大東亜戦争

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台湾に、鄭春河という方がいます。
こよなく日本を愛してくださった方で、多くの著作を残しておいでです。
簡単に略歴を申し上げます。
1920年(大正9年)、台湾・台南州北門郡佳里町生まれ。
1939年(昭和14年)、早稲田大学中学部(校外生)卒業後、台南神社にて神職教育を受け、北門郡雇員(公務員)と北門神社奉仕を兼務。
1943年(同17年)、特別志願により陸軍第一補充兵に編入。翌年、台湾第四部隊に入営後、豪北派遣。チモール島にて終戦。
1946年(同21年)6月、復員して台湾に帰郷。戦後、日本人容疑で検挙されるも、無罪判決により政治大学課程を履修。
製油会社等の部長を歴任後、社長・顧問を歴任。
1997年(平成9年)、台南・延平郡王祀(鄭成功廟)にて催された複台記念日祭典に神道式祭典を斎主として厳修。
1988年(同10年)、台中・宝覚禅寺の「霊安故郷」碑前にて催された「台湾同胞戦争裁判犠牲者合祀祭」の神道式祭典を斎主として厳修。
2005年(同17年)12月22日、台南にて逝去。
この方が、大東亜戦争の意義について語った一文があります。
まことに大事なことを言っいます。
原文はすごく長文になりますので、以下はねずきちが編集したものです。
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【嗚呼大東亜戦争】鄭春河 著
http://www.senyu-ren.jp/AA/AA.shtml
↑原文はこちら。
戦争は政治の一環であり、戦争目的は政治目的でもある。
では大東亜戦争の戦争目的(政治目的)は何だったのか?
その目的は、
1、経済の安定
2、国防の安泰
3、アジア諸民族の解放、
にまとめあげられる。
1、経済の安定
昭和に入ってからの日本経済は全く死に体であり、現在の豊かな感覚では想像できない貧乏国であった。
その日本が、今や経済大国と言われるまでに発展し、個人々々についての格差があるにしても、国民は世界で最も平和で豊穣な生活を享受している。
一方戦勝国の戦後は如何であったろうか?
ソ連や中共の国民生活は言うに及ばず、米国は日本に勝ったその日から、ソ連という大敵に対抗して軍備増強に迫られ、米ソ共に莫大な軍事費の支出に耐えかねて、国家経済が破綻して西側陣営に屈伏し、世界一の債権国から債務国に転落したのである。
イギリス、フランス、オランダも海外に保有していた広大な植民地の総てを失い、二流国に甘んぜざるを得なくなった。
2、国防の安泰
戦前の日本は、北にソ連、西に中国、東に米国、南に英、仏、蘭と四周敵に囲まれており、とりわけ米ソは当面する最大の強敵であって、国家予算のかなりの部分を国防費用に回さなくてはならなかった。
貧乏国日本にとって、膨大な国防費は国家経済の限界を超えた大きな負担であり、それだけ国民生活が圧迫されていたのである。
戦後の日本は、アメリカの大きな核の傘にすっぽりと覆われ、日米安保条約によってすっかり守られておった。曾つての占領軍は、今や番犬となり、日本はGNP一%程度の予算の二流軍隊でお茶を濁し、せっせと経済発展(金儲け)に専念した。
四周にいた敵も、ソ連一国となり、それも今や熊から牛に変身してしまった。明治以来、国防がこれ程安泰になったことはなかった。
3、アジア諸民族の解放
戦前の世界地図を見れば一目瞭然である。
世界の大部分が白人の植民地であり、支配地域であった。
第一次世界大戦の後設けられた国際連盟は、白色人種だけの繁栄と幸福を図ることを目的とした機関であり、有色人種は白色人種に奉仕する為の存在でしかなかった。
戦後民族自決の気運が急速に高まり、日本が標榜したアジア諸民族の解放は、アジアのみに止どまらず、全世界から植民地が一掃されるに至ったのである。
大正時代、国際連盟で人種差別撤廃を提案した日本が、白人諸国の大反対で否決されたことを思うと、まさに今昔の感がある。
戦前には、白人種の前に卑屈な程に跪いていた有色人種が、何故、急速に自信と自覚を持つようになったのだろうか。戦後、英国宰相チャーチルが述懐して次のように言った。
「英帝国が終焉した理由は、英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである。
一度失墜した権威を、もう一度掲げることは出来っこない。
英軍は戦後も依然として強力だが、しかし世界の人々は、英軍がアジア人に負けたのを見てしまった」

有色の日本がホンコン、シンガポールで英軍に大勝し、フィリッピンの米軍を駆逐したのを目のあたりに見た世界の有色民族から、長年の間に習性とまでになったいた白人隷属の卑屈な気持ちがヴェールを剥がすかのように一掃されて、「白人優位、白人不敗」の神話は、これを機に音を立てて崩壊したのであった。
白人優位の帝国主義世界が続く限り、日米戦争が昭和十六年に勃発しなくても、何年後かに起こったであろうところの避けて通ることの出来ない宿命であったと思われる。
まさに大東亜戦争は、有色人種の白色人種に対する壮絶なる巻き返しであり、そしてその力と気迫を持っていた国は、その当時は日本しかなかったのである。
このように此の黄白戦を見ると、日本は戦争に敗れたものの、四十余年がかりで大東亜戦争の戦争目的(政治目的)を立派に達成したと言う事が出来る。
古今東西永遠に続く戦争はない。
しかし政治は永遠に継続し、しかもそれは過去の足跡の上に積み重ねられるものである。
そして、この黄白の決闘以来、それまで世界の通念となっていた帝国主義が崩れ、国威宣揚の方策であり、美謀でさえあった戦争が罪悪という観念に変わり、世界平和と万邦協和こそ、それぞれの国が繁栄する最良の方法であることを知らされたのである。
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クラウゼヴィッツの戦争論によれば、
「戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる」とされています。
大東亜戦争の開戦については諸説あって
・軍部が暴走したのだ
・アメリカにハル・ノートを突き付けられたからだ
・石油資源確保のためだった
・ルーズベルトがドイツと戦いたかったから日本と開戦した
・独裁政権を真似た東条内閣と国民の命を金にかえた財閥が引き起こしたのだ
・日中戦争を終わらせるためだった
・日本がそれ以前に獲得した権益を最低限守りたかったからだ
等々、いろいろなことがいわれています。
しかしどれも、どうもしっくりこない。群盲象をなづみたいな感じがします。
「軍部が暴走」って、国家として宣戦布告していることを考えれば、それは単に軍部だけに戦争責任をなすりつけているにすぎないと思うし、
「ハルノート」云々も、その内容が屈辱的だからといって戦争という選択にいきなり結びつけるには無理がある。そのあたりは「軍部が石油を欲しがったから」という説もあるけれど、石油ごときのために人命を犠牲にするほど日本の政治は甘くない。
ルーズベルト陰謀説も、だからといって日本が開戦する理由はないし、日本の権益確保というだけなら、戦線を広げる必要もない。
日中戦争を終わらせるためだなんて、意味がわからない(笑)
このことについて、実はねずきちは、大東亜戦争の開戦は、1919年(大正8年)のパリ講和条約に、そのきっかけを見ることができると思っています。
第一次世界大戦の戦後処理を行なうパリ講和会議において日本は、ドイツが中国に持っていた権益を確保し、国際連盟における常任理事国となりました。
パリ講和会議で日本は、「人種差別撤廃法案」を提出します。そして賛成多数にもかかわらず、英米の反対で法案は却下されます。
そしてこれ以降日本は、世界から差別されてきた有色人種の利益の代表と見られるようになった。
【参考】人種差別撤廃に全力を注いだ大日本帝国
パリ講和会議次席全権の牧野伸顕伯爵のお話です。
牧野伸顕氏は、大久保利通の次男、吉田茂の岳父にあたります。

当時アメリカは、やはり太平洋に進出しようと南下政策をとるロシアを警戒し、一方で中国の権益獲得を目指していた。
米国内では、日本人移民に対する差別が行われるなど排日の動きが強まり、アメリカ白人社会の世論は、人種問題の観点から、日本が欧米列強と対抗して勢力を伸ばしていくことを快く思っていなかった。
そしてアメリカは、有力石油資本を握るイギリスや当時ゴムや鉱物資源を産出するインドネシアを植民地として支配していたオランダと共同戦線(ABCD包囲網)を組み、日本が近代産業国家を運営する上で必要不可欠な資源を調達できなくなるように追い込みをかけた。
要するに、昭和2年(1927年)に始まった世界金融恐慌下で、世界同時不況が押し寄せる中、植民地支配を強化して不況を乗り切りたい列強と、人種差別撤廃を説く日本は(植民地政策そのものに反対し、待ったをかける存在として、非常にうるさい存在となった。
ボクは、こうした背景から、なるほど戦争自体は五月雨式に追い込まれて始まったけれど、その根底には、人種差別主義(白人至上主義)と、人種平等主義の対立があったのだと考えるのです。
だからこそ日本は、占領地において、学校を作り、隣組をつくり、行政組織を作り、差別を受けることをあたりまえとしてきた東亜の人々に、短期間であらゆる教育を施してきたのだと思うのです。そう考えなければ外地での日本の種々の行動はまったく説明がつきません。
インドネシアなどでは、終戦後もなお、現地に残り、インドネシアの独立のために戦った旧日本軍人さんたちがいた。
よかったら、下のパラオの動画も是非ご覧下さい。
【参考】パラオの日本軍

日本は、開戦時の工業生産力で約80倍のアメリカと開戦した。
これにイギリス、オランダ等、連合軍の国力を加えたら、いったいどれだけの格差があったか。
大東亜戦争開戦の目的には、もちろん資源確保とか、ハルノートとか、直接的な理由はあったでしょう。そこへ人種差別への抵抗論など持ち出すと、そんなものは大義名分にすぎない、と一笑に付す人もいることと思います。
しかし、ボクは、違う、と思う。
仮に政府高官や財閥のお偉方がいい思いをしたいがためだけに戦争を始めたのなら、あるいは南方資源確保だけのために戦争を始めたというなら、ただでさえ国力の乏しい日本が、貧しい中で歳費を削ってまで巨費を投じ、学校をつくり、現地の人々を教育し、街の上下水道などのインフラを整備する必要なんてどこにもない。
そんな余計な費用をかけずに、資源だけ収奪すればよいのです。オーストラリアもイギリスもアメリカも、みんなそうしてた。
しかし日本は違った。現地に学校を作り、行政機構を作り、町のインフラを整備した。日本兵の食料もままならない中で、それだけのことをやってきた。
そこには、当時の日本が掲げる、人種平等という明快な哲学が断じてあったのだと思うのです。
長くなりましたが、要するに大東亜戦争の究極の目的は、東亜の人種差別撤廃にあった。
そして、トム・クルースの主演で映画にもなった「宇宙戦争」の著者であり、イギリスの歴史学者としても有名なH・G・ウェルズは、次のように語っています。
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
こんな話もあります。
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イギリス人は糞をしてる最中に黄色人種が入ってきても平気。
落としたタバコを拾わすのにも、言葉を使わず、アゴで拾えの合図。
女性が全裸で部屋に居る時に、黄色人種が入ってきても平気。(白人男性が入ってきたら大騒ぎ)
つまり、黄色人種は猿だったのです。
インドより東の国では、白人は何をしても許されると言う考えがあった。
東洋人に対する白人の対応は自然な物だったのです。
絶対的な差別主義。
東洋人は、人では無かった。
この絶対差別主義の世界を塗り替えたのが日本だった。
今でも、ビルマの建国記念日には、日本の「軍艦マーチ」「日本陸軍の歩兵の歌」が流れる。
フィリピンの独立記念のポスターにも、日本軍のポスターが貼られる。
インドのオールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像がある。
アジア人の自尊心を守ったのは、日本だった。
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大東亜戦争のあと、東亜のかつての列強の植民地だった国々の多くが、独立を手にしました。
戦争が「ある政治目的を達成する手段」とするなら、日本は、3年半の戦闘には敗れたけれど、その戦争目的は立派に達成した、そういえるのだと思います。
その逆の事例もあります。
ベトナム戦争です。
コミュニストの支配を阻止するという戦争目的ではじまった南北ベトナム戦争は、15年の長い戦いの末、アメリカの撤退に終わった。戦争目的は達することができなかった(北が勝利した)。
日本は、人種差別撤廃のために戦い、国土を焼土と化し、連合軍に国土を占領されたけれど、その戦争目的は、立派に果たした。ひらたくいえば、日本は戦争に勝った。
しかし、その後がいけません。
冒頭に登場した鄭春河氏に、もう一度登場していただきます。
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【日本救国の道】台湾・鄭春河
http://ameblo.jp/ys716/entry-10009424210.html
大正の御代に生まれた我々は確かに幸せ者であった。
正しい日本の教育を受けて、千載一遇の太平洋戦争に参加できた。
敗戦とはなったが我々は最期まで奮戦した。
波乱万丈の体験を重ねて「盡忠報国」の精神と国民道徳を今もなお身につけている。
これに勝る幸せがあろうか。
ところが、一番哀れなのは戦後の亡国思想教育を受けた日本国民である。
何故、等しく大和民族の血を受けていながら、半数以上の日本人が日本人らしくない異質の民族に成り果てたのか。それは他ならぬ、日教組がしからしめたのである。
日教組は次代を担う子供たちに、
「国家・君が代を歌うな、国旗・日の丸を揚げるな」と躾けて、
子供の情操教育を潰し、
国民意識・国家意識を喪失せしめ、
祖国日本を亡国に導こう と活動している。
日教組は「進歩的文化人」と呼ばれる連中と共に、日本にとっては許しがたき罪人であり、売国奴である。
彼等は先ず、
祖国日本の力を弱め、
国民の元気を削ぎ、
無気力な日本を共産主義国家の属国にしようと計画・策動しているのである。
彼等は反国家の姿勢をとり、
祖国日本に背き、
日本を非難し、
日本の過去と現在を否定・攻撃し、
国家の尊厳を木っ端微塵にまで軽蔑してきた。
「君が代」と「日の丸」は一体どこが悪いのか。
日本の国体に最も相応しい、美しい国旗であり、奥ゆかしい国歌ではないか。
明治の初め、アメリカが「日の丸」を買いに来た。
金は幾らでも出すと云う。
幸いなるかな売らないでよかった。
外国から羨望された程の「日の丸」だ。
その価値たるや以って惜むべく銘すべきである。
中華民国でさえ、「国歌を歌うな、国旗を掲げるな」という輩があれば途端に非国民反乱罪として投獄されてしまう。
総統府、各官衛とも毎朝「升旗典礼」(国旗掲揚)という朝礼を行う。
道行く人馬や車など、即座に直立不動の姿勢で敬意を表する。
これが世界各国の仕来たりであるのに、日本だけが出来ない、また、やろうとしないのは残念の極みである。
ご存知の方も多いと思うが、かって韓国でのオリンピック会場で国旗掲揚の際、日本学生のだらしなさがすごく非難された。教養のない日本国民の恥を晒したのだ。
戦前、我々は、外国で祖国日本の有り難さを実感した。
至るところで日章旗を仰ぎ、「君が代」を耳にしては感極まって涙をこぼした。
さて元に戻るが、更に最も甚だしきに至っては「靖国神社に参るな、大臣も国会議員も参拝するな。日本は侵略したのだから、死んだ兵隊に敬意を表すことはない」と日教組は子供たちに教え、
更に「日本は悪いことをした。お前達の祖父達は侵略の手先となって悪い事をした!」と、50有余年も繰り返し洗脳し続けてきた。
子供達はそれをまともに信じて、祖国日本に生まれたことを有り難く思わず、中には憎悪を抱く者まで現れた。
祖父や親達をバカにして言うことを聞かず、勝手な行動をして平気で人に迷惑をかけたり、犯罪を犯すなど、道徳も道義も廃れて今日のような混沌の世の中になってしまったのである。
「祝祭日には国旗を掲げましょう」「式では国歌を斉唱しましょう」と、国では国民に呼びかけているが、昔の我々は小学校に入る前から躾けられていて、誰でも出来ることで神社参拝も世の仕来たりであり、言われるまでもないことだ。
或る高校の教諭から聞いたことだが、
「私の勤めている高校では、先生(高教祖)が生徒に『祝祭日に国旗を立てるのは非国民だ!』と言う。とてもこれが日本人の先生とは思われないような発言をいつもしていて、生徒達も感化されている」とか。
生徒も「隣近所が旗を立てないのに、家(うち)だけが立てるのもおかしいから止めたよ」と言う。何と情けないことか。聞いただけでも気が遠くなる。その親達も日教組の亡国教育を受けた世代だからどうにもならない。
毎年8月には日本の大学生が、10数名ばかり台訪することになっている。
学生達と2日間付き合ってみると日本の様子がよく分かる。
学生達の話では、「教育勅語や靖国神社のことは、最近、教授の口からぼつぼつ出るようになりましたが、学課ではないので詳しいことは知りません。靖国神社にも参拝したことはありません」。
かように教育の基本人倫の常経、天地の公道である教育勅語と、祖国日本の為に犠牲になった戦没者をお祀りした靖国神社を、次代を担う子供達に教えないようでは、どうして祖国の真の復興が望まれようか。
日本人自身が、しかも日本の首相たるものが
「日本人はアジアを侵略した。誤らなければいけない」などと、非常識なことを繰り返している。
太平洋戦争に負けたから日本はこんな非常識な国になったのか。否、そうではない。戦後の7年間でアメリカの占領政策によってこんな国にされてしまったのだ。
太平洋戦争は3年半余りに亘ったが、占領期間が何故7年間もの長期に亘ったのか、それは徹底的に日本国民を精神的、思想的に改造するためであった。
占領政策は、
 「占領憲法」
 「東京裁判」
それに30項目にわたる徹底的な
 「言論統制」
の3本柱である。
言論については検閲を徹底的に行い、しかも検閲や統制をしているということを国民には極秘にして秘密の漏洩を防ぐという、このような陰湿なやり方で行ったのである。
そして「日本国民は悪くない、悪いのは軍人だ。戦前の教育は全て悪い。神道も悪い。道徳教育も個人の自由を損なうから悪い・・・」と、戦前の日本はすべて「悪」と決めつけられた。
要するに勝者の白人は正義で、敗者の日本は不正義で、その最も極端なのが東京裁判であり、日本を侵略国として断罪した。
その為には日本に有利な証拠はすべて却下され、彼等に都合の良い証拠は、到底証拠とは言えないような代物でも全て採用したのみならず、捏造までして日本を黒と決め付けた。南京大虐殺もその一つである。
要するに日本を徹底的に打ちのめし、日本を二度と立ち上がれないようにすることが占領政策の目的であったのだ。
彼等は完全に目的を果たした。これに日教組や共産党が上乗りして、アメリカの意図以上にマインドコントロールを徹底したことである。残念乍ら日本人の大部分はマインドコントロールから覚めていない。
一昨年、東京裁判で却下された「未提出弁護側資料」が刊行されて東京裁判の欺瞞性が明らかになると共に、東京大学の藤岡信勝教授をリーダーとする自由主義史観研究会やその他の会が次々と発足し、太平洋戦争の真義をもう一度見直そうという空気が漲っていることは、遅きに失したとは云え、誠に喜ばしいことである。
日本人は、太平洋戦争は絶対に侵略戦争ではないこと、従来の「東京裁判史観」は間違っていたことを認識して、日本の正しい歴史を勉強し、日本が過去に果たした歴史上の役割に自身と誇りを持って、堂々と胸を張って世界に邁進すべである。
そのためには一刻も早く誤った歴史認識と戦争犯罪贖罪意識から脱却し、目覚めることが先決である。
万世一系の皇室という素晴らしいものを持っていながら、今の日本人の大部分はそれを忘れれいるのか、或るいは故意に無視しているのか。
靖国神社に天皇陛下の御親拝、総理大臣が参拝することまで隣国に気兼ねしなければならない日本が、本来の日本に戻れるのはいつになるのであろうか。
日本同胞の反省と奮起とを切に御祈念申し上げる次第である。
 平成9年6月30日
   鄭 春河(台湾台南市中華南路 在)
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目を覚まそうよ、日本・・・・・・
大東亜戦争の真実


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