
日本における戸籍制度の歴史は古く、大和朝廷時代にはすでに直轄領の一部で行われたいたとされています。
これが日本の国法として全国に拡散されたのが孝徳天皇の治世である大化2年(646年)1月に発令された大化の改新です。
大化の改新の要点は次の4つです。昔、歴史の授業で習ったのを覚えている方も多いのではないかと思います。
1.公地公民制
豪族の私地(田荘)や私民(部民)を公収して、田地や民はすべて天皇のものとする。
2.国郡制
今まであった国(くに)、郡(こおり)、県(あがた)、県(こおり)などを整理し、令制国とそれに付随する郡に整備する。
3.班田収授法
戸籍と計帳を作成し、公地を公民に貸し与える。
4.租・庸・調
公民に税や労役を負担させる。
この大化の改新によって全国的に作られたのが「庚午年籍(こうごねんじゃく)」とよばれる「戸籍(へのふみた)」で、6年ごとに更新されました。
大化の改新によって定まったこの国のカタチは、その後約550年にわたる奈良・平安時代の治世を築きます。
平安時代というのは、実に不思議な治世です。
まず、天皇は軍隊を持っていない。警察もない。
それでも、平安時代は平安なまま400年近く続いています。
誰も反乱を起こさない。
だから、それを鎮圧するための軍隊の必要がない。
京都の町で悪いことをする人はめったにいない。
だから警察もない。
何百年間も、それで平和だった。
そしてその間、支配者側の天皇や公家たちが何をしていたかというと、文化をつくっていた。
歌を詠んだり、物語を書いたり、絵を描いたりしていた。
そして、それらを娘に仕込み、その娘が、他国(地方豪族)へ嫁ぎ、地方豪族はありがたがって進物をして娘たちをもらい受け、娘たちから文化を学んだ。
地方豪族と中央貴族が縁戚でつながっているから、反乱など起きない。
全国の住民は戸籍で把握され、地縁、血縁社会の中で、争いを好まない相互信頼社会を築いた。
中世の世界が、常に戦争と略奪に明け暮れたことを考えたら、これはすごいことです。
この平安時代の平和が一度崩れて、日本人は戦国時代を約100年間経験します。
しかし当時戦っていた武将たちは、今は非常時であり非日常であると思っていた。
平安な時代が本来の日本の姿であって、今は仕方なく戦っている。
それが終われば、また元に戻ると思いながら戦っていた。
だから、互いに恨みを残さないように戦う、という日本流の戦いの作法をつくった。
あえて「互いに恨みを残さないように戦うという日本流の戦い」と書きます。
なぜなら、当時の世界では、こうした戦いの作法は、むしろ例外中の例外といえるからです。
世界の戦争はそうではなかった。
攻め込んで勝ったら、
男は皆殺しにする。
女は強姦し混血の子を産ませる。
少年は捕虜に奴隷にし断種してしまう。つまり男子は一代で使い潰しにする。
中国では賢そうな少年は生かすけれど、性器を切り取って宦官にした。
スペインがメキシコやアルゼンチンなどに行き、ポルトガルがブラジルに行ったときも同じです。おかげでインカ文明はその片鱗さえも残っていない。
モンゴロイドであるはずの中米の男女の遺伝子の調査をした人がいますが、現地の人々の全員がスペイン・ポルトガル人の遺伝子を持っていたそうです。
日本は違った。相手を根絶やしにするのではなく、トップの首さえとれば、あとは仲良く互いに恨みを残さないようにした。
そして戦国時代が秀吉によって収斂すると、秀吉はさっそく太閤検地を実施します。
徳川の治世になると、幕府は、寺社の作成した人別帳や宗門帳、あるいは過去帳で全住民の把握がなされます。これがいまでも生きていて、現代でも家系図作成などに用いられる。
その人別帳等が、寺社奉行の管轄であったというところが徳川治世の面白いところです。
つまり、同じ時代に生きる親せきがいて、それだけでなく、過去の系図まで、きちんと把握されている。それが寺社を通じて把握された。
そのことで、人々は先祖を敬い、親や親戚に恥じない生き方をしようとした。そういう社会が自然に熟成された。
なぜかというと、個人というものが、冠婚葬祭を通じ、戸籍となって、単にひとりでいきているわけではなく、過去、現在、未来にわたって綿々と命の系譜がつながっていることがキチンと社会制度として確立されていたわけです。
このおかげで、日本は江戸300年の平和な治世を築き、日本人の精神構造を決定づけた。
赤穂浪士の討ち入りも、浪士たちが打ち取ったのは吉良上野介の首だけ。幕府が処罰したのも、打ち入った47士だけです。大陸のように、親戚一同にいたるまで全員を皆殺しにするような文化は日本にはない。
現在の戸籍は、文政8年(1825)年に長州藩で施行された戸籍法が元になっています。
慶応4(1868)年、長州藩の戸籍制度を参考に京都府において戸籍仕法が行われ、民部官に庶務司戸籍地図掛(国土地理院の前身の一つ)が創設されます。
そして1871年、民部省が廃止され、大蔵省租税寮に戸籍の管轄が移って現在に至る。
日本の戸籍制度は、非常に歴史があるのです。
そして、日本の戸籍制度は、平和を愛する日本という国の精神的土台を築き上げてきた。
わたしたちは、そのことを忘れてはいけないのだと思います。
ちなみに、日本以外で戸籍制度を持っている国は、日本の旧植民地だった韓国と台湾だけです。
シナには“戸口制度”というものはありますが、農村・都市に分けて住民を固定するための個人登録のようなもので、日本の戸籍とは異なります。
ヨーロッパでの身分登録制度は、個人登録が基本です。
いってみれば、昨今、消費者金融業者や銀行が運営する個人信用情報センターの記録にちかい。
なにが違うかというと、本籍や筆頭者がわからない。“戸”という概念がない。
だから誰から生まれ、親戚関係がどうなっていて、過去にどのようなご先祖がいたかなど、まるでわからない。知ろうともしない。
つまり、日本式戸籍制度と、欧米式個人登録制度とでは、新族や先祖に関する思想がまるで違うのです。
わかりやすくいえば、たとえば銀行や消費者金融の自分個人の個人信用情報に基づいて、「自分は身内や親族に恥じない生き方をしよう」などと考える人は、おそらく誰もいないだろうし、銀行員も、自分の個人信用情報を見たお客様が、
「私のご先祖や身内に恥じない生き方をします」などと言い出したら正気を疑う(笑)
ところが戸籍を見ると、自分がどこで誰から生まれ、産んだ親はどこで生まれ、祖父が誰で・・・と綿々としたその家系を知ることができる。親兄弟を知ることができる。
日本人が犯罪を犯せば、それは身内の恥であり、親戚の面汚しです。
だから日本人は、腹が立って相手をコロシてやりたいと思っても、妻や子、親兄弟や親戚の顔を想い浮かべ、自分の行動は天に恥じない行為といえるのだろうか、などと考える。
その結果、日本社会では、イザベラ・バードが書き残しているように、港に2万2千人も他所から来て、祭りに浮かれた3万2千の人々がいても、たった25人の警官で治安は十分保たれるという社会が過去実現していたのです。
つまり日本では、個人は家を単位として、親族という横糸と、ご先祖という縦糸で、自分の立ち位置が把握されるという伝統的な文化がある。
なので、昨今、民主党の一部の政治家が、戸籍制度の廃止などを検討し始めたというけれど、彼らは伝統と秩序ある日本社会を破壊しようとする恐ろしい議員たちであるとしか、ねずきちには思えないのです。
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