
都議選の敗北を受けた7月3日、ねずきちは自民党の起死回生策として、麻生総理の靖国参拝を提唱させていただきました。
これについて麻生総理は、8月10日のぶらさがり記者会見で、朝日新聞の記者等からの麻生総理への質問にお答えになりました。
以下はその一問一答です。
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記者「総理、朝日新聞です。15日の終戦の日に、総理は靖国神社に参拝するおつもりですか?」
総理「靖国の話についてはおたくの新聞に投稿したことがある。読んだことがありますか?」
記者「・・・・・」
総理「じゃあ、それが答えです。」
別の記者「総理」
総理「あなたの質問より、こっち(朝日新聞の記者を指して)、まだ不満のようだから。読んでないみたいだから」
記者「15日以外の日についても同様に、お考えについては?」
総理「読んだ? あの記事を読んだうえでその質問をしておられるんですか? あれに書いたと思いますけどね。そのうえで、みなさんに分からせようと思って、聞いておられるというように理解するが、好意的に理解するとそういうことですか?」
総理「僕は靖国というものは、少なくとも、国家のために尊い命を捧げた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のネタにするのは間違ってると思ってます。あれはもっとも政治とかマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものです。もっと静かに祈る場所です。それが答えです。」
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この応答を受けて、一部のメディアは、麻生総理、靖国参拝を否定と報道しました。
そこで、くだんの麻生総理の朝日新聞への投稿記事を以下に引用します。
8月8日付けのものです。
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靖国にいやさかあれ(新聞投稿)
麻生太郎
靖国神社に遺骨や遺灰はない。あるのは近代の明暗を生きた日本人の集合記憶だけである。だがこれを失うと、日本は日本でなくなる。
靖国をめぐる論争が過熱し、英霊と遺族から魂の平安を奪って久しい。
鎮魂の場という本旨へ復すべきだ。
そのためには靖国を、政治から無限に遠ざけねばならない。
事は猶予を許さない。
戦没者遺族の数は全国で15万人と往時の1割にも満たない。
戦いに殉じた人々を悼むという本来国家が担うべき事業を一宗教法人に委ね た結果、靖国は支持基盤の衰弱とともに、その存続自体が危ぶまれる状態に陥った。
靖国は宗教法人であるから、外部の人々は変化を強要できず、靖国自らの決断抜きには何事も進まない。
それを踏まえたうえで、以下靖国のいやさかと、天皇陛下のご親拝の実現を願う立場から私見を述べたい。
靖国はまず、宗教施設でなくなる必要がある。
政教分離原則に照らし一抹でも疑いが残る限り、仮に他に問題がなくとも、皇族方はもとより首相や閣僚の参拝が安定しない。
無理に参ると、その行為自体が靖国を政治化し、再び本旨を損ねる悪循環を招く。
この際、宗教法人・靖国神社は、設立趣旨を共有する全国52の護国神社とともに任意解散手続きをとり、別形態に移ることを呼びかけたい。
移行過程は多様であり得るが、最終的に特別立法によって靖国を「国立追悼施設靖国社(招魂社)」とする。
その際、靖国神社と同じく陸海軍省所管だった日本赤十字社が、講和条約調印後、特別立法で福祉を営む平時の姿に復帰した前例が参考になる。
靖国の場合、祭式を宗教的ではなく伝統的なものとすることで、法人格の変化に実質を与える必要もあろう。
元来靖国は、記紀伝承の神々を祀る本来の神社ではない。
伊勢神宮以下約8万の神社を束ねる神社本庁にも属したことがない。
非宗教法人化は、戦死者を祀る「東京招魂社」として生まれた創建時の趣旨に復することになる。
また設置法を論じる国会審議において、靖国非政治化という目的のため、慰霊対象者をいかにするかの点につき、合意を得るのが望ましい。
ちなみにその時点で教義は既に唯一の判断基準ではなくなっている。
この過程で全国の護国神社を靖国の支部とし保全し、付設の遊就館は、行政府に管理運営を移管する。
無論、個々の変更に際し議論は百出するだろうが、そのたびに原点に立ち帰りたい。
原点とは、とこしえの静寂の中、英霊と遺族に安息を図ることである。
財政基盤の確立には、国がその責任を持てばよい。
今日靖国を支える崇敬奉賛会は、新法人靖国社の支持母体として存続する。
また財団法人日本遺族会は、その基盤を安定させるため、公益財団法人とすべきだろう。
ここまでを整えて初めて、晴れて天皇陛下を靖国へお招きできる。
英霊は、安堵の息をつくことができる。
諸外国指導者にもお越しいただき、246万余の御霊を前に、近代の転変を偲んでもらいたい。
■麻生太郎オフィシャルサイトより
http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060811.html
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↑を読んだらわかることだけれど、麻生総理のお考えは「靖国を政争の具としてはならない」と言う点で一貫しています。
朝日の記者の質問は、総理の靖国参拝をまさに「政争の具」にしようとする悪意ある意思に基づくものです。
だから総理は、「投稿を読んだ上での質問ですか?」と重ねて聞いている。
そして答えは、
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(靖国を)政争の具とか、
選挙の騒ぎとか、
新聞のネタにするのは、間違ってる。
(靖国は)もっとも政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきもの
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と回答しています。
要するに、この段階で、総理は、8月15日の靖国参拝を、「する」とも「しない」とも言っていない。
あくまで、政争の具にしては申し訳ない、と語っている。
ここで、ねずきちは、2つのことを申し上げなければならないと思います。
ひとつは、ねずきちの麻生総理参拝案は、まさに自民党復権を賭けた政争の具としての行動を企図したものであったということ。
もうひとつは、総理の発言の裏には、すでに次の展開が十二分に述べられているということ。
靖国を政争の具とするねずきち案は、総理のおっしゃられる通り、靖国の本来の意義からして、英霊を政争の道具にするのは、間違っている。それが正論だと思います。
その意味で、都議選敗北に短気を起こしたねずきちの、短慮であったといわざるをえません。
ねずきちは、もっと謙虚な気持ちで、まずは英霊への感謝と鎮魂を考えなければならなかった。
しかし本来、鎮魂に際しては、そのような軽挙妄動こそつつしむべきことなのですね。
ねずきちは、おおいに反省すべしと学びました。
次に、麻生総理が、都議選の敗北と8月30日の衆院選を前にして、あえて、この議論を世に問うた、という点についてです。しかも総理はわざわざ朝日に投稿している。
メディアは、麻生総理の靖国参拝はない、と一斉に報道していますが、ねずきちは、総理の靖国参拝は、まだ、どう転ぶかわからない、と思っています。
「政争の具として、靖国を参拝してはならない。」
そう、明確に断言した上で、15日に参拝をする。
この場合、総理の靖国参拝は、政争の具としての参拝ではなく、あくまで鎮魂のための参拝です。
総理ご自身が、政争の具にしてはならないと明言し、あくまで鎮魂のために参拝しているものを、もし、メディアや野党、特ア国が、問題視し“政争の具”にして騒ぎ立てるならば、彼らは、極めて不謹慎な者たちといわざるをえない。
筋が通っているのは、麻生総理のほうです。鎮魂のため、と明言している。
もしそれを批判する者があれば、その者は、世界中から大ひんしゅくを買うことになる。
仮にローマ法王が、鎮魂のための戦没者慰霊を行ったとして、それを政争の具として、騒ぎ立てる者がいたら、その者は、世界中から非難を被ることになる。
外交の麻生です。
そして日本は、なぜか古来、外圧に弱い。
事前に、朝日に総理の名前で投稿する → 15日に参拝する → 日本のメディアや特ア国が一斉にブーイングをする → それを海外メディアが「日本のメディアや野党は死者への鎮魂をさまたげる」と酷評する → 多くの日本人が目を覚ます。
ただ、世間の政争の具の風をよそに、私たちは、総理とともに、静かに鎮魂の思いを捧げる。
もちろん政争の具にしてはならないから15日に総理の参拝は“しない”という選択肢もあります。
8月15日まで、総理の靖国参拝をめぐる水面下の戦いは、まだまだ熱い戦いとなりそうです。
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こんな騒動まで!!><;;

