
(想像上の朝鮮王朝)
韓流ドラマで人気なものに「宮廷女官チャングムの誓い」というドラマがあります。
16世紀初頭の李氏朝鮮王朝時代を舞台にしたドラマで、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇なのだそうです。
韓国では最高視聴率57%を記録し、日本、香港、台湾などでも爆発的な人気を呼んだドラマなのだそうです。
番組では、登場する女官や貴族たちが実に美しい衣装をまとい、華やかでみやびな宮廷生活が営まれていたように演出されているようです。
そして不思議なことに、女官達それぞれに、ちゃんと名前もある。
16世紀といえば、日本では上杉謙信や、武田信玄、織田信長、羽柴秀吉などが活躍した時代です。つまり戦国時代でもあった。
そして日本が戦国乱世であった時代に、朝鮮半島ではみやびで平和な美しい文化が営まれていた、という対比なのだそうです。
ところが、歴史を調べてみると、どうも様子が違う。
まず第一に、李氏朝鮮というのは清の属国だった。
第二に、ドラマで色とりどりに描かれるチマ・チョゴリは、白以外の着衣は一切認められていなかった。
色や柄のついた衣服をまとえるのは、清の皇帝に献上される女性のみ。それ以外は、いっさい色のついた着衣を身にまとうことが禁じられていた。
第三に、チマ・チョゴリを女性が着用するに際しては、長男を産んだ女性は生涯両の乳を露出して過ごす名誉(?)が与えられていた。
それ以外の女性も、胸部の乳をヤンバンの求めに応じてすぐに露出できるよう、乳は短い上着で覆うだけで、生地で巻く等して隠すことは禁じられていた。

(現実)
第四に、庶民は男性も女性も名を名乗ることができなかった。つまり名前がなかった。
女性は王妃であっても、名前を名乗ることが許されなかった。
チャングムは実在の女医とされているけれど、名前のチャングム(長今)というのも、後世の字(あざな)にすぎない。
第五に、チャングム(長今)は、なるほど実在はしているようだけれど、その行状については、いっさい史料がない。
このチャングム(長今)は、「朝鮮王朝実録」の「中宗実録」に、「大長今」という呼び名で記されている人物で、その人物が“女性”であることについて触れている史料は、中宗39年(1544年)10月の「予證女醫知之(予の証しは女医之を知る)」という、たった一行の記載でしかない。
要するに、宮廷女官チャングムのドラマは、日本でいったら浦島太郎の竜宮城の世界と同じで、単なるおとぎ話の世界のドラマでしかないです。
実際に、この李氏朝鮮の時代の様子がどうであったのかについては、実は、朝鮮は日本よりずっと極端な鎖国政策をとっていたため、客観的に記述された史料はほとんどありません。
18世紀以前の朝鮮に関するまとまった報告といえば、1650~60年代に捕虜になっていたヘンドリック・ハメル(Hendrick Hamel)の『朝鮮幽囚記』くらいなものです。
ハメルは、オランダの東インド会社 (VOC) の書記だった人です。
この人が1653年7月・・・日本でいったら江戸時代の初期頃・・・交易船デ・スペルウェール号に乗って日本へ向かう途中、朝鮮半島南部沿岸の済州島付近で破船します。
乗員は64名。
ハメルを含む36人が生き残ったのだけれど、彼らは済州島で直ちに捕縛され、漢陽(現在のソウル)にいる国王のもとに、貢物として送られます。そして彼らは朝鮮から出ることを禁じられ、13年間を漢陽で過ごした。
漢陽での日々、彼らは朝鮮から去ることは禁じられていたけれど、いくらかの移動の自由と、朝鮮社会の異なる階級と交わる自由は与えられたそうです。
しかし、その境遇は、朝鮮人の奴隷も同然だった。
耐えかねた一行のうちの2人が清の使節に、日本への送還を直訴します。
ところが、朝鮮は清使に賄賂を送ってこの一件をもみ消し、彼らの一行の待遇をさらに悪化させます。
そして彼らは、全羅道(半島南部)に送られます。
ハメル一行の生活状態は、中央から派遣される役人の意向によって変転します。
生活費も食料も与えられず、彼ら自身で物乞いをして命を繋ぐこともあった。
1659年には熱病の流行で一行より多くの死者を出し、1660年から1663年の飢饉では、全羅兵営が彼らを養いきれなくなり、ついには役人が彼らに注意すら払わななったことから、1666年8月、その時点ですでに生存者は16名になっていたけれど、ハメルと7人の乗組員は、決死の覚悟で朝鮮から船で脱出し、日本に向かった。
そして五島列島で捕えられ、長崎奉行所に送られた。
日本は、彼らを丁重にもてなし、幕府は翌年には、ハメル一行の帰国を認めます。
そしてハメルたちは、11月にはオランダ・バタビアに無事帰国した。
また朝鮮国内に残ったオランダ人に対しても、幕府はその引渡しを、朝鮮側に求め、生存者7名を1668年6月にひきとり、これも健康の回復を待って、オランダに送り届けます。
いまの日本では北朝鮮に拉致された日本人ですら救出できずにいるし、ポッポ政権に至っては、救出のためのブルーリボンさえ、着けないでいたりしていますが、当時の幕府は実に正々堂々と朝鮮と交渉し、残されたオランダ人たちを救出している。たいしたものです。
オランダに帰国したハメルは、東インド総督および17人委員会に宛てて、朝鮮幽閉当時の報告書を書きます。
その報告書が、1667年、本になって出版された。
そしてその本が、じつはヨーロッパに初めて、朝鮮に関する詳細かつ正確な描写を紹介した本・・・「朝鮮幽囚記」です。
そのハメルの「朝鮮幽囚記」から、李氏朝鮮時代の半島の様子を抜粋して紹介します。
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ヘンドリック・ハメル著「朝鮮幽囚記」
生田滋訳 東洋文庫
夫を殺した妻は、多くの人々の通る往来に、肩まで土に埋められた。
そしてその傍には、木の鋸が置かれます。
貴族以外の通行人は、彼女の首をその鋸でひいて死にいたらしめなければなりません。
夫が妻を殺した場合、それについて然るべき理由のあることが証明できる場合は、その理由が姦通であってもなくても、その罪によって訴えられることはありません。
過失致死を犯したものは、次のようにして罰せられます。
朝鮮人は、酸っぱい、濁った、鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗います。
彼らはその水をじょうごを使って罪人の喉から流し込めるだけ流し込みます。
それから胃の所を棒で叩いて破裂させます。
朝鮮では、盗みに対しては厳重な刑罰が課せられていますが、盗人は非常に沢山います。泥棒に対する刑罰は、足の裏を叩いてしだいに死にいたらしめるのです。 (p. 41)
一般の人々は彼らの偶像の前で、ある種の迷信を行います。
しかし彼らは偶像よりも、自分の目上の人に対してより多くの敬意を払います。
大官や貴族は偶像に対し敬意を表するということをまったく知りません。
なぜならば彼ら自身がそれよりも偉いと考えているからです。 (p. 43)
大官たちの家は非常に立派ですが、一般の人々の家は粗末なものです。
自分の考えに基づいて家を建築することは、一般人には誰にも許されていません。
総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていないからです。 (p. 46)
この国民は、妻を女奴隷と同じように見なし、些細な罪で妻を追い出すことがあります。
夫は子供を引き取ろうとはしませんので、子供は妻が連れて行かねばなりません。したがってこの国は人口が多いのです。 (p. 48)
彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。
彼らをあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼らにとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。 (p. 52)
彼らは病人、特に伝染病患者を非常に嫌います。
病人はただちに自分の家から町あるいは村の外に出され、そのために作られた藁ぶきの小屋に連れて行かれます。
そこには彼らを看病する者の外は誰も訪れませんし、誰も彼らと話をしません。
その傍を通る者は必ず病人に向かってつばを吐きます。
病人を看病してくれる親戚を持たない人々は、病人を看病に行かないで、そのまま見捨ててしまいます。 (p. 53)
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現実は、だいぶ、チャングムに描かれる世界と違うようです。
ハメルよりだいぶ時代が下りますが、1874(明治7)年、フランス人宣教師であったクロード・シャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)が、日韓併合直前の朝鮮半島の様子を「朝鮮教会史」という本にまとめています。
時代は、李朝朝鮮末期にあたります。この本でも、朝鮮の様子がきわめて詳細に綴られています。
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「朝鮮事情」シャルル・ダレ著
金容権訳 東洋文庫
この山国では、道路と運輸機関とが実に不足し、それが大規模な耕作を妨げている。
人びとは、各自の家の周囲とか手近なところを耕作するだけだ。
また、大部落はほとんどなく、田舎の人びとは3、4軒、多くてせいぜい12~3軒ずつ、固まって散在している。
年間の収穫は、住民の需要をかろうじて満たす程度であり、しかも朝鮮では、飢饉が頻繁にみられる。 (p. 20)
1637年に締結された条約は、清に対していっそう屈辱的な従属関係のものとなった。
朝鮮国王は清国皇帝に対して、たんに叙任権を認めるばかりでなく、身分上の直接の権限、すなわち主従(君臣)関係まで承認を求めなくてはならなくなった。 (p. 34)
朝鮮の王宮は、パリの少しでも余裕ある年金生活者でも住むのを嫌がるようなつまらない建物である。
王宮は、女と宦官で充ちている。 (p. 53)
ソウルは、山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁にかこまれた人口の多い大都市だが、建築物には見るべきものはない。
かなり広いいくつかの道路を除いては、曲がりくねった路地だけがあり、この路地には空気も流れることなく、足にかかるものといえばごみばかりである。家はふつう瓦で覆われているが、低くて狭い。 (p. 64)
官吏の地位は公然と売買され、それを買った人は、当然その費用を取り戻そうと努め、そのためには体裁をかまおうとさえしない。
上は道知事から最も下級の小役人にいたるまで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金をかせぐ。国王の御使すらも、極度の破廉恥さでその特権を濫用している。 (p. 71)
朝鮮における学問は、全く民族的なものではない。
読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。
公開試験〔科挙〕は、最も学識があり最も有能な人に学位免許状が授与されるのではなく、最も多額の金を持った者や最も強力な保護者のいる人びとに対して与えられている。 (p. 135)
朝鮮の貴族階級は、世界中で最も強力であり、最も傲慢である。
他の国々では、君主、司法官、諸団体が貴族階級を本来の範囲内におさえて、権力の均衡を保っているが、朝鮮では、両班の人口が多く、内部では対立しているにもかかわらず、自分たちの階級的特権を保持し拡大するために団結することはよく心得ており、常民も官吏も、国王すらも、彼らの権力に対抗することができないでいる。 (p. 192)
朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。
女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。 (p. 212)
朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。
子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。 (p. 269)
不思議なことに、軍隊は概して非常に弱い。
彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。
朝鮮人は、金儲けに目がない。
金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。
彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。
しかしまた、守銭奴はほとんどいない。いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。
この国では、現金の2、3万フランもあれば金持だといわれる。一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。 (p. 272)
朝鮮人のもう一つの大きな欠点は、暴食である。
この点に関しては、金持も、貧乏人も、両班も、常民も、みんな差異はない。
多く食べるということは名誉であり、会食者に出される食事の値うちは、その質ではなく、量ではかられる。
したがって、食事中にはほとんど話をしない。
ひと言ふた言を言えば、食物のひと口ふた口を失うからである。
そして腹にしっかり弾力性を与えるよう、幼い頃から配慮して育てられる。
母親たちは、小さな子供を膝の上に抱いてご飯やその他の栄養物を食べさせ、時どき匙の柄で腹をたたいて、十分に腹がふくらんだかどうかをみる。
それ以上ふくらますことが生理的に不可能になったときに、食べさせるのをやめる。 (p. 273)
朝鮮の家屋は、一般に、非常に小さく不便である。
台所の煙を送りだす煙突を下に通す必要上、地面よりも少し高く建てられているが、しかしソウルでは、必ずしもこの方法が一般的とはなっていない。
これは、冬場をしのぐにはかなり便利であるが、夏場になると、熱気が屋内にこもって、まるで人びとに耐えがたい体罰を課していると同じような状態になるからである。
で、おおかたの人は戸外で眠る。 (pp. 300-301)
衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。
不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。 (pp. 303-304)
朝鮮人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。 (p. 309)
商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。
航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。
この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。
したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。 (pp. 314-315)
政府は、おのれの保持のためには必要であると信じているこの鎖国を、細心に固守しており、いかなる利害や人道上の考慮をもってしても、これを放棄しようとしない。
1871年、1872年の間、驚くべき飢饉が朝鮮をおそい、国土は荒廃した。
あまりのひどさに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に一人当たり米一升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東にたどりついた何人かの朝鮮人は、むごたらしい国状を図に描いて宣教師たちに示し、「どこの道にも死体がころがっている」と訴えた。
しかしそんな時でさえ、朝鮮政府は、中国や日本からの食料買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。 (p. 322)
アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。1860年から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。
これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。 (p. 323)
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で、やむなく日本は日韓併合を行ったのです。
どうも日本では、江戸から明治・大正・昭和初期の歴史は実際にありもしないほど酷く描写され、(昨日の悪代官の記事参照)、一方で韓国の歴史については、実際にあったものより数段、いやもう夢物語的に美化して語られているようです。
歴史というものは、政治的に歪めて見るものではありません。
ねずきちの持論は、つねに「歴史は学ぶためにある」というものです。
そのためには、事実から目を背け、歴史を歪曲し、ねつ造し、政治的な印象操作をするのは論外です。
人間というものは、自分がいま生きている世界しか知らなければ、それがあたりまえ、と思ってしまうものです。
朝鮮のチマチョゴリの女性が、両方の乳をさらけ出して生きたのも、それがあたりまえの社会では、なんの違和感もなかったのかもしれない。
しかし、明治にはいり、欧米列強の東亜における干渉がはげしくなると、いきおい周辺諸国に目をむけなければならなくなる。外圧が起こる。そうなると自国の姿に反省と諸外国との比較がはじまるのは、普通のことです。
そして文明開化し、欧米の文化を積極的に取り入れて富国強兵を図る日本を観て、李氏朝鮮の鎖国策を廃し、開国・近代化を推し進めようとする人たちが動き始めた。
金玉均、朴泳孝らの開化派です。
彼らは独立党を結成して、国王に迫り、新政府を樹立します(1884年12月甲申政変)。
この政変は清の袁世凱の介入によって3日で鎮圧されたけれど、いちど覚めた眼は、もうもとには戻らない。
開国への国内圧力はとまらず、日本が日露戦争に勝利すると、李完用などの親日派勢力は、遅々として進まない朝鮮王朝の改革にあいそをつかし、日本に依頼して韓国内に日本による韓国総督府を誘致した。
そしてその後の日韓併合によって、ようやく、朝鮮半島は、文明開化を迎え、庶民には男女の区別なく姓名を名乗ることができるようになった。
全国的に学校教育も行われるようになった。
女性の乳出しは固く禁じられるようになった。
ドラマは、ドラマでしかない。これは事実です。日本でも水戸黄門は単なるフィクションです。
しかし、フィクションをフィクションとして楽しむには、その前に正しい歴史教育があることが不可欠です。そうでなければ、フィクションを事実と誤認してしまう。
しかもそうした誤認が、政治的に意図的に利用されるようになると、利用された庶民は、これほどあわれなことはない。踊らされ、そそのかされて、間違った事実認識に基づいて、異常な判断を強いられてしまう。
すくなくとも、いまの日本という国は、言論の自由は憲法で保障されている国です。
そうであるならば、私たちは、せっかく真実を知り得るチャンスがある以上、ねつ造され、曲解されたデタラメにふんどうされることなく、正しい目を見開き、真実を尋ねるべきではないかと、ねずきちは思うのです。
【参考】
■李氏朝鮮の時代は本当に韓国人にとって良い国といえたのか?
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-220.html
■閔妃殺害事件に関する報ステのウソ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-604.html
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