
時代は繰り返すというけれど、今の時代は幕末に似ているなぁって、思うんです。
幕末の動きは、思うに大塩平八郎の乱あたりから、スタートしているんですね。
12代将軍徳川家慶の時代、1837年に大塩平八郎の乱が起ります。
新将軍を祝うのはいいけれど、だからといって庶民の生活を圧迫して、飢え死にする者が続出するなんて許せない!!
本来武家のあるべき姿は、違うはずだ!といって立ち上がったのが、大阪町奉行の元与力だった大塩平八郎でした。
大塩平八郎の乱についての詳しいお話は、
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-302.html
↑に書いているので、よろしければ、そちらをご覧ください。
彼は要するに、それまでの政治の矛盾に対して立ち上がったのですね。
乱自体は失敗して自決してしまうのですが、彼の書いた「檄文」は、多くの庶民の心を打ち、その檄文は全国の武士たちのいわば心の支えというか、経典のようなものになった。
【大塩平八郎の檄文】
天から下された村々の貧しき農民にまでこの檄文を贈る。
天下の民が生前に困窮するやうではその国も滅びるであろう。
政治に当る器でない小人どもに国を治めさして置くと、災害が並び起るとは昔の聖人が深く天下後世の人君、人臣に教戒されたところである・・・・(以下略)
当時のこころある志士たちは、このいわば手配された罪人である平八郎の檄文を、まさに書写して全国に広めた。
そして全国いたるところで、一揆が起ったりします。
なんと、ねずきちのご先祖も、幕臣でありながらこの時代に一揆の首謀者をやって首を刎ねられた(笑) まぁ、そんなことはどーでもよろしい^^;
どうもね、幕末のこの大塩平八郎にあたるのが、最近では、田母神俊雄閣下なのではないか。
(田母神さん、ごめんなさい)
いやね、田母神さんは、航空幕僚長という政府の要人でありながら、民を憂いて「正しい歴史認識を」と檄文(論文)をお書きになった。
大塩平八郎の檄文は、全国に広がり、後の吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山らを生んだけれど、同様に、田母神さんの論文は、これとまったく同様に、全国各地の志士達の眼を覚まさせ、これまで誰も口にできなかった日本人としての正しい歴史観を取り戻そう、誇りある日本を取り戻そうという動きになっています。
それと面白いのが、幕末のちょっと前、慶応3(1867)年ころから、起った全国的大全国的ブーム、それが、「ええじゃないか」。
天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ、
なんでもかんでも、ええじゃないか♪
ええじゃないか、ええじゃないか、えじゃないか♪
民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊ったこのブームは、どうも昨今の「お笑いブーム」に似ている。(笑)
なんの脈絡もストーリーもない“お笑い”、昨今のお笑いにあるのは、いわゆる瞬間芸そのものだし、ねずきちのようなおじさんには、なにが面白いのかさっぱりわからないのだけれど、若い人たちに言わせると、それが面白いのだとか^^;
そして、幕末・・・・
幕末の政治史をみるとつぎのようになっているのですね。
1853年 黒船来航
1853年~1858年 条約締結と将軍継嗣問題
1860年 井伊直弼暗殺
1860年~1863年 公武合体策と尊王攘夷派の擡頭
1864年 尊攘派の蹉跌
1864年~1866年 薩長同盟と幕長戦争
1866年~1867年 大政奉還と王政復古
1868年~1869年 戊辰戦争
なんかね、井伊直弼あたりが、麻生総理かもしれない。
幕府大老として、諸外国との難局の調整を行った。
300年の鎖国をひっくりかえしたわけですからね、そりゃ、すごい政治家だった。
ところが、井伊直弼は、鎖国を続けろ!という攘夷派によって暗殺されてしまいます。
そして、尊王攘夷派(民主党?)が台頭する。
いまの政治の枠組みの中で、調子よく嘘八百のバラマキを並べたてた民主党が政権をとる。
ところがこれも、時代のニーズに合わない。
開国はせざるをえなかったのです。(つまり、麻生さんが正しかった^^v
で、幕藩体制そのものが、ダメだ、ってことになって、薩長土肥の各藩が立ち上がり、徳川政権を倒して明治維新を実現する。
自民もダメ、民主もダメ、ってなって、第三勢力が登場して、いまの政治体制そのものを再構築する。
社民党の辻元清美氏が、防衛省大臣のポストを狙っているとか。
社民党としては、その条件を呑まなければ、連立に協力しない?(笑)
しかし、売国反日侮日が売り物の辻元議員。

自衛隊そのものが違憲なので、解散せよ!というのが信条の議員が、どうして?と思っちゃいます。
彼女は電動バイブレーターのファンなのだそうですが、電動コケシと、自衛隊の大砲では、かなり世の中に対する影響力が違う。
一方民主党は、子ども手当一律26000円支給なんて無責任なマニフェストを書いちゃって、多くの大衆は、もう口を空けて待っている。これはもうどうしても実現しなきゃなんない。
ただこれは、麻生さんがやろうとした補正予算と異なり、単年度の話ではない。未来永劫実現しなきゃなんない。
一時的な赤字国債の発行の話と違うんです。
つまり、日銀は、そういうことでの国債発行は、断固拒否する。
そうなると民主党は、公約通り公務員のリストラによる人件費の圧縮をしなきゃなんないのだけれど、民主党の支持母体は自治労だから、普通の公務員相手では、とてもじゃないが、これは無理。
そこで、辻元防衛大臣に命じて、国防費の大幅圧縮と、自衛隊員の切り捨て、首切りによって財源を賄おうとする。
ソマリアに自衛隊を派遣しようとしても、肝心の自衛隊員が、もういません!て話です。
自衛隊員の大幅整理(予算上は6割くらい首切りせなならんらしいけど)、そうなるとさすがのおとなしい自衛隊員も、黙っていない。
クーデター・・・軍事政権・・・戒厳令・・・
戒厳令がひかれると、日本国憲法ならびにその下にある法律は全部、凍結です。
明治維新当時の日本の人口は約3千万人。維新の志士たちの人数は約3千人だったといいます。
いまの日本なら、人口1億2700万人。つまり、1万人ちょいが立ち上がると、大政変が可能です。
ちなみに、幕末、大塩平八郎が乱(1837年)を起こしてから、薩長同盟(1866年)までは、29年です。
当時は、電話もインターネットもなにもなかったわけで、いまの時代と異なり、時代の速度が非常にゆるやかだった。
現代社会では、情報の伝達速度が、当時とはくらべものにならないくらい早い。
29年が2~3年に圧縮されています。
ねずきちは、決して血なまぐさい内乱が起こることなど望んでいません。
しかし、大政変後の日本が、どっちむきになるのか。
シナの属国となる道を選ぶのか、自存自立の道を選ぶのか。
それを決めるのは、わたしたちひとりひとりの日本人だと思っています。
新しい誇り高き日本の誕生まで、わたしたちにできることは、忘れられた日本の正しい歴史、誇りある日本人、やさしかった日本人の心を、ひとりでも多くの人に語り継いでいくことなのだろうと思います。
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