
うちの亡くなったオヤジは、子供のころに覚えた、歴代天皇の名前をひとり残らず言えることと、教育勅語をいまだに諳んじることができるのが自慢で、ボクも子供のころからよく聞かされました。
教育勅語は、1890年の発布ですから、いまから120年も昔に世に出されたものです。正式名称は『教育ニ関スル勅語』です。
発布の契機は、西洋の学術・制度が入り、ともすれば知識の伝授に偏る学校教育を修正して、道徳心の育成も重視するように求めたことによるといいます。
明治天皇ご自身も、道徳教育に大きな関心を寄せていたとか。
NHKの番組などをみると、明治期においていわゆる天皇礼賛が行われ、やや絶対君主制に近い体制が築かれたかのごとく非常に偏った見方がされているけれど、我が国天皇制は、決してそうした絶対君主制のような社会制度を志向したのではないことが、この教育勅語を一読すれば明らかになります。
教育勅語は、陛下が国民に語りかけるという形式をとっています。
そして陛下ご自身さえも、祖先を敬い、自らを律してひとりひとりの国民と共に、立派な日本人となるよう一緒に努力していきましょうと説いている。
教育勅語は、冒頭でまず「日本の柱は徳にある」と説きます。
朕惟フニ
我カ皇祖皇宗
國ヲ肇ムルコト 宏遠ニ
ヲ樹ツルコト 深厚ナリ
・・・私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、教育の根本は忠義と孝行の実現にあると説く。
我カ臣民
克ク忠ニ 克ク孝ニ
億兆心ヲ一ニシテ
世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ
教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
・・・我が臣民は、忠と孝の道をもって心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきたのは、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまさにその中にあります。
そして私たち日本国民は、親に孝行し、兄弟、友人、配偶者と仲むつまじくし、互いに助け合い、信じ合い、学を修め、言動を慎み、国法を遵守し、いったんことあれば忠勇無双の働きができるよう自らを鍛えよと続きます。
爾臣民 父母ニ孝ニ
兄弟ニ 友ニ 夫婦相和シ
朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ
學ヲ修メ 業ヲ習ヒ
以テ智能ヲ啓發シ
器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ
常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ
以テ天壤無窮ノ 皇運ヲ扶翼スヘシ
・・・国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじくし、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しましょう。
是ノ如キハ
獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
・・・これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、いっそう明らかにすることなのです。
そして最後に、汝、臣民とともに、朕も一緒に徳を打ちたてていきますと結びます。
斯ノ道ハ
實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ
拳々服膺シテ
咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
・・・かかる道は、祖先の遺訓であり、私達子孫の守らなければならないものです。
この教えは古今を通じて変わらぬ正しい道であり、日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道です。
私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
ボクは、教育勅語、素晴らしいと思うなぁ。
すくなくとも、戦後の日教組が推し進めてきた教育の現場からの徳育の排除とは、教育勅語は対局にある。
教育勅語が目指した日本人は、夫婦相和し、親に孝行し、先祖を敬い、友を信じ、秩序を守り、自己を鍛えて、すすんで社会公共のために貢献する人です。
学問をする目的も、世間のお役にたてる立派な人間(=徳の高い人間)になるために身につけるのだという、明確な目的性が、そこにあります。
これに対し、戦後日教組あたりが推し進めてきたのは、教育の現場からの徳育教育の排除です。
いいかえれば、世間の役に立つ立派な人間に成長するという目的性をもたずに、単に教師が教える学問を学ぶ。その学問はなんのためかといえば、テストで良い点をとるため。ひらたくいえば、テストというクイズに上手にはやく答えれる技術を教えるのが学校であるとした。
ところが、そういう目的であれば、進学塾、学習塾の方が、特化している分、よほど上手に教えることができる。
結果、学校は、夫婦共稼ぎの一人っ子を預かる単なる保育園と化した。
学校の崩壊、教育レベルの低下が問われて久しいけれど、その根本原因は、教育現場が、学校教育から徳育という「柱」を失ったことによるのではないか。
進学という目的をもったクイズの正答率をあげる訓練は学習塾に委ね、さりとて徳育教育も放棄した学校では、もはやすることといえば、規定の時間、子どもたちを預かることくらいしかない。こうなると学校ですることもない。
暇にまかせて日教組は、君が代を否定し、日の丸を否定し、日本の未来を担う子供たちに日本は悪者だと教えた。
日本という国は、どっか遠い所にある他人の住む国ではない。
わたしたちがいま生きて生活している、ここが日本です。
そして日本という国は、私たちひとりひとりの国民の集合体です。
日本が悪者であるということは、私たちひとりひとりの国民が、悪者であるということになります。
日本が悪者なら、そこに住むみんなも悪者。教師も同級生も、恋人も妻子も、自分自身もみんな悪者。ならば「先生の言うことを聞きなさい」というのは、すなわち「悪者の言うことを聞きなさい」と言っていることになる。
これはおかしい。
要するに、日教組が教育の現場でしてきたことは、日本人の持つ徳を崩壊させること。すなわち、日本社会の根底にある「徳」を破壊すること。
夫婦の和、友人との信頼、親子の絆、祖先への感謝、そうしたすべてを、過去60年間にわたり、日教組は否定し続けてきた。
そして教育委員会を組成し、強力な政治的圧力団体となっていった。
是非、もういちど教育勅語を読み返してみてください。
日教組の教育観と、教育勅語の教育観。
どちらがほんとうに世のため、人のための人材育成に役立つ理念といえるのでしょうか。
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教育勅語(原文)
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
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