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ちょっと季節はずれの話題です。
「日の丸」「君が代」「靖国」ときましたので、今日はどうしても「蛍の光」に「仰げば尊し」^^♪
かつて、楽しかった日々を思い出し、明日への希望を胸に、眼に涙をいっぱいためて、卒業式で、みんなで歌った歌です。
【蛍の光】
1.蛍の光 窓の雪
  書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を
  開けてぞ今朝は 別れゆく
2.とまるも行くも 限りとて
  かたみに思う 千萬(ちよろず)の
  心のはしを ひとことに 
  幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり

50、60歳になっても、この曲を聞くと当時の心がそのまま蘇って、涙を誘う。
ちなみに「蛍の光」は、もともとはスコットランド民謡の“Auld Lang Syne”。
“Auld Lang Syne”は、いまでもアメリカやイギリスなど英語圏の国々では、大晦日のカウントダウンでの誰でも知ってる定番曲なのだそうです。
日本では、1881年(明治14年)に我が国最初の音楽教科書『小学唱歌初編』に掲載されて広まり、全国の小中学校の卒業式で歌われ続けた。
また、日本ではデパートなどの閉店時間になると、この『蛍の光』のメロディーが店内BGMとして流された。大切なお客様との別れを惜しむという趣旨なのだそうです。
じつは、大東亜戦争前には、「蛍の光」は、韓国や台湾にも伝えられ、彼の国でも、卒業式で「蛍の光」を歌う文化が定着しました。
「蛍の光」は、いまでは、2番までしか歌われなくなったのだけれど、昔は、じつは4番まで普通に歌われていた。
3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 
  海山遠く へだつとも
  その真心は へだてなく
  ひとえにつくせ 国のため
4.千島のおくも 沖縄も
  八洲の内の、守りなり
  至らん国に、勲(いさお)しく、
  努めよ我が背、恙無く(つつがなく)

「ひとえにつくせ 国のため」、「千島の奥も沖縄も、八洲の内の守りなり」などの文言が、おそらくGHQにひっかかったのでしょうね。戦後は残念ながら3番、4番は歌われなくなった。残念なことです。
「仰げば尊し」も原曲はスコットランド民謡です。
1884年(明治17年)に小学唱歌を編集する際に、当時の教育者伊沢修二が唱歌として加えた。
伊沢修二は、信濃の高遠藩士の家に生まれ、ハーバード大学留学経験を持ち、後に愛知師範学校校長、東京師範学校校長、文部大臣などを務めた人です。
日本にダーウインの進化論を紹介人でもあり、また教育勅語の普及にも努めています。
「蛍の光」が、小学校、中学校の卒業式で歌われたの対し、「仰げば尊し」は、高校、大学等の卒業式で歌われることが多かった。
歌詞が文語調でちょっと難しかったからかもしれません。
1 仰げば尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも
  はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し
  この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば
2 互(たがい)に睦し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも
  やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば
3 朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
  蛍の灯火 積む白雪
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば

かつては、どこでも歌われ、誰もが知っていたこの「仰げば尊し」も、戦後、日教組によって否定され、いまでは卒業式で歌われなくなった。
“歌詞”の内容が、教師を称えるもので、民主主義にそぐわない”というのがその理由なのだそうです。
で、いまでは、小中学校、高校、大学の卒業式でどんな歌が歌われているかというと、
・贈る言葉 海援隊
・卒業写真 荒井由実
・卒業   尾崎豊
・なごり雪 イルカ
・春なのに 柏原芳恵
・想い出がいっぱい H2O
・乾杯   長渕剛
・いい日旅立ち 山口百恵
・未来予想図II Dreams Come True
・制服   松田聖子
・じゃあね おニャン子クラブ
などなどなのだそうです。
特に学校では指定せず、生徒達に決めさせているケースも多いのだとか。
曲名を聞いても、どんな曲なのか、ねずきちには半分もわかならいのですが、きっと、それぞれは、それぞれなりに良い曲なのでしょう。
だけど!・・・とねずきちは言いたいのです。
「子供たちから、共通の思い出となるものを奪うな!」
子供たちの人生は、その瞬間だけじゃないのです。
学校を卒業し、社会に出たら、それこそいろいろな人との出会いがある。
生まれも育ちも出身学校も全然違うひとたちが、相互に交流し、情感を通わせるのに、やはり共通の思い出にあたるものって、ぜったいにあったほうがいい。
「仰げば尊し」を聞いて、ぐしょぐしょに泣いた卒業式、我が師の恩、仲良くした友達・・・・
人間、死ぬまでそうした思い出は、消えることがないです。
そうした思い出の中にある情感を共有することで、知らない人と相互に信頼関係を形成し、互いの信頼の中で物事を運んで行く。
そんな相互信頼によって結ばれた社会というものが、日本社会の特徴です。
それを、この十数年で、日教組は、大切な日本の子供たちから奪った。
だいたい卒業式などに歌う歌を「子供たちに選ばせる」という発想からして間違っている。
なにもない子供たちに対しては、先ずはきちんと「教える」ことからはじめなければ、子どもたちは何をどうしていいかすらわからない。
これから野球をするのに、野球のコーチが子供たちを集めて、「これからみんなで野球をします。ついては、みんなで野球のルールを考えてみよう!」などといっても、そもそも野球とはなんぞやすら知らない子供たちには、何をどうすればいいかわからないのは、誰がどう考えたってあたりまえのことです。
にもかかわらず、社会人として生きるために必要なことを、「さぁ、みんなで考えよう」なんて発想は、一見、きれいごとにみえるけれど、実は子供たちから“教育を奪う”もの以外のなにものでもない。
卒業式の歌は、「蛍の光」「仰げば尊し」でいいんです。
「蛍の光」は、一途に学問に励む事を褒め称える中国の故事が由来です。
「蛍雪の功」といわれる。
東晋の時代の車胤という人物が、家が貧乏で、灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強した。
同じ頃の孫康が、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。
そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世した、という故事からきています。
子供たちに一心に勉学に励むことを奨励し、過ぎし日々をかたみに思って、幸せをもとめて旅立つ、と謳う「蛍の光」の、なにがまずいのか。
師の恩を、仰げば尊しと歌うことの何がよくないのか。
よくないと感じる教師がいるなら、その教師自体がすでに社会常識を逸脱している。日本の相互信頼社会という日本の美徳であり、日本の産業の強さの基盤になっているマインドを理解していない。
そして、老人も、子どもも、ひとしく同じ文化として共有する財産である、心の歌を否定することは、老人と子供たちとの間の断絶、隔絶を生む。
「そっかぁ、おばあちゃんも、仰げば尊し歌ったんだぁ~♪」
「うんうん、そうだよ。女学校でね、あの頃は大泣きしたもんさ」
「そーなんだ。あたしもすっごいいっぱい泣いちゃった」
・・・・・・
「ワシの頃は、蛍の光をうたったもんじゃがの。女子生徒がみんな泣いてたもんだよ」
「蛍の光? しらねーよ、そんな歌。ん? なに、あぁ、パチンコ屋の閉店間際にかかる音楽か。あんなもん歌ってたの? ま~じで? ばっかじゃねーの。 卒業式がパチンコかよっ!」
・・・・・
ねずきちは、前者のような社会の方が、絶対に好きなのですが><;;
民主党が政権をとると、民主党代表代行で、日教組出身の輿石東が、文部科学省の大臣になるのだそうです。
この男、2009年3月に小沢一郎の公設秘書が西松建設違反献金容疑で逮捕されると、即座に「間違ったことはしていない」と擁護した。
法律違反が、「間違ったこと」でないのなら、何が間違ったことになるのか?
この男の言わんとすることは、いちいち支離滅裂です。
しかも輿石東自身も、支持母体である山梨県教職員組合所属の小中学校の教職員から、組織的に選挙資金を集めていたことが明らかとなり、山教組幹部ら2人が政治資金規正法違反で罰金30万円の略式命令を受け、山梨県教育委員会は教員24人に対し、停職などの懲戒処分となっている。
そもそも、教職員の政治的な活動は、教育公務員特例法や政治資金規正法違反です。
輿石東自身は、国会議員としての不逮捕特権によって逮捕免れているけれど、他にも「教育に政治的中立はありえない」発言など、あちこりで“とんでも発言”を繰り返している。

日本の教育の敵・反日売国政治利権屋・輿石東
この薄汚い男に投票する人の気がしれない
輿石東

この輿石東のような階級闘争主義者が、日本社会の相互信頼性を、教育という国の基礎となる部分から、崩壊させ、日本人をなにやら異質な、なんの誇りも、共通の文化ももたない、異様な社会に導こうとしている。
せっかく、「蛍の光」「仰げば尊し」で、きれいな心を蘇らせたれた読者の皆様には、ほんとうに申し訳ないのだけれど、このようなとんでも男を代表代行に据える民主党というものの反社会性、反道徳性を、わたしたち庶民は、もういちどはっきりと思いだす必要があるのではないかと思うのです。
蛍の光(全番,レコード音源超音質)

仰げば尊し

輿石東のような売国反日階級闘争主義者を許すな!
日本の美しい心を取り戻そせ!と思う方
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