
渡邊美光(わたなべよしみつ)という方がおいでになります。
愛知県半田市有脇小学校の校長先生だった方です。
彼は、昭和61(1986)年3月、定年退職を迎えます。
その少し前に行われた卒業式で、渡邊校長は、卒業証書を一人ひとりに手渡したあと、式辞を述べました。
渡邊校長は、式辞のなかで、戦争の話をしました。
渡邊さんが戦争の話をしたのは、これが最初であり最後です。
それまで、いちども語ったことがなかった。
そのときのお話は、およそつぎのような内容だったそうです。
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昭和19年になると、日本は負けつづけていました。
そのころ日本軍は、飛行機や魚雷に人間が乗ったままで、爆弾と一緒に体当たりして敵艦を沈めようとしました。
体当たりすれば、命はありません。
でも、自分たちが死ぬことで、平和な日本になるなら、祖国に新しい日がくるなら、故郷の人たちの身代わりになって死のうと、ほとんどの人が志願しました。
みんな、国を守るために死のうと覚悟したのです。
予科練甲飛13期の志願者 17,000人のなかから約900人が選ばれ、私もそのなかの一人でした。19歳でした。
訓練を終えた友だちは、南の海へ出ていき、火柱となって死にました。
「お父さん、お母さん、国を守るために、さきに死ぬのです。ごめんなさい」
こういって、死んでいったのです。
懐かしい故郷を思い浮かべ、父や母の顔を瞼に浮かべて、死んでいくのです。
この気持ちが、君たちにわかってもらえるだろうか。
あの戦争で死んだ人があって、現在の平和があり、繁栄する日本があるのです。
私はいつも、
「その気になって、自分から何事もすすんでやろう」とみんなに話してきました。
自分がその気になってやれる人は、人の心の痛みや悲しみのわかってやれる、心優しい人でもあると思います。
決して苦しいことから逃げ出す人間になってはいけません。
いじめられても、決していじめる人間になるなと、強くいっておきたい。
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渡邊美光さんは、終戦時帝国海軍上等飛行兵曹でした。
そして帰郷後、教員の道を歩んだ。
この卒業式は、渡邊美光さんの卒業式でもありました。
卒業式のあと、幾人かの卒業生から便りがよせられたそうです。
「校長先生のお話をきいているうち、泣けてきちゃいました。
こんな気持ちになったのは初めてでした。
美紀より」
ちゃんとした話は、ちゃんと子供たちの心にも伝わるのです。
わけのわかんない、いかがわしい性教育などをするヒマがあるのなら、学校教員はこういう話を子供たちにちゃんと伝えろ!と思う方
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