江戸時代までの日本という国は、いわゆる「統一国家」ではなかったんですね。
「藩」が国家だった。
そして天下の頂点におわすのが天子様、つまり天皇でした。
「藩」の中で最大の親分である徳川幕府が、日本列島の3分の1の領土を持ち、圧倒的強大国家だった。徳川幕府の建国の意思は、兎にも角にもこの国から「いくさ」の悲惨をなくすこと。
だから全国の諸大名の配置も変えたし、大名には江戸に人質を置くことを強制したし、参勤交代を命じて諸大名の財力を削ぐことにも邁進した。
おかげで日本は江戸300年の平和の時代を過ごすことができた・・・・とまぁ、このあたりはよく知られた話です。
ただ、一点、間違いを修正しておかなくちゃいけないのだけれど、そうした藩(国)をこえた日本全体という意識もちゃんとありました。それは「天下」と呼ばれたし、その天下を治める存在として天皇がおわしました。
ここは誤解してはいけないところです。
ところで徳川さんの平和への嘱望は徹底していて、男性がヒゲをはやすことも禁じたんですね。男がヒゲを生やすのは武威を張ることだというんです。
城を改築したらそれだけで、いくさを起こし、世を乱そうとするといって藩おとりつぶし。なにせ相手は全国の3分の1を領有する大親分だから逆らえない。
ついでにいうと、今でいう警察のことも、奉行、与力、同心で行った。
奉行というのは、行いをたてまつる者。つまり民のために自らを律し、民の行いが歪まないように、民にすべてをささげる者。
与力は、民に力を与える者。
同心は、民と同じ心で民に奉仕する者、とされた。
国家権力で上から抑えるのではなく、民を第一とした。
こうした治世が300年続くことで、オカミは、民から絶対的な信頼を勝ち得た。
ところが、国土の3分の1を領有する徳川幕府も、外国が参入すると治世には限界がある。当時、上海などに視察にでかけた武士たちは、清朝が欧米の植民地政策によって、庶民が奴隷家畜状態に置かれている現況を見て、大きな衝撃を受けた。
教科書では黒船来航が日本を開国させたように説くけれど、黒船自体はきっかけのひとつにすぎない。
欧米列強による植民地支配の恐怖を見せつけられた日本人は、欧米の夷敵を打ち払うためには、国内が藩ごとに独立していては、この国は守れないという強烈な問題意識を持ちます。実際、長州、薩摩はそれぞれ独自に黒船に戦いを挑み、あっという間に粉砕されている。
このうえは藩を統して国としてまとまらないとヤバイ。
そうして建国されたのが、大日本帝国です。
従って大日本帝国の建国の意思は、尊王攘夷、そこから発せられる植民地支配からの脱却、ひいては人種平等にあった。よく尊王攘夷がいつのまにか尊王開国へと変遷したのではないかという人もいるけれど、それは違う。圧倒的な欧米列強の武力の前に立ち向かうには、むしろ積極的に列強の技術や文化を受け入れ、学び、さらにこれに打ち勝つ実力を身につけなければならないとされた。
つまり、明治政府の建国の意思は、人種差別撤廃・・これがいわば日本の国是となった。日清日露の戦い、第一次世界大戦への参画、大東亜戦争への取組み、それらすべては、人種差別撤廃という国是のもとに推進されている。
要するに、建国の意思というものは、その国の政権が消えてなくなるまで存続し、その国の基本的パラダイムとして当該国の方向を決定づける。
同様に、中華人民共和国は、清朝末期、欧米列強が中国を分割植民統治していたものを日本がこれを駆逐。その日本を連合国の一員として追い出し、人民を解放し、一党独裁による共産主義政府を樹立した。実際には、日本軍がいる間は山間部に隠れ、日本兵が終戦で出て行くときに、武器を持たない日本人を殺し、財物を奪い、資力をつけて中国国民党を追い出しただけなのだけれど、そういう事実を認めたら建国にならないから、「われらは日帝を追い出し、勝利し、人民を解放した義勇軍である」というのが彼らの国是となっている。
だから、中華人民共和国における建国の意思は、「抗日と人民解放」にある。
そしてその意思は、中華人民共和国という国家体制が続く限り、なくなることはない。
中国にとって、ウイグルやネパールは、日本支配とはなんの関係もないエリアではないかという人もいるかもしれないが、それは違う。人民解放の義勇軍である彼らにとっては、共産主義でない国家はすべて改革開放の対象であり、入植後は、その改革開放のためにその地の宗教を否定し、もとからある国家体制を否定し、中国共産党の支配下におく。これこそが人民解放のためだからと説かれる。
そのために、当該地域の経済経営はすべて入植した共産党員で独占するし、優秀な義勇軍と血を交えることは、人民解放革命の一環としての正当な行為だから、適齢期にある女性は徴用し、中国共産党員の子供を孕ませる。
共産主義は家庭を階級闘争の場として否定する。
孕ませられ、中国人の子を産んだ女性は、父親の扶養を受けることなく、自分の手で子を育てなければならない。それが家庭という男女の階級闘争に勝利することだからと説く。
なんともひどい話だけれど、彼らにとってはそれが国是であり、建国の理念の実現なのです。
そしてその理念は、国家がなくならない限り、存続し、先鋭化する。
そして中国共産党のもうひとつの国是は、「抗日」です。
その「抗日」は、日本が現在保有している国力の全てを、中国共産党の支配下に置き、日本を中国の属国として、日本人民民主共和国を樹立させるまで、止むことはない。
→参考:中国「日本支配工作要領」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-448.html
中国について、もうひとつ大切なことは、中国共産党はアメリカがバックアップする中国国民党を追い出したということです。
つまり彼らは、
日帝に変わる新たな支配をもくろむアメリカを追い出した→中国共産党はアメリカに勝利した→中国はアメリカと互角に戦える唯一の国である→敗者アメリカは、いずれは中国共産党の支配下におき、米国が保有する国力のすべてを中国共産党の支配下におかなければならない、とされていることです。
これが中華人民共和国という国家の建国の意思でもある。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)においても、実際には日本統治時代、ごく少数の思想的強盗団だった金日成一味が、終戦で復員する日本人を襲い、財物を強奪し、北にあった日本の最新型重工業地帯を摂取した。
ただ摂取しただけだから、その後の工業化はまるで推進せず、だから北朝鮮の工業設備は戦前の設備のままだし、国家としての工業力も1960年代のまま(実際には1940年代のまま)まるで成長していない。成長していないどころか、老朽化が著しい。
北にとっての国是は、中国とおなじく、「抗日」であり、北の人民に、常に日帝からの危機を煽ることだけが、国家の成立の要件となっている。
だから、ありとあらゆる方法を使って、日本の政治経済を混乱させようとするし、軍備は常に敵国日本に向けて整えられている。
韓国においても、わが国政府は、日本と戦い自由と民主主義を手に入れた、というのが建国の理念であり、日本は、常に敵国とされている。
歴史的事実は、単に李氏朝鮮時代のヤンバンが、再度国内の主要産業を牛耳り、国内のエスタブリッシュメントに返り咲いて、国民から収奪しているだけなのだけれど、とにもかくにも抗日が国家成立の理念であり、国家意思である以上、彼らにとって、日本はいつまでも敵国でありつづけることになる。
要するに、この項でボクがいいたいのは、国家成立時の理念は、いつまでもその国の根幹をなし、その国家の行動を決定づけるパラダイムとなる、ということなのです。
では、現代日本はどうかというと、日本が成立した終戦時の国家意思は「非戦・復興・平等」にあった。
ひらたくいえば、
・もう戦争はやだぁ
・焼け野原をなんとかしようぜ
・みんな平等に~~♪
の3つ(笑)
残念ながら、あまり前向きなものではない^^;
唯一、「焼け野原をなんとかしようぜ」が、経済強化に結び付いているくらいで、その意味で戦後日本人の価値観には、責任とか忠義、共同体への帰属、強気をくじき弱きを助けるといった「正義」に関する価値観が完全に欠落している。
つまり、正義なき非戦争、正義なき経済、正義なき平等が、戦後日本の建国の理念になってしまっている。
建国の理念は、その国が解体するまで続く。
いくさを嫌った江戸幕藩体制は、戦闘集団である武家を温存したまま300年続いたが、欧米列強の植民地支配を前に、その体制が崩壊。日本人は欧米列強に対抗し、人種差別撤廃を国是とする明治政府を樹立した。
いまの日本は、日本人の勤勉、礼儀正しさを温存しつつ、いま一定の経済力をつけた特ア抗日戦線による侵略を受けようとしているのかもしれない。
日本が生まれ変わるためには、非戦・復興・平等という戦後日本の価値観を抜本的に修正する、新たな価値観を樹立しなければならないのかもしれない。
そんな気がします。
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