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今日は、なにやらいろいろな思いが交錯して、何を書いたらいいのかわかりません。
なので、はじめに動画を掲載します。

大東亜戦争

「馬鹿者っ! 貴様は石油ごときのために日本に戦争をさせる気かっ!」
この言葉は、亡くなられた東条英機氏の言葉です。
もう備蓄すべき石油もなく、このままでは、海軍の軍船はおろか飛行機も飛ばせなくなる。
日本の工業生産は、崩壊し、日本の経済は完全に行き詰る。
そうした背景を受けて、参謀本部長が、ときの首相東条英機氏に、石油資源の確保を進言した。
そのとき、東条英機氏は、大声で一喝します。
東条氏は、陛下から「軍部を抑え、日本の開戦を回避するには、最早東条しかおらぬ」と、総理の隊名を拝しました。
当時、工業国家となっていた日本において、石油を含む原料輸入を断たれた中にあっては、もはや開戦するしか、道はなかった。
わけしり顔をした人が、そんなことはない、日本は自給自足すればよかったんだ、などというかもしれない。
しかし、鎖国していた江戸時代の日本の人口は2700万人。
大東亜戦争開戦当時の日本の人口は約8000万人。
5千万人分の食の確保は、工業貿易によるしかなかった。
自給自足など、絵空事です。
日本の石油輸入の推移
(単位:千バレル)
 年  輸入
1937  20321 
1938  18404
1939  18843
1940  22050
1941   3030
1942   8146
1943   9848
1944   1641
1945     0
年間2千万バレルの石油を必要とした日本は、ABCD包囲網によって、石油輸入の9割近くを断たれます。
開戦の5か月前、英国首相のウィンストン・チャーチルは、「日本は絶対に必要な石油供給を一気に断たれることになった」と論評しています。
日本は故意に石油を断たれる。
日本は“石油の一滴は血の一滴”といわれ、当時、内閣府に横づけされ、閣僚が乗る公用車の運転手が、エンジンをかけずに車を手で押して動かしている笑えない写真もいまに残されています。
もはや開戦やむなし。
日本には、そう決断せざるを得ない状況があった。
こんなことを書くと、サヨク系の方からの「だから日本は南方資源を奪うために侵略を行ったんだろ?」という声が聞こえてきそうです。
しかし、それも違う。
なるほど日本は、インドネシアの南方資源を押さえたけれど、それはインドネシア人から奪ったものではない。
日本は、インドネシアを植民地化していたオランダを追い出し、インドネシアの独立を支援し、インドネシア人によるインドネシア共和国との対等な貿易を図ろうとしていた。
一時的には、武力を用いて戦うけれど、戦いに勝利すると間髪を入れずインドネシア人に行政機構を教え、法を整備させ、学校を作り、国家としての独立を支援している。
・・・・・
戦う以上は、やはり、負けるものではないですね。
たった3年間のGHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって、日本は、日本の正しい行動と精神を歴史の闇に葬られた。
わたしたちはいま、それを思い出そうとしているけれど、
戦う以上、絶対に勝たなければならないですよね・・・
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先人たちの創り上げた国、日本

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