人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

子供を背負う母親 F.ベアト
子供を背負う女性

上の写真は、前にご紹介した江戸から明治にかけての日本の写真を撮り続けた英国人写真家 F.ベアトの写真です。「子供を背負う母親」と題されています。
写真のお子さんは、紋付きの晴れ着姿です。
たぶん祝い事のときのお写真なのでしょうね。
母親も長着に羽織で、ちょぴり誇らしげです。
なんだかこの写真、じっと眺めていると、すごく幸せな気持ちになってしまうのですが・・・
いまも昔も変わらないのが、母のやさしさ、暖かさ、母の愛情です。
そして心から愛情を注がれて育った子は、やはり愛情深く、しっかりと母親を守る子に育つといいます。
それはきっと愛情って連鎖するものだからだと思います。
子殺しなどが起こる現代日本よりも、昔の日本のほうが、もしかしたらいまよりもっともっと愛情豊かな国だったのかもしれません。
そういえば、先日ご紹介したイザベラ・バードの本にも、こんな文章がありました。
もちろん日本のことです。
「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。
 子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、
 子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、
 いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行く。
 子どもがいないといつもつまらなそうである。」
昔はお寺の門前坂というと、たいてい飴(あめ)屋さんがあったものです。
その飴屋さんに、閉店間際、ひとりの哀しげな女性が飴を買いに来た。
1文で、アメ1個。
女性は毎日アメを買いにきます。
6日目の夜、女性は、
「これでもう銭がないのです。
 今夜が最後です。もう来られなくなります」
と、寂しそうに一文銭を置いて、店を出て行ったそうです。
どうしたのだろう・・・
主人は不審に思って、こっそり後をつけました。
すると女性はお寺の境内を抜け、墓地に入って行くと、埋葬されたばかりの新しい墓の前でふっと消えてしまいます。
(これはなにかあるに違いない。)
そう思った飴屋さんは、翌朝、お寺の住職や役人に立ち会ってもらって、墓を掘り返してみました。
すると、棺の中で女性の亡骸にしっかりと抱かれた元気な男の赤ん坊が飴をしゃぶっていました。
亡くなった妊婦が埋葬後に赤ん坊を産んでいたのです。
棺の中に入れておいた六文の銭は使い果たされて無くなっていたそうです・・・
昔は、埋葬時に6文の銭を棺に入れたのです。
これは、六道銭といって三途の川の渡り賃なのだそうです。
若い母親が、幽霊になってまで我が子を案じ、飴を買うという話はとても感動的です。
このお話は、小泉八雲の「怪談」で紹介されている「飴を買う幽霊」というお話です。
小泉八雲といえば、有名なのが「耳なし芳一」「むじな」「ろくろ首」「雪女」等々の作品があります。
これらのお話は、「怪談」という本にまとめられ、流暢な文章に載せて全世界に紹介されました。
小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人作家です。
彼は、深く日本を愛し、日本人の持つ深い精神性を持った民話を、英文の小説にまとめて、ついには日本に帰化して日本人となった方です。
小泉八雲と妻の小泉セツ
小泉八雲と妻小泉セツ

実は昨日、日心会のMLで、せいちゃんさんが次のような投稿をしてくだいました。
<以下、引用します>-----------------
せいちゃんです。
靖国神社のとなりに、みなさんもよくご存知の遊就館があります。
遊就館では、数多くの英霊の方々が残された遺品を見学できます。
その中でも私の印象に残ったのは、中国から日本の家族へ送られた葉書です。
この葉書は、日本に残した家族への想いが綴られています。
私が考えたのは、
「はて? 戦後、我々が受けてきた教育では、
 兵士たちは、戦陣訓や軍人勅諭などにより、
 “お国のために命を捧げろ!と国に教育された!”
 と教えられた。
 あたかも洗脳された狂気の人々のように教えられた。
 しかし、はたして何者かに洗脳され自我を失ったような人間が、
 『遠い家族を想った心温かい手紙』
 など書くのだろうか?
 今でいえば新興宗教に洗脳された信者は、
 離れた家族に心温かい手紙をみんな書いているのだろうか?
 ということです。
 一言で「国を守る」というけど、もっと具体的に言えば
 「父を、母を、兄弟を、姉妹を、子供を、友を、
 恩人を、恋人を、さらに生まれ育った町、山、川、海を守る。
 それが叶うなら自分ひとりの命が散ろうとも、それも結構じゃないか」
 というような気持ちだったんじゃないかなぁ・・・と感じました。
 「死」が怖くないわけじゃない。
 だけど自分が生き残って、
 自分が守りたい人々を守りきれなかったことのほうが、もっと怖い。
 そんな気持ちを、今の自分に重ねたら「売国勢力」への
 抗議活動や知識を深めようと勉強するのも結局、
 「自分の守りたい人々や故郷」を守るためなんだな・・・
 なんて想いました。
<引用おわり>-------------------
靖国神社の遊就館、江田島の海軍兵学校、知覧の特攻記念館などに行くと、戦時中に亡くなられた日本の将兵たちの手紙を見ることができます。
そこには、父母への感謝、我が子への心配り、恩師への感謝、妻や恋人への熱い想いが、一文字、一文字、ものすごく丁寧な字で書かれているのを見ることができます。
半分も見ないうちに、もうボロボロに泣いてしまいます。
ときどきね、その文字のインクがにじんでいるものもあります。
そういう手紙はきっと、書きながら、亡くなられた兵隊さんも泣いていたんだなぁと感じます。
涙をポロポロ流して、その涙が手紙の文字のインクの上に落ちたものだとわかるんです。
そりゃあね、見たら泣けますよ。
泣かない奴なんて、そんな奴は、人間じゃないとすら思います。
「戦前は命が非常に軽かった」などと、わけ知り顔で言う人がいます。
ボクはとんでもないことだと思う。
いまも昔も、人は人です。血流せば、痛みも感じる。誰だって命は惜しい。
あたりまえです。
しかし、「自分が生き残って、自分が守りたい人々を守りきれなかったら」
そんなのは絶対につらいです。絶対に嫌です。
愛する人を守るために、愛する人を守りたいから、自分にとってかけがえのない人たちだから。
だから何があっても守り抜きたい。
だからこそ、230万の英霊たちは、祖国に命を捧げ、散っていかれた。そう思います。
父母兄弟や子や、孫や、恋人や妻が生きる明日の未来を信じて。
日本は戦後、経済的にはものすごく発展することができました。
普通に働いてさえいさえすれば、世界中のおいしいものだって食べれるようになった。
最近のお米なんて、むかし子供のころ食べていた配給米などと比べると、めちゃめちゃ贅沢でおいしいです。
でもね、飽食の時代に生まれたからといって、残され、生かされた自分たちが、自分たちを守って散って行かれた英霊たちへの恩をわすれ、感謝せず、親兄弟や子や孫を守るという意志を持たないというのはいかがなものか。
小泉八雲は、1894(明治27)年に、熊本で「極東の将来」と題する講演を行っています。
そこで小泉八雲は、次のように述べています。
 ***
諸君は動物学で、絶滅した動物について読んだことがあるであろう。
かつて、敵を恐れる必要がないほど強く、また暑さ・寒さ・干ばつなどによって滅ぼされることのないほど恵まれた、驚くべき動物がこの地球上に存在した。
この中には、ただ生存価格が高くつくだけのために消滅したものがいたことは確かである。
地球が彼等を養えない時が来たのである。それで肉体だけに関する限り、人間も動物と同じような運命を辿るだろう。
生活費が余りにも高いというだけの理由で、滅亡する民族が出てくる可能性がある。
私は日本の貧困はその強みであるという固い信念をあえて述べたい。
裕福は将来、弱体化する原因になりうる。
日本の場合には、危険性があると考える。
古来からの、簡素な、健全な、自然な、節度ある、誠実な生活方法を捨て去る危険性がある。
私は日本がその質素さを保ち続ける間は強いが、もし舶来の贅沢志向を取り入れるとすれば衰退して行くと考える。
極東の賢人である孔子、孟子、ブッダは誰も皆、「贅沢を避けて、ごく普通の楽しみと知的娯楽に必要なもので満足することこそ、民の強さと幸せのために重要である」と説いた。
将来、日本が偉大な国になるかどうかは、すなわち素朴、善良、質素なものを愛して、生活での無用な贅沢と浪費を嫌悪する心を、いかにして持ち続けるかどうかにかかっているのだと申し上げたい。 
 ***
現代日本は、飽食の時代にあるといわれて久しいです。
食べ物が豊かであるということは、決して悪いことではない。
しかし、豊かであることに埋没し、日本がその精神性を失うことは、種の絶滅を促すと、八雲は警告しているのです。
日本は精神性を失ってはならない。
そう思います。
日本の心を守れ!!と思う方
↓クリックを↓
人気ブログランキング