるいは基本的名詞に至るまで、まったく違うものもあり、もはやその言語は、互いに別な言語というほうが、はるかに正しいです。
たとえば、我々が中国語口座を受けると、「声調」は「四声」と教わるけれど、これは北京語の話であり、広東語は九声、福建語は八声もある。
上海語と客家(ハッカ)語は六から七声です。
また、北京語には濁音がないけれど、南方語には、濁音が存在する(日本語の影響?)。
フランス語と、英語は、語順等は似ているけれど、母音の数がまるで異なります。当然、異なる言語とされている。国籍も別です。
Chinaにある諸方言を考えたら、これらをひとまとめに、同一言語であるとみる方が、むしろ異常です。

中国四千年の歴史なる言葉は、そもそもが、三皇五帝(さんこうごてい)なるChinaの神話伝説時代の帝王からきている言葉です。
三皇は神、五帝は聖人で、それらはChinaの伝説の時代である「夏」の時代(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)よりも古い時代の皇帝だというのだけれど、これも大載礼記、史記、戦国策、易経、礼記、淮南子、世経、三統経、資治通鑑外記などで、誰が皇帝であり、誰が帝王だったのかすら、全部言い分が異なっています。
炎帝(姜王)などは、礼記と准南子に登場するけれど、体が人間で、顔は牛だったというから、そもそも人類であったかどうかすら疑わしい。
要するに、これらは単なる神話とされ、いまでは、その実在は誰も認めていません。
三皇五帝のあとにくる「夏王朝」にしても、いまからちょうど四千年あたり前から470年続いき、その後「殷」に滅ぼされたとされているけれど、これも、その実在性がかなり疑わしいとされている。
結局Chinaで考古学的にはっきりとその存在が証明されているのは、「殷王朝」で、これは、紀元前17世紀頃から紀元前1046年の王朝です。遺跡もある。
そして遺跡があるおかげで、この時代の殷王朝を形成した人々が、いまの漢民族とは、まるで異なる遺伝子を持った別な民族であったということが立証されてしまっています。
時代が下って、西暦220年頃の三国志に登場する関羽とか張飛とかのを見ると、関羽は、髭(ひげ)の長い巨漢、張飛は、ずんぐりむっくりの巨漢です。
遺伝的特徴からしたら、髭(ひげ)の薄い漢民族の特徴というよりも、関羽あたりは北欧系のノルウェーの海賊(バルカン民族)の特徴をよく備えているし、張飛の遺伝的特徴も、漢民族的特徴はまったくなくて、どうみても、北欧系のドワーフです。
の遺伝的特徴そのものである

そしてこの時代の人骨からは、先に述べたとおり、明らかにヨーロッパ系の遺伝子を持った遺伝子・・・漢民族とは異なる遺伝子を持った人骨・・・が発見されています。
さらに時代をさかのぼると、Chinaの文明の始祖として、20世紀前半に黄河文明の仰韶(ヤンシャオ)遺跡が発掘されました。仰韶遺跡は、紀元前5000年から同3000年まで続いた文化です。
遺跡からは、彩文土器、竪穴住居、磨製石斧などが出土し、彼らが粟などの栽培や、豚や犬の飼育、鹿などの狩猟を行っていて、竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していたことは、明らかになっています。
しかし、そこで発見された彩陶土器は、西アジア、中央アジアから伝来したものです。
つまり、どうやら工具的にも、ここの文化を構築した人たちは、東洋系の人種ではなく、コーカソイド系の人たちだったようです。漢民族的特徴を示す物は、残念ながら発見されていません。

これに対し、黄河文明よりも、もっと古い遺跡として発見されたのが、長江文明です。
これは紀元前6000年~紀元前5000年ごろのもので、河姆渡(かぼと)遺跡などからは、大量の稲モミなどの稲作の痕跡と、高床式住宅、玉器や漆器が発見されています。
栽培されていた稲は、ジャポニカ種です。
どういうわけかジャポニカ米の原産地は、長江中流域などとされ、日本の稲作の起源が、Chinaの長江流域などと「決め付け」られているけれど、ジャポニカ種の米の栽培(稲作)に関しては、日本の岡山県の彦崎遺跡と朝寝鼻遺跡が縄文前期(紀元前6000年前)のものなどがあり、もしかすると成立年代的に、日本で始まった水田灌漑技術と、稲が、Chinaにわたって長江文明を形成した可能性も否定できません。
要するに、いまから約8000年前に、日本には稲作文化があり、7000年前には、Chinaの長江流域に、日本と同じ稲作を営む集団がいたということです。
そして、長江文明を営んでいた人骨は、明らかにモンゴロイド系の特徴を持っています。
そのモンゴロイド系の遺伝子を持つ長江文明を形成した人々は、その後西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイド系の人々によって滅ぼされてしまいます。
で、できたのが黄河文明です。
おそらくは、狩猟民族と農耕民族の違い、すなわち武器文化と非武器文化の違いで、武力に勝るコーカドイドが勝利した。
ただ、流れてきた人々よりも、農耕によって食を賄い、古くから住んでいた人々の方が、人口的には多かったであろうことが想像され、人口に勝るモンゴロイドが、軍事的政治的文化的には敗者となったけれど、結果として遺伝子的には黄河文明の人々をしのいだ。
それで漢民族が「黄色」になったとみることができます。
おもしろいのは、男から男に引き継がれるY遺伝子は、ほぼ完全に黄色人種の特徴を示すのに対し、女性から女性にだけ引き継がれるミトコンドリアの遺伝子には、コーカソイド系の特徴をそのまま残している、ということです。
つまり、戦い好きなコーカソイド系の男たちは、軍事的に結局は死に絶え、その遺伝子は女性から女性にのみ引き継がれた(ミトコンドリア遺伝子)という姿が見えてきます。
ふつうに考えればわかることですが、狩猟族というのは、獲物を追ってどこまででも遠くへ移動する。土地に定着する必要がないのです。
コーカソイドが、古代に日本に来たというお話もあります。
スサノオのヤマタのオロチ退治の伝説です。
古事記などでは、ヤマタのオロチは、八本の尾がある大蛇とされていますが、飛騨の阿礼家に伝わる伝承では、ヤマタのオロチは、八人のオロシャなのだそうで、おそらくは、漂流してきたコーカソイド系の男たちであったのであろうかと思われます。
彼らは、山に巣食って、村を襲い、村の娘たちを拉致していた。
そこをたまたま通りがかったスサノオが、オロシャ人に酒を飲ませて、酔いつぶれたところを退治した。
日本は、島国だったので、8人程度の移民で済んだのでしょうが、大陸ではそうはいきません。大挙して押し寄せて、村の娘たちや食糧を根こそぎ奪っていった。
で、出来たのが黄河文明だったと考えられるわけです。
いづれにしても、黄河文明を形成した人々と、いまのChineseたちとは、血統はどっかつながっていようかと思いますが、彼らが、中国四千年の歴史と称する歴史は、王朝が変わるたびに、ことごとく前王朝の民族抹殺、大量虐殺を繰り返してきたものであり、わるいけれど自慢できるような平和の歴史とはほど遠い。
さらにいえば、いまあるChina共産党の中華人民共和国などは、まさに中国共産党王朝ともいうべきものでしかありません。
なにせ、Chinaに十五億いる人々の中の、わずか7千万人の共産党員が、我が物顔にのさばり、党員以外の人々から酷い収奪をする。
中国人とひとくちに言っても、民族も様々、言語も様々、文化も様々。
要するにその中で、中国共産党という名称の「民族」が、設立わずか60年の絶対君主制の帝国主義王朝を築いているというのが、いまのChinaです。
ちなみに、中華人民共和国という国名のうち、「中華」と「国」以外は、全部日本語です。
そしてChinaの歴史は、民族同士が互いに殺戮しあい、生き残りのためには誰も信用することができず、民族浄化とホロコーストを続けてきた歴史です。
とてもじゃないが、四千年の歴史などと呼べるものではない。中国四千年の歴史というのは、Chinaの大地の中で、異民族同士が、互いに絶滅を賭して殺し合い、強姦しあい、騙しあってきた、殺戮と暴力の嘘と虚構の歴史です。
そしてその暴力と虚偽の歴史は、いまなお、法輪功の弾圧や、ウイグルの虐殺、旧満州の女真族に対する民族浄化と暴力で続けられている。
そんな地獄の亡者やゾンビの大軍の殺し合いのような国家にたいし、長く平和と愛情と和の精神を築きあげた日本が、自ら率先して「友愛」などしにいく必要など、さらさらないのです。
それは、まじめに生きてきた日本民族を、暴力団や極道よりもはるかにたちの悪い亡者の前に、進んで身を晒すようなものだからです。
もはやChinaを国家と認めるべからずと思う方、
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