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小灘利春元海軍大尉
小灘利春元海軍大尉

昨日、回天についての記事を掲載させていただきました。
戦後になりますが、元、回天の搭乗員、整備士等で「全国回天会」という会が作られました。
そしてその会長に、故・小灘利春元海軍大尉が就任されました。
小灘氏は、生前、人間魚雷・回天特別攻撃隊の歴史を、搭乗員の思いを正しく後世に伝えたい、というご主旨のもとに、会報・雑誌・新聞等に様々な記事を発表されています。
その中に、後世を生きる私たちに深く関わる遺言が数多くあります。
小灘氏は、海軍兵学校72期生です。
そして昭和19年9月5日、大津島に回天部隊が設立されたとき、回天の搭乗訓練に参加します。
昭和20年4月、米軍が沖縄本土に上陸を開始し始めた頃、小灘氏は敵の本土攻撃に対応すべく八丈島回天隊隊長に命ぜられます。
前年9月に大津島に着任した14名のクラスメイトは、次々と回天の出撃をしました。
そして生存者が小灘氏ひとりになったとき、八丈島で終戦の日を迎えます。
以来、小灘氏は、人間魚雷回天のこと、特に回天で散った戦友の霊を慰め、回天の真実を後世に伝えることは、生き残った者の使命であり責務であると定め、「回天のこと」を後世に伝えるべく「全国回天会」を設立された。
平成17年末、小灘氏の業績を、米国の「ニューズウィーク」誌が写真入りで大きく紹介します。小灘氏の言葉のひとつひとつが、全米に衝撃をもって迎えられています。
そして翌平成18年9月23日、彼岸の中日に、小灘氏は静かに83歳の大往生を遂げられた。
今日は、その小灘氏の言葉の一部をご紹介してみたいと思います。
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【生死のこと】
『回天と我がクラス』(海兵72期会報) より
生物の持つ本能のうちで、何にもまして強烈なものは個体保存の本能である。
意識するにしろ、しないにしろ、誰だって命が一番惜しい。一つしかないのだ。
漠然と考える死は易い。
しかし死の恐怖は、死に直面したもののみぞ知る。
それを敢えて自ら死を選び、死ぬための技量を練磨し、静かに死んでいったのは、彼等に死に勝る明確な動機があったからである。
回天は脱出装置も通信装置もなく、機関は一度発動したら停止再起動が効かない。
母艦を離れたら、事の成否に拘らず、生きては還れない。
クラス(海兵72)の隊員は、奔放な石川のほかは一般に温厚寡黙であったが、同室に起居していても、ついぞ生死について語り合った記憶はない。
死地に赴くとき平然、敵めがけて発進の直前故障し帰投するに至っても、常と変わりなかった。
散る桜、残る桜も散る桜。
黙っていても、クラス同士ならば気持ちはよく通じていた。
当時を想起し、あるいは他の人と違っていたかも知れぬが、小生の心理的な経過を記してみる・・。
大津島に着任し、これより一ヶ月後に総員敵艦隊に突入すると告げられたとき、改めて心身の粛然として引締まるのを覚え、必ずや自らの死をもって最大の敵を倒さんと決意した。
そのために、この回天の性能を如何に生かすかを発見し、体得せねばならぬとまず考えた。
そして心が落ち着いたとき、あたかも走馬灯の如く、過去のあらゆる事象がたえまなく、とりとめもなく脳裏を去来した。
そして自らの死の意義を間違いなく見極め、体系づけようとした。
大津島の丘に立って、薄霞に包まれて和やかに連なる本州の山々を遥かに望見したとき、
「このうるわしき山河、
そこに住むうるわしき民族を、
滅亡から防ぐためならば死ねる。
敵の進攻を食い止めるのに役立つならば、
この身を弾丸に代えても惜しくはない」
と納得した。
実感があった。
それからは、死はもう気にならなかった。
食事は一つ一つ味わって食べた。
飯とはこんなに旨いものだったのかと思った。
小灘利春元海軍大尉02

【統率の外道について】 ('00.3)
この言葉は、神風特攻をはじめて採用した第一航空艦隊司令長官大西滝治郎海軍中将の自分自身に対する言葉です。
日本海軍は創設以来、日露戦争のときの旅順口閉塞隊のような高い危険を伴う「決死隊」を志願者を募って出すことはありましたが、隊員が生還する道のない「必死」の作戦や兵器は認めませんでした。
開戦のとき真珠湾を攻撃した特殊潜航艇は、生還の手段が用意されていたので許可になり、一方人間魚雷は各方面の若い士官たちが熱烈に提唱したのになかなか取り上げられず、やっと試作にかかったときも脱出装置の準備が前提条件でした。
これらは、上層部がその伝統を切羽詰まるまで固く守ったからです。
敢えて必死の飛行機特攻を始めたのは、比島沖で日米艦隊の総力を挙げた決戦を前にして、極度に劣勢な日本の航空隊にはこれ以外にはまともに戦う手段がなかったからです。
しかし伝統を破ることであり、大西長官は「統率の外道」と自嘲して言われ、終戦直後に責任をとって割腹自殺されました。
この特攻は繰り返すつもりではなかったのに、飛行機による体当り攻撃が予想を上回る効果を挙げたこと、またこれ以外に戦う方法がなくなったために終戦まで繰り返されました。
戦争が続くかぎり、軍人は最善を尽くして戦い続ける義務があります。
司令長官ほか作戦指導層としても特攻は本来とるべき戦法ではなく、作戦として下策であり異常であることは承知していても、採用するほかない状況でした。
しかし、みずから弾丸となって敵艦に体当りしていった搭乗員たちは断じて「外道」ではありません。
大西長官は最初の神風特別攻撃隊で出撃する隊員たちに、
「日本はまさに危機である。
 この危機を救い得る者は、
 大臣でも、大将でも、軍司令総長でもない。
 もちろん、自分のような長官でもない。
 これは諸士のような純真にして気力に満ちた
 若い人々だけである。
 従って自分は一億総国民に代わって
 皆にお願いする。
 どうか成功を祈る」
と率直に訓示しています。
回天で戦死した予備士官の久家稔大尉は、
「俺等は、俺等の親を兄弟を姉妹を愛し、
 友人を愛し、同胞を愛するがゆえに、
 彼らを安泰に置かんがために
 自己を犠牲にせねばならぬ。
 祖国敗るれば、親も同胞も安らかに
 生きてゆくことは出来ぬのだ。
 我等の屍によって祖国が勝てるなら
 満足ではないか」
と、回天搭乗員を志願した頃の日記に書きしるしています。
これこそが私ども特攻隊員に共通した動機でした。
特攻隊員たちは自分のために望んで必死の任務についたのではありません。
勲章とか名誉とか、そのようななもののために、一つしかない自分の命が捨てられるわけがないのです。
破滅の渕に立っている日本の国と国民を護るために、進んで命を捧げたのです。
一人が命を捨てることで千人の日本人を助けることが出来ると考えたのです。
彼等特攻隊員たちの心情を理解する日本人は少ないようですが、戦中の海陸合せて七千人にもおよぶ若人の献身を無視するような自己中心主義者ばかりでは、この国の将来は無いと考えますが、如何でしょうか。
小灘利春元海軍大尉03

【占領軍政策と平和について】
<認識すべき根本的な問題> ('00.3) より
昭和20年8月。
戦争に勝って日本に進駐してきた占領軍の最重要政策は、自分たちの安全と占領目的遂行のために
「米国に刃向かうことができない日本にすること。あとで仇をとろうとしない民衆にすること」
であった。
そのため米軍は新しい憲法を僅か1週間で作り上げる一方、占領軍の名において教育と報道を完全にコントロールした。
国内の郵便物はすべて占領軍が検閲し、封筒はすべて開封して内容を調べた上で「検閲済」と印刷したセロテープで閉じて配達した。
このような弾圧的管理を受けたことは日本人はもう忘れてしまったようだが、占領期間は異例の長期におよび、大新聞ほか各報道機関は廃刊命令を恐れて占領軍の意のままに従ったのである。
日本の永い歴史も伝統も教育も、指令どおりすなおに「過去はすべて悪」として簡単に否定してしまった。
占領軍の巧妙な洗脳宣伝も効果的であった。
勝者は自分の都合の良いように敗者の歴史を変えてしまう。
日本でも外国でも昔から「勝者の論理」が一方的に通用してきた。
一度戦争で敗者になった方は長いあいだ陽の目を見ることがない。
大戦が終ったとき
「これで日本は五十年は復活できない」と言われたものである。
「百年間は駄目だ」との説もあった。
しかし、敗戦国がいつの日か必ず再生するとは限らない。
「すべて自分が悪かった」と自己否定する敗者は滅亡する。
復活か消滅か、左右するのは負けた国の人々の意識である。
その国の、教育と報道がこれに影響する力は大きい。
戦争の勝敗を決める要素は多々ある。
偶然、或いは僅かな差が決定的になることもある。
「勝てば官軍」であるが「正しいから勝つ」というものではないから、敗者であってもすべてが悪である筈がない。
日本は戦後、幸運に恵まれ経済的には活況を回復したが、精神面では、占領軍が去った後も
「この国を駄目にする占領政策」に今もなお盲従を続けているのが教育界とマスコミであると思われる。
日教組教育とマスコミが長年にわたって、今の親を含めて子供まで、ニ、三代にわたってくまなく包み込んできたベールのなかに、無自覚のまま、今の日本人が在るのではないか。
改めてこのことを認識し、先入観に一切とらわれない「自分の目と頭で」、この国のありようを見直すことが必要であろう。
一党独裁の覇権主義国家が日本の周辺にもある。古来、戦争や恫喝のタネは何とでも一方的に作られてきた。そしていつも、敗けた方、引っ込んだ方が一切の悪を背負わされるのである。
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上の2つの文、【統率の外道について】と【占領軍政策と平和について】は、ともに小灘氏が、2000年3月に書かれた文章です。
・勲章とか名誉とか、そのようななもののために、一つしかない自分の命が捨てられるわけがない。
・破滅の渕に立っている日本の国と国民を護るために、進んで命を捧げた。
・一人が命を捨てることで千人の日本人を助けることが出来ると考えた。
・戦中の海陸合せて七千人にもおよぶ若人の献身を無視するような自己中心主義者ばかりではこの国の将来は無い。
・日本は占領軍が去った後も、この国を駄目にする占領政策に今もなお盲従を続けている。
・先入観に一切とらわれない「自分の目と頭で」、この国のありようを見直すことが必要。
ねずきちには、上の言葉のひとつひとつが、胸に突き刺さるのです。
そして小灘氏は言います。
「一党独裁の覇権主義国家が日本の周辺にもある。古来、戦争や恫喝のタネは何とでも一方的に作られてきた。そしていつも、敗けた方、引っ込んだ方が一切の悪を背負わされる」
一党独裁の覇権主義国家とは、いうまでもなくシナ・中共のことです。
そのシナの恫喝の前に、萎縮し、ひっこみ、媚びへつらい、口先だけは「友愛」だなどときれいごとを言う。
高校のクラスの中に、いじめっ子の二人組、ジャイアンと、スネオがいて、まじめに働くニホン君を恫喝し、こずきまわし、毎日カネをせびりとっている。
そのニホン君が、これからはジャイアン君とスネオ君と仲良く友愛します♪などと申し向けても、世界は笑い物にするだけです。
そしてニホン君は、ますますカネを吸い取られ、給食の時間の食事まで奪い取られ、おなかをすかせながら、泣き笑いして「友愛だから」「ジャイアンやスネオと仲良しになるんだから」と半べそをかいている。
そんな腰ぬけ日本を、日本はいったいいつまで続けるのか。
10日の日中韓首脳会談を前に、岡田克也外相は7日、日中韓の歴史教科書について、「将来の理想は(日中韓)共通の教科書を作ることだ」と述べました。
正しい歴史認識ではなく、人口が増えた南京で25万人の大虐殺があっただの、日本軍がシナを侵略だの、ただの追軍売春婦を日本軍による性奴隷だのと、嘘八百の捏造史観に凝り固まったジャイアンとスネオを前に、「ウン♪、ボクそーいうのも全部みとめちゃう」などと「友愛」するのが、これからいじめを受けなくなる秘訣などと思っている人がいるのなら、わるいけどその人は、バカだ。
日本をまもるために、ひとりが命を捨てることで千人の日本人を護れると信じて散っていった若者たちの美しさと、この岡田発言の卑しさの違いは、いったいなんだ?!
政治の世界は、国民の縮図であるといいます。
ここまで堕ちた日本の民度を、もういちど復興していかなければ、この国は、ほんとうに滅んでしまう。なくなってしまう。
命を賭けて戦い、命をかけて守っていただて得た、わたしたち現代日本人の命です。
英霊に感謝し、正しい歴史認識を保持し、毅然として生き抜く力強さを、日本と日本人は、もう一度とろもどすべきだと、ねずきちは思います。
日本は、正しい歴史認識を取り戻せ!と思う方
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