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寂光院

このブログのテーマのひとつに
「いまも昔も日本人の心は変わらない」
というものがあります。
先日、友人と話をしていて、こんな話を聞きました。
いまテレビで、現代の医師がタイムスリップして江戸時代に行き、そこで坂本竜馬や勝海舟などに会うという設定の番組が放映されているのだそうです。
ねずきちは、このところまったくテレビを観ていない・・・観る時間がない(汗)・・・なので、その番組自体はみたことがありません。
ですから以下はあくまで聞いた話です。
その番組の中でこんなシーンがあったのだそうです。
江戸にコレラが流行って、竜馬その他のみんなが口々に、その医者に言うのです。
「先生、お国のためだ。この国のために皆を救ってください」
ドラマを観ながら友人は思ったそうです。
「今の日本に“この国のため、この国を守るため”っていう人が何人いるのだろうか?って。
ボクは言いました。「それは、ウソだ」
戦争で死んでいった若者たちの多くは、お国のためというより、母や、兄弟や、妹や、甥っ子や仲間や、友人たちを守るために戦った。
そんで死んでいった。
竜馬の時代も同じです。欧米列強に侵略されて、植民地にされて、みんな奴隷にされて、生命や財産や、かけがえのないものを奪われる。そんな辛い目に絶対誰にもあわせたくない。
だから戦った。
だいじな人が襲われて殺されるかもしれないなんて社会情勢になったら、死んでもいいから戦う。それがふつうの人の、ふつうの感情や行動だと思うのです。
友人は言いました。
「いまの日本で、どれだけの人が家族のために命を投げ出せる? きっと心の教育が必要なんだよ」
ボクは答えました。
「年間3万人・・・」
年間3万人の人が、家族を、経済苦・生活苦から守るために自殺してる。
「それって、言葉が悪いけど、逃げてるじゃないの?」
「逃げているといえるかもしれない。でもね、自分が死ぬことで家族を護る、夫としての責任が果たせるなら死ぬ。それができない人はホームレスになっている。」
自殺がよいと言っているわけではありません。
もう自分の命しか家族に捧げるものがない。そこまで追い詰められた人の最後の選択肢が自殺なら、それは必ずしも「逃げた」ことにはならないのではないか、と思う。
“お国のため、会社のため”そういう言葉は、平時のときに言う言葉です。
だから“お国のために死んだ”なんて言葉は、ウソだって、ボクは思っています。
みんな愛する人を護りたい。
それだけだったって思うのです。
だって、お国がどうとか、そんなおっきなことなんて、わかんないです。
「目の前で友達が死にそうになってて“お国のために生かしてくれ”なんて、医者に言う?」
「言わん」
「そいつが、会社のために必要な奴だったとしてさ、会社のために、そいつを助けてくださいなんて、いう?」
「いわん」
「そいつに生きててほしい。絶対に死んでなんてほしくない。だから、助けてくれ!じゃね??」
「だよね~」
「だったらそのドラマ、ウソだ」
「そういえば、親が死ぬまで、わからなかったことがあるよ。親はいつまでも元気でソバにいてくれるものだとおもってた。死にそうになっても絶対に死なないって思ってた。
だけど、死んだときには、わかんなかったけど、年月がたって、声聞きたくなるし、心に穴があいて、ものすごく大切なものを失ったって事に気づいた。
この前ね、義理の弟がクモマッカでなくなった。
義理の妹が看護婦してて、ウチの両親がなくなったときも『まぁ、命には限りがあるからね』って、すごく冷静な言葉をかけてきた。
その妹が、旦那を失って3年たってから、『ひどいことを言って、ごめんね。本当に自分がかけがえの無いものを失わないとわからなかった。あのとき、力になってあげれなくってゴメン』って言ってきた。」
誰も人は、その場を体験しないとわからない心の痛みってものがある。
しかし体験してなくてもひと心の痛みがわかる心、わかろうとする心、それが大和心なのだと、ボクは思います。
幕末、桜田門外の変で死んだ井伊直弼は、14男です。
長男から順に13人が早逝して、結局彼が家督を継いだ。
「昔は命が軽かったのだ」などとバカなことを言う人がいます。
そんなの絶対に違う。亡くした子供たちのひとりひとりが、かけがえのない大切な子供たちです。それがふつうの誰にでもある親の心です。
江戸時代末期から、先の大戦にかけて、みんなが、自分の大切な人を失った。それは病気だったり、戦乱だったり、原因は様々です。
ねずきちのオヤジは男4人の兄弟で、次男と三男は病気で幼くして死んだ。
そのオヤジを産んだ婆さんの姉の息子は、二人が戦争で死に、ひとりは内地に帰ってきたけれど、片腕がなくなってました。
そんな時代だった。
誰もがそういう環境の中で、育った。
だから、誰もが、
もう、
絶対に、
誰も、
失いたくない。
子供たちまで、そう思った。
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かあさんを、
これいじょう、
かなしませたくない。
だから、おいら、
かあさんをまもるために、
へいたいになるんだ。
かあさんや、みんなを
まもるんだ
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その気持ちって、すごくわかるのです。
“お国のため?”
そんなんじゃない。
たしかに言葉にしたらそうなる。だけど、その言葉にある心は、もっともっと身近で、なまなかな心だったと思うのです。
戦時中、赤紙がくると、町内の婦人会の奥さんたちみんなで「おめでとう」って言いに来ました。
その奥さんたちも、みんな愛する子供を戦地に送り出していた。
戦争で子を失っていた。
そういう奥さんたちが、みんなで『おめでとう』って言いに来ます。
決して強制なんかじゃないです。
でもみんな行った。
なぜ? どうして?
それってお国に騙されてたの?
断じて違う。そんなんじゃない。
自分は子の命を失った。
でも、ご近所には、あそこの家にも、そこの家にも、子供たちがいる。
あそこにも、ここにも、元気一杯な子供たちがいる。
その子供たちの命まで、絶対に、絶対にもう失いたくない。
自分が味わった悲しみを、もう誰にも味わってほしくない。
だからみんな、出征する兵士たちに、
どうか護ってください。
お願いだから子供たちを護ってあげて。
そしてどうか無事に帰ってきて
って、万感の思いをこめて挨拶に行った。
言葉は「おめでとう」です。
でもその言葉にある感情は、ひとりひとりのお母さんたちがもつ、心の叫びだった。
ねずきちブログは、戦争のことをたくさん書いています。
けれど、どの文章見ても
「特攻隊かっこいい~」なんて、ぜったいに書いてない。
もう誰も失いたくない。この国にずっとずっと平和であってほしい。
誰も死んでほしくない。
そのために命を捧げた英霊
246万6,532柱
「お国のために命を捧げた」という言葉は、お国という抽象的なものではなくて、かあさんや、兄弟や、友人たちと、その未来を守るために命を捧げたという意味だと、ボクは思います。
だから、ボクたちは、亡くなられた彼らに、ずっとずっと感謝し続けなければならないと思う。彼らの思いを、彼らの心を、未来に語り継いでいかなければならないと思う。
昨日、靖国神社に参拝に行ってきたのです。
遊就館も行きました。
いま、遊就館では、「矢弾丸(やだま)尽きるとも」という展示会をやっています。
そのカタログに、こう書いてあります。
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愛するものが住むこの国を守るため
命をかけた英霊の思いを伝えたい
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この言葉を、「お国のために」などと縮めてほしくない。
それは戦後左翼の洗脳です。
愛する者を護るため、この国の兵となって命を賭けた。だからその想いを伝えたい。
以下はカタログからの抜粋です。
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父母上様
自分もいよいよ役に立つ時が参りました。
現在までの父母上の御苦労を想い、御礼の言葉もなし。
益々御身体に注意され御奮闘を祈ります。
 陸軍軍曹 加藤弥助 命
 昭和19年7月18日
 マリアナ諸島にて戦死
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私も元気で第一線に活躍してますから安心してください。
勝つためには喜んで
南海の華と散る覚悟です。
 陸軍兵長 小室智雄 命
 昭和19年8月6日
 ニューギニア・アイダベ方面にて戦死
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望み叶ってあの靖国のみ柱に赴けますならば
誇り高く咲きにほふ九段の桜の下で
お母さんの訪れをまっています。
 陸軍伍長 小塩久夫 命
 昭和19年12月23日
 比島北サンフェルナンドにて戦死
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皆々様変わりなく元気で暮らしていると
推察致してをります。
7月10日付一等兵に進級したることを
知らせずにいました。
二ツ星です。どうぞよろしく。
 陸軍伍長 福井栄一 命
 昭和19年10月7日
 ビルマ・カロー方面にて戦死
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皇国のために死するとも軍人の本懐なり
我れ行かん。靖国社頭の若桜。
自分には心残りは無し。
唯御両親に之と言ふ孝行も致さず
先立つ不孝をお許しください
 陸軍伍長 宮井一 命
 昭和20年9月24日
 牡丹江省寧安県にて戦死
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恒男様
オトウサンハゲンキデ オクニノタメニ
ハタライテオリマスカラゴアンシンクダサイ
オカシタクサンアリガトウ
ミンナオオヨロコビデス
ツネオノタベルモノガ
スクナクナッテマスナア
 陸軍上等兵 岩本四郎 命
 昭和20年3月17日
 硫黄島にて戦死
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タネ
入隊した晩は
一命は君国に捧げたのだから
今後如何なる困苦欠乏に遭遇しても
断じて帝国軍人たるの責を自覚し
未練の振舞等致さぬ覚悟
 陸軍上等兵 稲垣良衛 命
 昭和20年2月22日
 沖縄県中頭郡嘉手納にて戦死
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此ノ限リナイ空上デ仇ヲウチタイノデス
ドウカコノサイ私ヲ採用クダサイ
オネガイヒシマス
右血書ス
 陸軍兵長 中川寛 命
 昭和20年7月18日
 埼玉県大里郡にて戦死
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どの手紙も全部、全部です。家族の安否を気遣い、子のつつがない成長を願っている。
いま「日本は悪い国だ」という政党が政権を獲っています。
親を思い、子を思う気持ちが、悪いことなのでしょうか。
ボクには理解できません。
そんな政党に日本の政治を委ねることが、私たちにとって正しい選択といえるものなのでしょうか。
ボクには理解できません。
ほとばしるような愛をもって散って行かれた英霊たちを祀る靖国に野党になった自民党総裁が参拝した。それだけでシナからクレームがついた。
祖国にいる家族を護るために亡くなられた英霊たちに感謝することが、悪いことなのでしょうか。非難されるべきことなのでしょうか。
ボクには理解できません。
靖国神社に行って、気がついたことがあります。
参拝者の多くが女性たちなのです。半分以上がそうなのかもしれない。
若い娘さんもおいでになりました。
中高年のおばちゃんたちの集団もおいでになりました。
彼女たち全員、誰も、軍人さんカッコイイ~、ステキ~なんて思って靖国に行っているわけではない。
子を産み育てる親として、誰かを失ったことのある女性として、彼女たちには靖国の英霊たちの声が聞こえるているのではないだろうか。
ねずきちにはそんな気がしました。
ねずきちは思うのです。
英霊たちはかけがえのないものを護るために散っていかれた。
その“かけがえのないもの”というのは、いま、この時代を生きている私たち日本人です。
私たちは、彼らの命のおかげで、いまを生きている。
だからぼく達は、彼らを絶対に忘れてはならないと思うのです。
そして未来永劫、語り継いでいかなければならないと思うのです。
なぜならボクたちは日本人だから。
彼らのおかげで現代を生きている日本人なんだから。
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