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吉田松陰の留魂録
吉田松陰 留魂録

今回の選挙で、自民の苦戦、民主の好調が日々喧伝されています。
特アにおもねり、日本を外国に売り渡すことで自らの安寧を図ろうとする民主党の売国ぶりに気がついた多くの真正保守の方々は、この事態に、身をよじるような苦しみと悲しみを抱いています。
そうした思いのたけの一部を、昨日、英雄さんがコメント欄で吐露してくださいましたが、おそらく、同様につらく苦しい思いを抱えておいでの方は多いのではないかと思います。
でも、戦いは、まだはじまったばかりです。
ちょっとサヨク系に譲歩したり、ちょっとODAをゴマ化して代議士がそこからのキックバックの恩恵に浸ったり、反日思想や、追軍売春婦を巧妙に従軍慰安婦と言葉を変えてみたり、ありもしない南京問題をでっちあげてみたり・・・・
多くの日本人が、道義心や、愛国心、互いに信頼する心といった、日本社会では空気のようにごくあたりまえだったことを、いつの間にか忘れ、失い、ようやくいまになって、これはヤバイぞ、と気が付きだした。
そしてハタと気がついてみると、売国屋が堂々と「政権交代」などとのたまう世の中になっている。
なんでこうなちゃったんだろう。
どうしたらいいんだろう。
でもね、政界というのは、ある意味、日本社会の縮図です。
そして多くの議員が、カネにまみれ、カネにすがり、誇りや心を失い、鉄面皮のような・・・ってか、最近の鳩ポッポの顔、見るたびに、妖怪ぬらりひょんの顔に見える・・・表情のない顔になっている。
ああいう顔は、嘘をつく人間特有の顔に見えます。
一方で、政界の中には、これまでにない、真正右翼と呼ばれる人たちが登場しはじめた。
かつては口にすることさえはばかられた日本の核武装や、教育勅語の復活などを唱える人も出始めた。
そこで今日は、吉田松陰が、処刑前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた「留魂録」をご紹介します。
「留魂録」は、吉田松陰が、高杉晋作、久坂玄瑞以下、全ての門下生達に向けて書かれた魂の遺書です。
松陰の死後、「留魂録」は松陰の意思を継ぐ同志達のバイブルとなり、長州藩志士達の倒幕への大きな原動力となった。
日本が、よくない方向に向かおうとしているときに、たったひとりで立ち上がった松陰の遺志が、不動の江戸幕府を倒し、明治という国家を築いた。
これを司馬遼太郎は「日本の夜明け」だと呼びました。
大東亜戦争のあと沈んだ太陽は、いま再び、旭日となって地上を、世界を照らそうとしているのかもしれません。
そう考えると、これからの日本にのぼる太陽は、単に、いち日本の経済的成功だけでなく、それらを踏まえて、世界を照らす叡智の光なのかもしれません。
皆既日食は、古いものが廃れ、新しいものに生まれ変わる前兆だともいいいます。
そのことを指して、自民がたおれ、民主の時代になる前兆だなんてことを言っている人がいましたが、それは違う。
皆既日食というものが、全地球的なものだとしたら、倒れる古いものというのは、共産主義思想に端を発する階級闘争主義であり、大陸型植民収奪主義なのではないか。
そしてこれからの時代を開くのは、人類がはじめて経験する相互信頼社会なのではないか。
日本のはたすべき役割は、とてつもなく大きい。
八紘一宇の太陽、再び・・・とねずきちは思うのです。
これは、長い長い戦いです。
最初はたったひとりから。
でも、それが多くの人々の幸せへの道である以上、必ず、大きなうねりとなって世界を照らすことになるのではないかと、思うのです。
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留魂録 吉田松陰
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂

一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからです。
農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。
秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れます。
この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを、自分は聞いた事がありません。
私はいま、三十歳で生を終わろうとしています。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれません。
しかし、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのだろうと思います。
なぜなら、人の寿命には定まりがないからです。
農事が四季を巡って営まれるようなものではないのです。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があるといえます。
十歳で死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季があります。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことにしかなりません。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならないのです。
私は三十歳です。
四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずです。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私にはわかりません。
しかしもし、同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるでしょう。
同志諸君、このことをよく考えてみてくださいね。
【原文】
一、今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ
蓋シ彼禾稼ヲ見ルニ春種シ夏苗シ秋苅冬蔵ス秋冬ニ至レハ
人皆其歳功ノ成ルヲ悦ヒ酒ヲ造リ醴ヲ為リ村野歓声アリ
未タ曾テ西成ニ臨テ歳功ノ終ルヲ哀シムモノヲ聞カズ
吾行年三十一
事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ
然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン
何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス
十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
二十ハ自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ
十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ
百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ
斉シク命ニ達セストス義卿三十四時已備亦秀亦実其秕タルト其粟タルト吾カ知ル所ニ非ス若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ
乃チ後来ノ種子未タ絶エス自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ
同志其是ヲ考思セヨ
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こうして吉田松陰は、首をはねられ、亡くなります。
しかし、松陰が抱いた憂国の志は、明治の志士に引き継がれ、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、アジア諸国の植民地からの独立を実現させ、いま、アジアの国々のおおいなる発展を実現させました。
さいしょは、たったひとりから。
そしていまは、眼ざめた個々の人々が、まだまだバラバラな状態なのかもしれません。
でもね、正しいことは、どんなに弾圧を加えようが、かならず火種が燃え続ける。
そして必ず人々の幸せのための大いなる力となる。
ねずきちにはそんなふうに思えるのです。
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人と異なることを恐れるな

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