

昨日もたいへん多くの方々から、ほんとうに貴重なコメントをいただき、心から感謝します。
さて今日のお題は、「“善”をもって毒を制する」です。
ふつうは、「“毒”をもって毒を制する」といいます。
ところがこのやり方は、かえって生き残った毒を、より一層進化させ、より大きな毒を撒き散らせる原因になる(笑)
そこで、「“善”をもって毒を制する」というお話です。
時は1972年2月、軽井沢で「あさま山荘事件」が起こりました。。
この事件は、連合赤軍のメンバー5人(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が、浅間山荘の管理人の妻(当時31歳)を人質にとって、10日間、つごう219時間にわたって山荘内に立てこもった事件です。
犯人たち一味は、連合赤軍の前身である“京浜安保共闘”時代に、栃木県真岡市で銃砲店を襲い、猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾約2300発を強奪して逃走。
このあと“京浜安保共闘”と“赤軍派”が合流して、連合赤軍と名乗り、榛名山や妙義山の周辺に、廃屋などを利用したアジトを複数設営。
アジトに集まったメンバーは合計29人(内女性10人)だったといいます。
ところが彼らは、アジトで軍事教練を行うだけでなく、「総括」と称して内部でメンバーに対する批判や自己批判を強要。さらにエスカレートして粛清と称して仲間を散々殴り、吊るし、アイスピックやナイフで刺し、絞殺し、氷点下の屋外にさらして凍死させた。
さらに遺体をすべて全裸で土中に埋めたうえ、アジトに放火して証拠隠滅を図った。
アジトで死亡したメンバーは12人。うち女性は4人で、なかには中には妊娠8ヶ月の女性メンバーもいた。
彼らに言わせると、「総括」は相手を「革命戦士として自ら更正させる」ことを目的としており、周囲のものが暴力をふるうことは「総括援助」と称して正当化された。その際のリンチは非常に凄惨で、激しい殴打を伴った。女性は逃亡を防ぐためとして髪を切られた。
主犯格の森恒夫と永田洋子の2人は「殴ることこそ指導」と考えていたのだそうです。
殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、完全な共産主義を受け入れ真の革命戦士になれるという論理を展開し、絶対的上下関係の中で「お前のためなんだぞ」といいながら殴り倒し、内臓を破裂させ、殺害した。
連合赤軍は、アジト下山後、一部のメンバーが発見・逮捕され、残ったメンバーのうち、5名が立て篭もったのが、あさま山荘だった。
連合赤軍の5人は、包囲する警官隊に発砲。
この発砲で、警視庁の高見繁光警部と内田尚孝警視の2人、そして不用意に山荘に近づいた民間人1人が死亡した。
また、機動隊員と信越放送のカメラマン計16人が重軽傷を負った。
重傷者の中には、失明など後遺症が残った者もいるし、いまだに頭骨に散弾が埋まったままの人もいる。
この事件の、全体の指揮を執ったのが、後藤田正晴警察庁長官(当時)。
銃で乱射し、警官を狙撃する犯人たちに対し、現場の警察官、機動隊からは、発砲、射殺の許可を求める悲痛な叫びが報告された。
「長官は、俺たちの命より犯人の命が大切なのか!」という声もあったといいます。
現場は、命を的にし、寒さに凍え、犯人一味から絶えず銃弾を撃ち込まれ、そして仲間が目のまで射殺され、重傷を負っている。
現場の思いとしては、機動部隊を一気に山荘に突入させ、犯人グループ全員を一網打尽にしたうえで、一刻も早く人質を助け出したい。まして仲間が目の前で射殺されているのです。
銃を乱射して突撃したいとの思いにかられるのは、現場の思いとしてはむしろ当然です。そのための訓練も積んできている。
そういえば映画「踊る大捜査線」で、主人公の青島君が、
「事件は会議室で起ってるんじゃないんだ!」と憤慨するシーンがありました。
実際に銃弾の脅威を前にしてあさま山荘を取り囲んでいる警察官の心情、そのご家族の心情やいかばかりか。想像するにあまりがあります。
しかし、警察行政は違う。
二度と同様な惨劇が起こらないようにしなければならない。
仮に犯人を射殺した場合「殉教者」として、彼らが英雄扱いされる。
警察が銃撃戦に応ずれば、彼らはより一層、武装を強化し、結果、社会はいっそうの混乱を生じる。
実際、1960年の安保闘争における樺美智子死亡事件や、1970年の上赤塚交番襲撃事件で射殺された柴野春彦、1970年の瀬戸内シージャック犯人は、左翼活動「殉教者」とされ、以後の左翼活動の武装化を一層促進している。
後藤田長官は、心を鬼にして、警察側からの発砲を禁じた。
だから許可されたのは、水鉄砲と鉄球だった。
そして10日間の攻防の末、籠城していた犯人5人は逮捕。人質は無事救出された。
翌3月になって、逮捕された連合赤軍メンバーが供述で、事件の全貌が明らかになる。
警官隊の山狩りによって、山岳のアジトから大量の証拠品が発見されるとともに、糞尿にまみれ、さらに切断された衣服なども発見された。
人間は、窒息などの死亡時、糞尿を垂れ流す。そして死後硬直した死体から衣服を脱がすにはナイフなどで切断するしかない。つまり、この衣服がここで「殺人」が起こった事実を裏付けた。
あさま山荘事件終結後も、日本社会党の議員やマスメディアは、犯人を擁護する論調があったそうですね。
しかし、あさま山荘事件直後に明らかとなった事実によって、これら赤軍を擁護した者の面目は丸つぶれとなった。
結果左派ですら手の平を返し、赤軍を批判する側へと回った。
また、それまで左翼運動を否定的に見ていた人はもちろん、左翼運動を好意的に見ていた人々も、この事件の異常性から左派を嫌悪するようになっていった。
結果、連合赤軍に同調する世論は、一気に縮小した。
銃にモノをいわせ、仲間の命すらなんとも思わない左翼主義者。
殉教者を出してまで、犯人や人質の生命の安全を図った警察。
この事件以降、中核派や、赤軍、革マル派など、60年安保から一世を風靡した左翼活動、学生運動は、いっきに沈静化していきます。
もしこの事件のとき、警察が、実力行使を図っていたらその後の日本はどうなっていたでしょう。
連合赤軍の永田洋子や森恒夫は、後世に語り継がれる殉教者となり、左翼活動はいっそう過激になっていったのではないか。
一昨日ボクは「日本に手を出した国は必ず滅びる」という記事を書きました。
その前の日には、「大東亜戦争は日本の勝利だった」と書いた。
なぜ、これだけバカにされ続ける日本が、いく多の犠牲を出しつつも最後には勝つのか。
それは日本が、毒に対して毒を用いず、哀しいまでに純朴に正義を貫いてきたからなのではないかと思うのです。
「“毒”をもって毒を制する」のではなく、
「“善”をもって毒を制する」という姿勢が大事なんだなって思いました。
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