
ギリシア神話というのは、古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説です。
紀元前15世紀頃に遡る物語で、口承されてきたもの(例:ホメロスの「イーリアス・、「オデュッセイア」など)を、紀元前8世紀の詩人ヘシオドスが体系化し、文字にしたといわれています。
世界が混沌としたカオスの時代からはじまり、オリンポス神々の逸話によって語られる世界は、子供のころ、童話などで読まれた記憶のある方も多いかと思います。
イメージ的には、とても甘美で美しく素敵な世界の物語、そう感じてらっしゃる方々も多いのではないかと思います。
以下は、そのギリシャ神話に出てくる記述の抜粋です。
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「大地の母神ガイアは、子のウラノスと交合して三つ子のキプロスたちを産んだが、これらは一つ目の怪物であった」
「大地の母神ガイアは、父ウラノスの男根を切れとクロノスに命じ、母は鎌をクロノスに渡した。クロノスは、母ガイアと父がまさに交合しようとするそのときに、母に命じられた通り父の男根を切って殺し、クロノスは王になった。」
「王者クロノスは、妹のレイアと結婚して5人の子が生まれた。クロノスは、自分が子に打ち負かされて天上の王位を奪い取られる運命にあると予言されていたから、生まれてきた子を順番に食べてしまった。」
「妻のレイアが、隠しとおした子供がゼウスで、ゼウスは成長すると祖母のガイアに教えられた通りに父クロノスを騙して吐き薬を飲ませる。クロノスは、最初にゼウスの代わりに飲まされた石を吐きだし、そのあと続けてゼウスの兄や姉を吐き出す。吐き出された兄弟たちはゼウスの家来となってクロノスと戦う。
「クロノスの子のうちのひとり、女神のヘラは、兄ゼウスの妃となり、オリンポスの女王となった」
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まだ他にもいろいろあるのですが、実際のギリシャ神話は、親子兄弟の乱脈・乱倫と残虐、親殺し、子殺しという、ある意味非常に不道徳性に満ちた物語です。
逆にいえば、そういう物語が口伝で伝承されても違和感がないほどに、大陸の人々は厳しい自然環境の中で過ごしたであろうし、生き残るために必死であったということもできます。
他にも、大陸の馬賊に伝わる童話では、夫婦に子供がたくさんできたので、隣の家族の馬や羊を奪った。このとき子供を殺すのがかわいそうだったので生かしておいたら、子供が長じて自分の家族が皆殺しにされた。殺すときは皆殺しにしないと危険だ、というものなどもあります。
そういえば、「開けゴマ」で有名なアラジンの物語も、盗賊から財宝を奪った盗賊アラジンの物語でもある。
これに対し、日本の古事記では、不道徳といえば、大国主命が、朱塗りの矢に化けて、ボットン便所の下に隠れ、好きな女性を矢でついたという作り話がせいぜいで、いわゆる残酷な物語がほとんどない。
スサノオがヤマタのオロチ(八尾の大蛇)を退治したという話では、山に潜むオロチが村を襲って女を奪うので、スサノオがオロチに酒を飲ませて酔わせ、オロチが酔いつぶれたところを切り捨てて退治したというもの。
ちなみにこのヤマタのオロチは、飛騨の口伝によると8人のオロシャ族だったのだそうで、つまり、オロシャ=おロシア=ロシア人なのだそうです。
8人組のロシア人が流れ着いて、村を襲い、女を奪い、大酒を飲んだ。
終戦直後の旧ソ連兵の横暴をみると、なるほどありそうな話といえます。
古事記は、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の口伝を書き記したものとされていますが、稗田をヒエダと読むのは、後年になってからのことで、実はこれは、ヒダと読むらしいという説があります。
つまり稗田阿礼(ヒエダノアレ)は、「飛騨(ヒダ)の阿礼(アレ)さん」で、実はいまでもその直系のご子孫という家が飛騨地方にあります。
この飛騨の口伝によると、ご皇室はアマテラスの前に25代を重ねていて、上方(ウワカタ)様と呼ばれていた。
そして当時の日本は末子相続制(末っ子が家を相続すること、昔は子供はよく死んだので、多くの国が末子相続制をとっている)で、ウワカタ様の一族は、みんながいやがるいちばんたいへんなこと、いのちがけでしなければならないことを、常に率先して行い、みんなからの尊敬を集めていた。
さらにウワカタ様は、池に太陽や月を映し、その池を囲んで月をジィ~と見つめ、心を澄ませて天啓を得た。その儀式の名が、日抱き(ひだき)の御霊鎮(みたましずめ)といい、それが日抱き(ひだき)→日抱(ヒダ)となり、飛騨(ひだ)となったのだといいます。
ウワカタ様の一族は、住民みんなの尊敬を集め、末子相続なので上のおにいちゃん、おねえちゃんたちが民間と婚姻し、みんなが血縁関係となった。
兄や姉が嫁いだ先の親戚です。
争いにならない。
だからなにかあると、戦(いくさ)をしないで、みんなで話し合って解決した。
どうしようもない暴れ者のオロシャなどは斬り殺して退治するけれど、民が殺されたり強奪されたりすることは、とにかくしない。
そういう平和的習俗習慣が、いまから約3000年以上も昔からこの日本では代々続けられてきた。
近代にいたっても、ご皇室は朝鮮王一族や、女真族一族(満洲王一族)と縁戚関係をもち、隣国と争いのない歴史を築いていた。
事実、日朝戦争も、日満戦争も、起こっていません。
もし、英米が植民地獲得に強欲を出さず、むしろ日本とともにChina・朝鮮・満洲の平和と安全、そして庶民の生活の向上のために力を貸してくれていたら、おそらく、いまごろ、東亜は大発展し、平和を愛する価値観は、世界に広がり、すくなくとも、戦後の歴史にあったようなChinaの大虐殺や韓国難民、ベトナム戦争、チベット虐殺、ウイグル問題など、まったく起こっていなかったであろうということは、誰もが簡単に想像がつくのではないかと思うのです。
先日、このブログへのある方のコメントに「戦前の精神主義」ということばがありましたが、ねずきちは、戦前の日本の姿勢を、「精神主義」とはまったく思いません。
だれもが、人を悲しませることがないように、まっすぐに、しっかりと生きるということは、精神主義でもなんでもなく、ごく普通の庶民感情だと思うからです。
だからボクは、戦前の日本にあったものは、天皇崇拝とか精神主義とかいうものではなく、むしろ言葉を変えて言うなら、「庶民主義」であったのではないかと思っている。
庶民が幸せに生きられること。
その意味で、戦後日本の経済優先の志向も、やはり庶民主義だった。
すくなくとも、戦前の日本より、現代日本のほうが、はるかに豊かだし、食べ物もたくさんある。
ただ、社会が不道徳であることは良くないと思うのです。
社会が不道徳に偏ると、困るのは一般庶民だからです。
順番待ちで並んでいるときに、腕力のある者が平気で横入りしてきたら、やっぱりみんな気分が悪い。そういうことは規則や決まり、法で定めることではなくて、道徳感とひとりひとりの自覚に負う者だと思う。
そういう自覚や道徳観を促すということが、結果的にはまわりまわって多くの庶民が安心して暮らせる社会をつくる。
だからねずきちは、戦後日本を否定しようなどとは全然思わない。
戦前、多くの人たちや英霊たちが命をかけて守ってくださったことにも感謝、戦後の経済の発展に努力された先人たちにも感謝し、その両者を合わせてさらに住みよく安心して暮らせる社会を築いてゆくのが、現代を生きるわたしたちの使命なのではないか、そう思うだけです。
だから、ひとびとが安心して暮らせる社会を壊すようなもの、たとえば外国人参政権だとか、通名使用だとか、国籍法の改悪だとかには、当然反対です。
また、この日本と言う国の平和と安全を守るために、それなりの備えとしての軍事力は、当然持つべきだと思うのです。
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作成してくださった方に、日心会を代表して心から感謝申し上げます。

